【短期集中連載】
若かりし角田裕毅の素顔03(全5回)後編
「2020年:FIA F2」
◆角田裕毅の素顔01から読む>>「中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに速かった」
◆角田裕毅の素顔03前編>>「F2デビュー早々に勝っていたら人生を舐めていた」
2019年に初めて乗ったFIA F3をわずか1年で卒業し、2020年はF2に戦いの舞台を移した角田裕毅。あまりにも急なスピード昇格に、当初は反対する声も多かったという。
しかし、新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れた2020年7月の第2戦、角田はいきなりポールポジションを獲得。決勝でもトップを走り、あわや優勝という快走を見せる。
その後も、角田の快進撃は止まらない。終わってみれば、FIA F2初年度でランキング3位。元ホンダのF1マネージングディレクター山本雅史に、その当時の衝撃を話してもらった。
※ ※ ※ ※ ※
── 前年度のカーリンは、ホンダの育成枠から離れた松下信治選手が独自に所属していたものの、苦戦していた印象が強かったです。それだけに2020年のカーリン復活劇は驚きでした。「当時のカーリンはインディなどもやっていて、トレバー(・カーリン/カーリン代表)もF2には来ないくらい疎(おそろ)かになってしまっていたんですね。彼がいないと現場のまとまりも悪かった。だから『今年は角田にチャンピオンを獲らせにいくんだから、トレバーが現場に来てくれ』って、カーリンのファクトリーまでお願いしに行ったんです」
── 結果的に2020年の角田選手は3勝、表彰台7回。ランキング3位となりました。
「F2ですごく印象に残っているのは、(ニキータ・)マゼピンとのバトルですね。
特にスパ・フランコルシャンでの優勝争いがそうでしたね。ケメルストレートエンドでのバトルで、結果的にマゼピンがペナルティを受けて、角田が繰り上がり優勝になりました。
『よくやった! おまえが優勝だよ』って褒めたんだけど、本人は全然喜んでいなくて。『抜いて勝ったわけじゃないから、僕としてはしっくりこない』と言っていました。だけど、最後のバーレーンではマゼピンを押しのけて勝っているんです。『本当に土壇場で強いドライバーだな』というのが、このF2での角田の印象ですね。
F3の時はまだ、学びの場としての位置づけだった。だけどF2では、常にトップ争いをしていて本当にすごいなと思いました。土壇場でスイッチが入って力を発揮する強さがありました」
【ホンダのF1撤退は知っていた】
── この2020年の活躍で、角田選手はスーパーライセンスを取得する基準を満たし、2021年のF1デビューにつなげました。レッドブルとの話し合いのなかで、角田選手のF1昇格が具体性を帯びてきたのは、いつ頃だったのでしょうか?
「開幕早々にあんな調子だったから、僕はこの時とばかりに(ヘルムート・)マルコさん(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)に『今年、スーパーライセンスが取れたら、来年アルファタウリで走らせましょう!』って言って最初に約束したんです。
僕のなかでは、夏頃からF1昇格としか思っていなかったですね。ライセンスが取れるか取れないかじゃなく、『ライセンスを取ってF1に行こうぜ!』くらいの勢いでした。
あの時はもう、2021年末でホンダがF1から撤退することが決まっていて、そのことを僕はすでに聞いていました。2020年の10月に発表することになるんですけど、だからこそ何が何でも角田をF1に乗せたかったし、マルコさんとはその話ばかりでした」
── やはりドライバー人事や育成に関しては、マルコさんとの話し合いが中心だったのでしょうか。
「当時はマルコさんがすべてを決める権限を持っていましたから。クリスチャン(・ホーナー/レッドブル代表)やフランツ(・トスト/アルファタウリ代表)が何を言おうと、僕とマルコさんで決めたことはすべてそのとおりになりました。
何かあればマルコさんに連絡するし、そうすればマルコさんはすぐに動くし、そうするとすぐに(何かが)変わります。そういうマルコさんの力をうまく使って、角田にとって動きやすい環境を作ってあげるというのが大きかったと思います。もちろん、最終的には本人の努力ですが」
── しかし、シーズン中盤戦はカーリンも苦戦を強いられ、スーパーライセンス取得はなかなか決めきれませんでした。
「あの年はコロナの影響で、最後にバーレーンで2週連続開催だったんですけど、実は1週目のバーレーン(ライセンスポイント40点)でスーパーライセンス取得が確定したら、最終戦アブダビGPのFP1で角田をアルファタウリに乗せようと、マルコさんと約束していたんです。
でも、フランツはものすごく反対していました。『FP1じゃなくて、テストで走らせればいいじゃないか』と。ただ、角田は予選でスピンして最後尾からのスタートになってしまったので、ライセンス獲得が決められなかった。
FP1の話は本人にまだ伝えていなかったと思うけど、スーパーライセンス取得のプレッシャーもあったのでしょう。
【初めてのF1マシンは速すぎる】
── そのプレッシャーのかかる最終戦で、角田選手はポールポジションを獲得し、見事にポールトゥウィンを飾る勝負強さを見せました。
「その土壇場で優勝して、スプリントレースも2位ですからね。瀬戸際で結果を出せるドライバーだという強さをしっかりと見ておいてあげなきゃいけないなと、あの時に痛感しました。
ハンガリーのF3テスト(※)も3日目にトップタイムでしたしね。その底力とか、ここ一番での速さの引き出し方が、F2の最終戦でもしっかりと発揮できた。あそこでランキング3位を決めたことで、F1昇格が決まりましたね」
※2018年にヘルムート・マルコの提案でテストが行なわれ、この結果によって角田はレッドブルジュニアドライバーに選出されることになった。
── バーレーン最終2連戦の前、2020年11月4日にはイモラで角田選手が初めてF1のテストを行なっています。
「その日の夜に電話をくれて、開口一番が『山本さん、ヤバいですよ。F1は速すぎる』でしたからね。どのくらい速いのかって聞いたら、『F2からF1の間に、ふたつくらいカテゴリーがあってもいいくらい速いです。加速とブレーキングがヤバくて、もう、首が持ちません』って。
でも、そこから角田はトレーニングをハンパなくやっていました。
(04につづく)
【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所(Honda R&D)に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。