【平成の名力士列伝:北勝力】銭湯で声をかけられ角界へ 横綱・...の画像はこちら >>

連載・平成の名力士列伝54:北勝力

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、銭湯でのスカウトをきっかけに幕内力士として前向きに相撲に向き合い続けた北勝力を紹介する。

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【横綱・朝青龍の連勝をストップ】

 銭湯で、いきなり見ず知らずの人物から「力士にならないか」と声を掛けられ、角界入りしたエピソードは、羽黒山や三重ノ海といったかつての横綱を彷彿させ、大物感も漂う。

 東京・大田区に生まれ、小中学生時代は野球に打ち込んでいた。自宅近所の銭湯で角界入りを勧められたのは中2の夏。声を掛けた竹村源英氏は九重部屋の名物スカウトで、小結・孝乃富士、幕内・若の富士、十両・大富士らを同部屋に入門させている。のちの北勝力も大相撲入りを即決。野球部を退部して竹村氏と玉川の河川敷でトレーニングに打ち込み、学校が休みの日は九重部屋に通った。

 平成5(1993)年3月場所、15歳で八角親方(元横綱・北勝海)の内弟子として初土俵を踏むと、同年9月場所後、独立が承認された八角部屋に移籍。19歳で新幕下に昇進し、その後、出身地を東京都大田区から両親の出身地である栃木県那須郡黒羽町(現・栃木県大田原市)に変更した。

 平成14(2002)年1月場所で新十両昇進を果たすと十両はわずか2場所で通過し、同年5月場所、24歳で幕内に昇進した。

 新入幕場所も持ち前の激しい突き押しが冴え渡り、11勝4敗で敢闘賞を受賞。その後は平幕上位に進出しては壁に跳ね返されることの繰り返しだったが、下位ではしばしば2ケタ勝ち星を挙げていた。

そして、ついに上位の壁を破るときがやって来ることになるが、北勝力の現役生活のなかで最も脚光を浴びた場所でもあった。

 前頭筆頭で迎えた平成16(2004)年5月場所、初日は魁皇を右ノド輪で一蹴すると2日目も武双山を強烈な右おっつけで押し出し、2日連続で大関から白星。さらに4日目も千代大海を引き落としに破り、3大関撃破を含む初日から5連勝で6日目の横綱・朝青龍戦を迎えた。

 当時は一人横綱だった朝青龍の天下の時代だった。この年の1月場所から2場所連続の全勝優勝。さらにこの場所も初日から勝ちっぱなしとしていた。果たして、立ち合いで北勝力は2度突っかけて「待った」となった。これで冷静さを欠いたのか、横綱は右で張って左を差し、右ノド輪で押し込んだが、攻め込まれると安易に叩いてしまい、一気呵成に攻め込んだ北勝力が最後は右ノド輪でとどめを刺すと無敵を誇っていた横綱は、無残にも腰から崩れ落ちた。

 館内は座布団が乱れ飛んだ。朝青龍の連勝は35でストップ。押し倒した北勝力にとっては初の金星であり、出場する横綱、大関全員から白星をもぎ取った。しかし、支度部屋では「横綱が先に落ちるのがわかりました。

花道で座布団が顔に当たったんですけど、いいもんですね」とさほど表情は変わらず。あまりうれしそうではない様子を記者に突っ込まれると「めちゃくちゃ笑ってますよ。大横綱を破ったんですから」と口元をややほころばせた。

【最後まで貫いた前向きな姿勢】

 腰をやや浮かせた状態から前につんのめるようにもろ手突きを炸裂させる独特な立ち合いは、足が長く重心が高い北勝力にとって、馬力がしっかりと相手に伝わりうまくハマっていた。8日目は関脇・若の里に初黒星を喫したが、翌9日目に8勝目。自己最速で勝ち越しを決めたにもかかわらず、「自分の理想は8日目ですから」とここでも喜び半分といった表情だった。

 11日目に朝青龍が2敗となり、単独トップに立った。もちろん、北勝力にとっては初めての経験だ。普通なら「目の前の一番に集中するだけです」と降りかかるプレッシャーをできるだけ振り払おうとするものだが、この男は違っていた。硬くなる様子が微塵も感じられないのは「優勝は(入門した)15歳のころから意識している」と公言して憚らない究極のプラス思考の持ち主だからだった。

 1敗の単独トップのまま迎えた千秋楽は、この場所が新入幕の白鵬が相手。いつものように独特の立ち合いからもろ手で突こうとしたが、白鵬の変化にバッタリ。

2敗を守った朝青龍との優勝決定戦でも、もろ手突きから中途半端に右に変わる消極的な相撲で墓穴を掘り、初優勝の夢は水泡に帰した。初めての大舞台で常に強気な男も、さすがに極度の緊張に襲われたのかもしれないが「自分の力は出しきったので、悔いはないです。チャンスはまだある。また次も頑張ります」と前を向いた。

 13勝2敗で殊勲、敢闘の三賞をダブル受賞。翌7月場所は小結を通り越し、新関脇に昇進したが、3勝12敗の大敗で平幕へ逆戻り。北勝力にとって、結果的にこの場所が唯一となる三役で迎えた場所であった。

 前頭11枚目の平成18(2006)年1月場所は初日から9連勝と突っ走り、再び優勝戦線に顔を出したが惜しくも12勝に終わり、またしても初賜盃を手にすることはできなかった。翌3月場所は1勝14敗と惨敗。同年11月場所は初日から8連敗して翌日から休場。新入幕から28場所連続して務めた幕内の座も明け渡した。

 3場所後の平成19(2007)年5月場所で返り入幕を果たすが、以後は大負けも目立つようになり、平成21(2009)年3月場所は前頭筆頭で初日から12連敗。

それでも「15戦全敗したら気持ちいいでしょうね」と飄々(ひょうひょう)としていた。「落ちるところまで落ちたら、あとは上がるだけですから」と窮地に立たされても、持ち前の前向きな気持ちは現役生活の最後まで失うことはなかった。

 頸椎捻挫などにより、前頭10枚目だった平成22(2010)年11月場所12日目を最後に土俵に立つことは叶わず、幕下13枚目で休場中だった5月技量審査場所中に引退を表明した。

【Profile】
北勝力英樹(ほくとうりき・ひでき)/昭和52(1977)年10月31日生まれ、栃木県大田原市出身/本名:木村英樹/所属:八角部屋/初土俵:平成5(1993)年3月場所/引退場所:平成23(2011)年5月技量審査場所/最高位:関脇

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