木村沙織 インタビュー
海外挑戦 前編(全2回)

 木村沙織の海外挑戦は、注目度が破格だった。女子バレーボール日本代表の主力として2012年ロンドン五輪でメダルを獲得した直後、「1億円プレーヤー」として脚光を浴びた。

世界の一流選手を集めたトルコリーグで木村は2シーズンを過ごしている。

 その1年目、強豪ワクフバンク・テュルクテレコム(当時)では、なんとチャンピオンズリーグ、トルコリーグ、トルコカップとタイトルを総なめ。そして2年目、ガラタサライでも挑戦し続けた。

 東レアローズでは4度の優勝も経験するなど日本女子バレーボールですべてを勝ち獲ったと言える木村にとって、海外挑戦とは何だったのか?

 今や日本の女子選手の海外挑戦が珍しいことではなくなっている。石川真佑、関菜々巳、福留慧美がイタリア、小島満菜美がアメリカで研鑽(さん)を積む。2024年にSVリーグ誕生し国内のバレーボール界が活気づくなか、選択肢が広がったと言えるだろう。

 そこで、今回は木村に"海を渡る決断"について語ってもらった。

【女子バレー】「ボールを託される選手になりたかった」木村沙織...の画像はこちら >>

【ロンドン五輪後に引退していたかも......】

ーー木村さんはロンドン五輪で28年ぶりのメダル獲得という大きな仕事をやり遂げました。それが新たな挑戦のきっかけになったのでしょうか?

木村沙織(以下同) 正直に言えば、「まさか、自分が海外にチャレンジするとは......」と思っていました。じつはあまり興味がなかったですし、海外でプレーすることに重きを置いていなかったんです。ロンドン五輪前に契約を済ませていたので、海外に行くことになったんですけど、もし決まっていなかったら、五輪後のタイミングで引退していたかもしれません。

ーー当時は「1億円プレーヤー」として騒がれましたが、海外挑戦はひとつの導きだったんですね。

 ずっと東レアローズにいて、リーグで優勝させてもらって、代表として目標にしていた五輪のメダルも達成できました。

そこで、何が足りないかと考えた時、これまでに海外での経験はないと思い当たりました。日本とは違った海外のバレースタイルを見たかったし、経験したいという気持ちがありました。

【もの足りなさがあった海外1年目】

ーー世界各国のクラブからオファーを受けたそうですが、ワクフバンクに決めた理由は何だったんですか?

 やっぱり、監督がイタリアのジョバンニ・グイデッティさん(※当時すでにチャンピオンズリーグ優勝を経験していた名将)だったのは大きかったです。彼の下でやってみたいなと思っていたし、当時代表コーチだった川北元さんが同じタイミングでコーチになるというのもあって、近くに日本人がいたら助かるというのも決め手でした。いつも誰かに背中を押されているな、というか、いつも助けてもらっているなと感じます。

ーー五輪でのメダルは悲願だったはずで、燃え尽き症候群ではないですが、五輪直後の異国での挑戦は大変ではなかったですか?

 たしかに、すぐに次の五輪というのは考えられなかったです。先に契約していたからこそ、経験できたことだったと思います。トルコに行った当時は「レギュラー争いを頑張るぞ」という気持ちにはなりきれていなかったかもしれません。

 各国のエースが集まるチームに入れてもらって、「練習でこの選手のスパイクを受けられるんだ」ってすごく楽しかったです。でも、すごい選手たちを前に「自分が勝ってやる」というまでの気持ちにはならなくて。

ーー成績を見れば、過去のどの日本人選手にも比類がないチャンピオンズリーグ優勝、トルコリーグ優勝、トルコカップ優勝とタイトル総なめです。

 すごくいい経験をさせてもらったと思っています。ただ自分はチームの一員ではあったけれど、主力選手ではありませんでした。

チャンピオンズリーグ、トルコリーグ、トルコカップと試合は経験させてもらいましたが、もの足りなさはありましたね。そこでもう1年、チャレンジしてみようという気持ちになりました。

【思い出した「木村沙織」の姿】

ーー世界トッププレーヤーとしての負けじ魂というか、欲が湧いてきたんですね?

 このまま日本に帰っても何にもならないなと思ったんです。経験は大事だけど、ただ経験したと言っていられる年齢ではなかった。「このままじゃ帰れない」って気持ちが強かったです。

 そこで、イタリア人のマッシモ・バルボリーニさんという違ったタイプの名将に声をかけてもらった時、もう一回頑張ってみようって。1年目のワクフバンクではほかの選手に遠慮してちょっと譲っていたところもあったんです。

 ロンドン五輪のあとに合流したので、スイッチが入るのが遅くて。主力はすでに決まっていて、「よっしゃ、頑張ろう」とポジション争いに割って入る気持ちもなかなか湧いてきませんでした。

 チームの一員としてサポートしようという気持ちはあったけど......そこでガラタサライのマッシモ監督と話して、木村沙織という日本人プレーヤーとして頑張らないといけないという気持ちになって。もう1年、トルコに残ることにしました。

ーー次なる挑戦となったガラタサライはいかがでしたか?

 もう一回、木村沙織という選手の姿を見せたいって思いました。

チームも全然違ったし比べるのは難しいんですが、ガラタサライはワクフバンクに比べると、大人のチームだなと感じました。

 チームには長くやっていたイタリアのエレオノーラ・ロビアンコ(※2000年代を中心に活躍した欧州最高のセッター)というベテランのセッターがいて、彼女とのコンビは楽しかったです。

 ワクフバンク時代が楽しくなかったわけではないんですが、素直に「バレーボールはやっぱり楽しい」と思うことができました。試合に出る楽しさというか、「大事なボールをレオ(ロビアンコ)が託してくれる」という感覚がうれしくて。自分はボールを託される選手になりたかったんだよなって思い出しました。

後編につづく

【profile】
木村沙織 きむら・さおり/1986年生まれ、東京都出身。2003年、アジア選手権で代表デビュー。2005年、東レアローズに入団。2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得。2012年に世界最高峰リーグであるトルコの「ワクフバンク」に移籍し、ヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝を経験。2016年リオデジャネイロ五輪でキャプテンとしてチームを牽引した。2017年に引退。

現在は、子育てとともにメディア出演などマルチに活躍する。夫は元バレーボール選手の日高裕次郎氏。

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