甲子園名門校の歴代ベストナイン~県岐阜商編

 8月5日から始まった第107回全国高等学校野球選手権大会もいよいよ大詰めを迎えているが、この夏の出場校のなかから、これまで甲子園で数々の名勝負を繰り広げ、多くの名プレーヤーを輩出した名門校の「歴代ベストナイン」を、40年以上にわたり現場取材を続ける戸田道男氏に選出してもらった。

 今大会の準々決勝で春夏連覇を狙う横浜をタイブレークの末に破った県岐阜商。

創部100周年を迎える伝統校だけに、これまで多くの名選手を輩出してきた。果たして、「歴代ベストナイン」に選出された選手は?

県岐阜商 歴代ベストナイン

1 (二)高木守道
2 (遊)前原博之
3 (右)千藤三樹男
4 (左)和田一浩
5 (一)鍛治舎巧
6 (三)佐々木泰
7 (中)蔵本英智
8 (捕)石原慶幸
9 (投)清沢忠彦

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【先発マウンドは悲運のエース】

 野球部創部100周年を迎え、今大会が春夏通算61回目出場の名門・県岐阜商。1932年春の甲子園初出場以来、隣県・愛知と切磋琢磨しながら築いた「東海黄金時代」の一翼を担い、戦前は春3回、夏1回の優勝、春夏1回ずつの準優勝。戦後も春夏2回ずつの準優勝があり、全国にその名を知らしめた。

 この夏、準々決勝で優勝候補・横浜を撃破する大躍進であらためてその存在がクローズアップされた古豪の100年の歴史をひもとくと、数限りない名選手たちの活躍が浮かび上がってくる。

 今回、歴代ベストナインを選ぶにあたっては、戦前の「東海黄金時代」の名選手たちはあえて選考対象から外した。松井栄造、加藤三郎、近藤清ら甲子園優勝を経験しながら若くして戦火に散ったOBたち、戦後もプロ野球などで活躍した野村清(元毎日ほか)、大島信雄(元松竹、中日)、国枝利通(元中日)ら錚々たる面々まで含めた「オール県岐阜商」のベストナインはまたの機会に譲るとして、1950年代以降の「戦後派」だけでラインアップを組んでみよう。

 ピッチャーはもちろん人材豊富だが、戦後約80年の歴史の中からひとりを選ぶとしたら、やはり1956年春夏連続準優勝の清沢忠彦(慶大--住友金属)。左腕からテンポよく投げ込む快速球と大きなカーブを武器に、2年時の56年春から4季連続出場。3年時の1957年は主将も務め、夏の甲子園初戦で津島商工(現・津島北)相手にノーヒットノーランを達成した。

 2年時の春夏連続準優勝が物語るように、力投しながら栄冠に恵まれず。伝説の「早慶6連戦」(1960年)に投げた慶大時代も優勝には届かず、社会人・住友金属でも都市対抗で2年連続準優勝(1965、66年)。「非運のエース」と呼ばれ、現役引退後は春夏の甲子園で審判員も務めた。

 清沢をバックアップするのは、1971年春夏出場の左腕・堀勝典、1978年夏にベスト8入りのアンダースロー・野村隆司、1995、96年夏にエースを務めた大型右腕・関谷篤、1999年夏の甲子園に出場し、愛知大から日産自動車を経て広島、巨人で投げた左腕・青木高広、2年時の2006年夏の甲子園出場時は背番号5の野手だったが、法政大からJX−ENEOSを経てDeNAのリリーバーで活躍した三上朋也(現・オイシックス新潟)、2009年夏ベスト4の立役者で投打に活躍した山田智弘、2013年春に「春夏春3連覇」を目指した大阪桐蔭を破った時の左腕・藤田凌司、2015年春ベスト8で同年秋のドラフト1位でソフトバンク入りした高橋純平といった面々。多彩な顔ぶれの強力投手陣が出来上がる。

【夏の甲子園2025】快進撃の伝統校・県岐阜商の歴代ベストナインを選ぶ 悲運のエースから高木守道、和田一浩、今季ドライチまで
2020年夏の甲子園交流試合で本塁打を放つ佐々木泰 photo by Sankei Visual

【レジェンドだらけの野手陣】

 つづいてキャッチャーは、平成のNPBで大活躍した和田一浩、石原慶幸で争うが、強打の和田は外野に回し、石原にマスクをかぶってもらおう。

 ファーストは、昨年夏まで監督を務めた大御所・鍛治舎巧。1969年春の甲子園出場時は投手ながら選抜通算100号の記念本塁打をマークした強打者。早稲田大、松下電器でも長く野手として活躍した。

 セカンドは、圧倒的な存在感を放つレジェンド・高木守道が守る。1959年春準優勝の主将で、中日入りして通算2274安打を放ち、のち監督も務めた輝かしい経歴は説明不要だろう。

 ショートには中日のバイプレーヤーで活躍した前原博之を据え、サードは今季ドラフト1位で青学大から広島入りしたルーキー・佐々木泰を抜擢した。

 外野手は、NPB通算19年で2050安打、捕手から外野手に転向して打撃開眼した和田一浩(元西武ほか)がまず確定。2年時の1964年夏ベスト4の6番打者を務め、1970年代後半の日本ハムで中軸を打った左の強打者・千藤三樹男が2人目。最後のイスは、名城大を経て中日入りし守備の名手で知られた英智(蔵本英智)に託せば、ぐっと厚みが増す。

 歴史的な快進撃を見せる現チームから、ハンディを克服する強打者・横山温大らも加えたいところだが、それはまた少し年月を置いてからの次代の選考に委ねるとしよう。

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