MLBのサムライたち~大谷翔平につながる道
連載05:吉井理人
届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第5回は、満を持して海を渡った吉井理人を紹介する。
【指針となった近鉄のふたりの先輩】
アメリカへの憧れがあった。
和歌山の箕島高校から1984年に近鉄バファローズに入団した吉井理人。その思いが芽生えたのは入団してまだ、間もない頃だった。
「きっかけは1986年の日米野球です。近鉄のクローザー、石本貴昭さんが結構打たれて、『石本さん、こんなに打たれるのか。すごい世界があるんやな』と思ったんです。いつか、そこでプレーしてみたいと思うようになって。当時は、まだ一軍で1勝も挙げてなかったんですけど(笑)」
部屋に飾ったポスターは、「ロケット」と呼ばれたロジャー・クレメンス(元ボストン・レッドソックス他)。高い目標を掲げたことで吉井は成長、1988年には近鉄のクローザーとなり、1993年からは先発へと転向する。
そして吉井がFAとなってヤクルトへと移籍した1995年、近鉄の後輩である野茂英雄が、ロサンゼルス・ドジャースへと移籍する。
「野茂の実力やったら、やれるだろうなとは思ってました。
ヤクルトでは3年連続で2ケタ勝利をマークし、先発投手としての自分の価値を上げた。そして1997年のシーズン終了後に再びFAとなって、今度は日本の球団ではなく、ニューヨーク・メッツと契約を結ぶことができた。
日本からアメリカに渡って、吉井はいろいろな苦労をした。まだ、日本人メジャーリーガーが少ない時代、情報が少なかったこともある。たとえば、スプリングトレーニングで戸惑ったのは公式球の違いだった。
「97年のシーズンが終わってからは、メジャーリーグのボールでキャッチボールしたり、準備はしていました。でも、メジャーリーグの球は品質が一定していないというか、大きさも一つひとつが微妙に違ったり、日本のしっとりしているボールと違って、滑りやすい。そうすると、どうしても球が上ずってしまうんです。結果的に余分な力が入ってしまうので、右肘と前腕に張りが出ました」
頭ではわかっていても、実際に体験してみないとわからないことがあるのだ。その時は、徐々にボールに慣れていったのと、トレーナーからの指導で痛みは和らいだが、あらゆることに適応しなければ生き残れなかった。
【32歳のルーキーが足場を固め2年目に開花】
32歳のオールドルーキーにとっては、開幕ローテーションは約束されたものではない。メジャーリーグでは、開幕時は年俸順にローテーションのスポットが決まっていくことが普通で、吉井はオープン戦で実力を証明する必要があった。
当時、地元の『ニューヨーク・タイムズ』紙には、「吉井はピッチングよりも部屋探しに苦労している」という記事が出たが、ローテーション入りに必死だった吉井にとっては、生活を整えるほうが苦労が多かったという。
「アメリカでは『社会保障番号』がないと、ライフラインも引けないし、クレジットカードも持てないんです。いろいろ苦労はしました」
なんとか5番目のスポットを実力で手に入れ、4月5日のピッツバーグ・パイレーツ戦で初先発すると、7回無失点の好投で初勝利。幸先のよいスタートを飾った。そして5月21日のシンシナティ・レッズ戦で完投勝利、6月28日、ニューヨーク・ヤンキースとの「サブウェイ・シリーズ」で7回10三振を奪う好投でアメリカでの足場を固めた。
1年目は6勝8敗と負け越したものの、29度の先発登板を果たした。
「アメリカでは、ローテーションを守ってこそ先発として認められるわけです。夏場に中4日を守っていくのは、骨が折れました」
このオフに、吉井はメッツと新たに2年契約を交わしている。実力を認められた形だった。
1999年、メッツでの2年目は12勝8敗と好成績を残し、このシーズンはアリゾナ・ダイヤモンドバックスとの地区シリーズで先発。
しかし、年明けにコロラド・ロッキーズへのトレードが決まる。当時、メジャーリーグはパワーバッター全盛の時代で、しかも標高1600m地点にあるコロラドは、ボールが飛ぶことで有名だった。吉井はローテーションを守ったものの、6勝15敗、防御率は5.86と思ったような結果を残せなかった。
そして2001年にはモントリオール・エキスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)へ移籍し、2シーズンプレー。ブルペンも経験したが、37歳のこのシーズンを最後に、アメリカを離れることを決意。帰国後はオリックスなどでプレーした。
引退後は筑波大学で学ぶなどして、指導者への道へ。2023年からは千葉ロッテの監督に就任した。
ロッテでは、佐々木朗希(現ロサンゼルス・ドジャース)をはじめ、海外志向の強い若手投手の育成には、細心の注意を払ってマネージメントしてきたことがうかがえる。それも自身のアメリカでの経験からの導きではないか−−そんなことを感じさせてくれる監督だ。
【Profile】よしい・まさと/1965年4月20日生まれ、和歌山県出身。
●NPB所属歴(18年):近鉄(1985~94)―ヤクルト(1995~97)―オリックス(2003~07途)―千葉ロッテ(2007)
●NPB通算成績:89勝82敗62セーブ(385試合)/防御率3.86/投球回1330/奪三振763
●MLB所属歴(5年):ニューヨーク・メッツ(ナ/1998~99)―コロラド・ロッキーズ(ナ/2000)―モントリオール・エクスポズ(2001~02) *ナ=ナショナル・リーグ
●MLB通算成績:32勝47敗(162試合)/防御率4.62/投球回757.1/奪三振447