【短期集中連載】
若かりし角田裕毅の素顔03(全5回)前編
「2020年:FIA F2」
◆角田裕毅の素顔01から読む>>「中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに速かった」
2020年、角田裕毅は19歳でFIA F2にステップアップを果たした。渡欧からわずか1年でF1直下のカテゴリーに上がり、「カーリン」というトップチームでいきなりタイトル争いを繰り広げることになった。
実はもう1年、角田はFIA F3を戦ってF3チャンピオンを目指すという方針だった。しかし、それを覆してのF2昇格。結果的にそれが、F1デビューに向けた決定的な足がかりとなった。
F1ドライバー角田裕毅がどのようにして形づくられていったのか。それを間近でつぶさに見てきた元ホンダのF1マネージングディレクター山本雅史とともにひも解いていく。
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── 渡欧初年度、角田選手は初めてのFIA F3でチーム力不足に苦労しながら、モンツァでは優勝しました。しかし翌シーズンは、F3のカテゴリーをもう1年続けるのではなく、FIA F2にステップアップすると決めました。それはなぜだったのでしょうか。「夏休み明けに『来年はどうしようか』と考え始めた時、クリスチャン(・ホーナー/レッドブル代表)とフランツ(・トスト/アルファタウリ代表)からこう言われました。
『角田はいいドライバーだから、ちゃんと育てろ。来年はF3でトップチームに乗せて、チャンピオンを獲りにいけ』
特にフランツからは強く、そう言われました。でも、僕はトレバー・カーリン(カーリン代表)のところに行って『来年(カーリンで)角田をF2に乗せたいんだけど』って勝手に相談したんです」
── レッドブル側としてはリアム・ローソンと同じように、角田に「もう1年、FIA F3をやらせる」つもりだった。
「(2017年に)マクラーレンと揉めた直後だったので、僕のなかでは『ホンダがいつF1から撤退してもおかしくないから、もう時間がない』という思いがあって......。そんな悠長なことは言っていられないぞと」
【角田のF2昇格を説得できた理由】
── それでどうされたのですか。
「そもそも、F2にもまともに乗れないようでは、F1に乗ってもしょうがないんだから。そんな勝手な考え方で、クリスチャンに『目標はF1に乗せることだし、こんな弱小チーム(イェンツァー)でF3で勝っちゃうんだからF2だって乗れるはず。それが無理ならF1だって無理だ』って言ったんです。
すると、クリスチャンは『それも一理あるな。じゃあ、ヤマモトがヘルムート(・マルコ/レッドブル・モータースポーツアドバイザー)と話をすればいい』って言ってくれて。それで、勢いのままマルコさんのところに行って、『来年はF2にしましょう!』って言いました。
マルコさんも最初はキョトンとしていたけど、クリスチャンに言った同じことを説明しました。そのくらいの順応性がないドライバーなら、僕とマルコさんで話していた『F1の表彰台の真ん中に日の丸を掲げる』なんて無理でしょ?って。そう主張したら、マルコさんが『じゃあF2にしよう』って言ってくれたんです」
── 2020年、角田選手はF2に昇格することになりました。
「マルコさんと部屋で一緒に見ていて、『いきなり勝っちゃう?』と盛り上がりましたね。決勝では角田の無線が壊れていて、サインボードも見ていないからピットストップのタイミングが遅れて優勝できなくて......。あとでマルコさんにメチャクチャ怒られていました(苦笑)。
当時のレッドブルジュニアではジェハン・ダルバラ(カーリンでのチームメイト)のほうが格上だったんですけど、実際に走りを見てマルコさんやクリスチャンも、『裕毅はスピードがあるね!』って盛り上がっていた。本当にすごかったですね。
F3から1年でF2に昇格させることに最初は反対していた人たちも、『F2にしてよかったね』と言ってくれました。無線が壊れていなければ勝っていたでしょう。だけど個人的には、あそこで勝たなくてよかったんじゃないかと思っています。
もちろん残念ではあるけど、あそこで勝って調子に乗ると、彼は人生を舐めてしまっていたかもしれない。『F2なんて余裕ですよ。
(つづく)
◆角田裕毅の素顔03後編>>「F2最終戦でF1昇格を決める天性の底力」
【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所(Honda R&D)に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。