■『今こそ女子プロレス!』vol.28
DASH・チサコ 後編

(前編:東日本大震災、妹・幸子とのタッグ解散......乗り越えてきた苦難の日々>>)

 2015年、十文字姉妹(DASH・チサコ&仙台幸子)は女子タッグ史上初の四冠を保持し、海外進出を目前にしていた。「タッグ屋と言えば十文字姉妹」――。

まさにそんな名声を手に入れようとしていたところだった。しかし8月、妹の幸子が突然の寿引退を表明。チサコは猛反対したが、幸子の決意は揺るがなかった。

 絶望の淵で、チサコはひとりの先輩を訪ねる。長身でスレンダー、長い髪を背に流し、静かな笑みを浮かべる"ハードコア・クイーン"KAORUだった。

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【ハードコアとデスマッチの"美学"の違い】

 プロレスファン時代からハードコアに惹かれ、「いつかやってみたい」と思っていた。しかし仙女のスタイルには合わず、代表の里村明衣子は流血が苦手。あきらめかけていたが、十文字姉妹の解散を機に「本当にやりたいことをやろう」と決めた。

 どうせやるなら、一番うまい人に習いたい。そう考えてKAORUに「自分とタッグを組んでください」と懇願し、快諾される。KAORUは「見たらわかるでしょ」というタイプで直接教わることは少なかったが、映像で動きを盗み、一緒に闘いながらハードコアの闘い方と心得を学んだ。

「いつも『楽しんだほうがいい』って言われてました。内心は『楽しめないよ......』と思いながら(笑)。

でも、今でもその言葉を思い出します。怖いけど、やっぱり誰もやっていないことをやりたい」

 初めてハードコアのリングに立った日、チサコは衝撃を受けた。椅子を振り下ろす金属音は想像より鋭く、会場の空気を裂いた。テーブルは見た目よりはるかに硬く、衝撃は骨まで響く。ひとつ間違えば、自分も相手も致命傷――。そんな緊張感が全身を駆け巡った。観客の視線は熱く、同時に残酷で、試すようでもあった。

 チサコはハードコアとデスマッチの違いをこう定義する。

「椅子やテーブル、ラダーでどれだけ試合を作れるかを競うのがハードコア。デスマッチは自ら血を流しにいくもの」

 デスマッチが"いかに血を美しく流すか"を美学とするならば、ハードコアは"いかに血を流さずに試合を作るか"がテーマとなる。その奥深さに、チサコはのめり込んだ。

 2019年7月、仙女初のイギリス興行で、ケイ・リー・レイとハードコア形式で対戦した。

流血せずともスタンディングオベーションが起こったのを見て、「一生懸命やれば必ず伝わる」と思った。ハードコアの可能性を信じ、その世界を極めたい。海外で女子のハードコアを確立したいと考えている。

【女子プロレス】アジャコングから「お前、バカだろ」 ハードコア・クイーンことDASH・チサコは「みんながまだ行ったことのないところに行きたい」
身長151㎝の小さな体でパイプ椅子を叩きつけるDASHチサコ photo by センダイガールズプロレスリング

 椅子の置き方ひとつにもこだわり、リングに転がった椅子をあえて片付けず残し、不意の展開へとつなげる。高所から技を仕掛ける前は会場の構造を必ず確認する。緊張で眠れない夜もあるが、頭の中は常に新しい展開のことでいっぱいだ。

【3つのターニングポイント】

 ハードコアを始めてから10年。ターニングポイントとなった試合は3つある。それぞれが、DASH・チサコのプロレス人生の針を大きく動かした。

 ひとつ目は2020年3月7日、対KAORU戦。憧れの背中を追い続け、ようやく迎えたシングルマッチだった。勝利を収めた瞬間、胸の奥が熱くなる。試合後、KAORUに抱き締められ、耳元で「チサコがハードコア・クイーンだよ」と囁かれた。

心が震えた。

 ふたつ目は2022年11月20日。木髙イサミと組み、朱崇花(現VENY)&葛西純と対戦。やりたかった顔ぶれが揃った夢のカードだった。仙女ではほとんど行なわれないミックスドマッチ。緊張よりも、リングに立てる喜びが勝った。その時にチサコを仕留めた葛西とは、今年4月にタッグを組んで闘った。

 3つ目は2023年11月5日、アジャコングとの一騎打ち。全日本女子プロレス時代から数々のハードな闘いを繰り広げてきたアジャだが、意外にも"ハードコアマッチ"と銘打たれた試合は、この日を含めてわずか二度しかなかった。ひとつは2018年10月9日、志田光の自主興行でのタッグ戦。そして、もうひとつがこのチサコ戦である。

 カードが発表された瞬間、チサコは思った。

「自分だから受けてくれたのかもしれない」――。その誇りとともに挑んだ17分間。結果は敗北だったが、全身で受け、全身でぶつかり合ったその激闘は、観客にアジャの凄みとチサコの矜持を強烈に刻みつけた。

 身長151cmという小柄な体格が長年のコンプレックスだった。だが、高所からの一撃、椅子を持ち込む演出、会場全体を使った展開......小さくても存在感を放つ独自のスタイルを彼女は築き上げた。体のダメージは確かに大きい。それでも「小さいから負ける」と思ったことは一度もない。

 3つの試合が、DASH・チサコを真の"ハードコア・クイーン"へと押し上げた。あの日KAORUが囁いた言葉は、今も胸の奥で鳴り響き続けている。

【里村明衣子が引退し、選手が一致団結】

 2021年7月11日、仙女後楽園ホール大会の最後、マイクを持った橋本千紘は観客の前で涙を見せた。集客が思うようにいかなかったからだ。南側のオレンジシート――空席が悲しいほどに目立った。

 しかし4年後の今年7月19日、後楽園ホールは満員。

すさまじい熱気だった。しかも4月に里村が引退してから、初の後楽園ホール大会である。"新生・仙女"の勢いを誰もが感じた瞬間だった。

「里村が引退して、選手が一致団結したのはあると思います。みんな今まで頑張ってきたからようやく試合の評価をしてもらえるようになったけど、まだまだ知名度は低い。試合はもう絶対、大丈夫なんです。あとはお客さんが入ってくれるだけ」

【女子プロレス】アジャコングから「お前、バカだろ」 ハードコア・クイーンことDASH・チサコは「みんながまだ行ったことのないところに行きたい」
8月24日、アジャコングとのタッグでハードコアマッチに臨む photo by 林ユバ

 8月24日、仙女はゼビオアリーナ仙台大会を開催する。キャパシティ約5,000の大会場に勝負を賭けた。チサコはアジャコングと組み、世羅りさ&葉月組を相手にハードコアマッチで挑む。

 2023年にアジャとシングルで闘った時、勝ったアジャから「お前、バカだろ」と言われた。「オレもバカなんだよ。世の中、バカがいなけりゃ面白くねえから。

こんな面白いことはねえわな」――。最高のアジャコング、最高のDASH・チサコを見せつけられた試合だった。あのふたりが今度はタッグを組む。アジャの言葉を借りれば、こんなに面白いことはない。

「一斗缶とかはいつも使っているけど、アジャさんのハードコアマッチってここ何年も見たことがないですよね。その対戦相手だったり、タッグパートナーだったり、自分が選ばれたというのはすごく光栄です。『チサコでよかった』と思われるような試合がしたい」

【みんながまだ行ったことのないところへ】

 仙台で生まれ育ち、仙台でプロレスをしてきたが、2023年1月、チサコは東京に引っ越した。慣れ親しんだ土地に甘んじるのではなく、自分を変えるための選択だった。フリーになることも考えたが、団体との話し合いの末、仙女に所属したまま東京で活動する道を選んだ。

 東京に拠点を移したことで、活動範囲は一気に広がった。試合数が増え、交流するレスラーやスタッフの顔ぶれも変わった。プロレスの外でも、『さんたつ』(雑誌『散歩の達人』のWEBサイト)の飲み屋連載を通じて新しい読者層に届くようになった。チサコが紹介した酒場を"聖地巡礼"するファンも現れ、SNSではその様子が話題になる。女子プロレスのリングから少し離れた場所で、彼女の存在を知る人が増えていったのだ。

 東京で得た刺激は、やがて視線をさらに遠くへと向かわせる。リングの先に広がるのは、まだ見ぬ海外の舞台だ。

 目指すのは、WWEの名タッグ「ハーディー・ボーイズ」。実兄弟のマットとジェフが繰り出す連係は、荒々しくも美しい。とくにチサコが惹かれたのは、弟のジェフ。どんな高所からでも一瞬の迷いもなく飛び込む、その背中に痺れた。ジェフが空から落とし、マットが地上で仕留める――。その完璧な流れが、チサコの理想像になった。

「世界にはすげえ人がいっぱいいる。そういう人たちと試合をして勉強したい。Sareee、カイリ(・セイン)、イオ(イヨ・スカイ)......みんながまだ行ったことのないところに、自分が行きたいんです」

 その言葉は、未知の世界への宣言でもある。次の扉が開く音は、もうすぐそこまで聞こえている。彼女の挑戦は終わらない。

 ここから、さらに遠くへ――。

【プロフィール】

■DASH・チサコ(だっしゅ・ちさこ)

1988年8月24日、宮城県仙台市生まれ。2006年7月9日、センダイガールズプロレスリング旗揚げ戦にて、対ダイナマイト・関西戦でデビュー。2015年、妹・仙台幸子とのタッグ「十文字姉妹」で4冠を獲得。2017年12月17日、PURE-J認定無差別級王座を戴冠。2019年3月21日、女性初のKO-D6人タッグ王者となる(パートナーは里村明衣子&橋本千紘)。2024年11月17日、岩田美香を破り、センダイガールズワールドシングル王座を初戴冠。「ハードコア・クイーン」と呼ばれる。151cm、56kg。X:@dashchisako

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