【現地レポート】
パリ五輪で銅メダルを獲得した女子バドミントンの志田千陽/松山奈未(再春館製薬所)、通称シダマツがペアとして最後の世界選手権に臨んだ。昨年の五輪でもプレーしたパリの会場で、準決勝敗退に終わり、奇しくも同じ銅メダルを手にしている。
【最後まで本気で世界の頂点を目指した】
明るい輝きを放った名ペアが、挑戦に終わりを告げた。
パリで開催された世界バドミントン選手権2025が、8月31日に閉幕。この大会を最後にペアを解消する女子ダブルスの志田千陽/松山奈未(再春館製薬所)は、世界選手権では初の銅メダルで大会を終えた(3位決定戦はナシ)。
準決勝で敗れた直後にコートで涙を見せた松山は、「うーん、これで終わりか......という。決勝(を戦い)、優勝したかったなという気持ちでした」と思いを明かした。ふたりで臨む最後の大会が"お披露目"や"挨拶"の場ではなく、最後まで本気で世界一を目指した挑戦の場だったことが強く伝わってきた。
約1年前、同じポルト・ド・ラ・シャペル・アリーナで行なわれたパリ五輪で銅メダルを獲得。その後の目標に定めたのが、この世界選手権だった。しかし、ペア解消を決めたことから分かるように、最大目標だった五輪を終えた後は、モチベーションの維持が容易でなかった。
だから志田は「五輪が終わってからここに来るまで、自分たちのなかでも難しさがあった。ここまで一緒に頑張って、表彰台に戻って来れたというのは、我ながら立派なことだと思います」と胸を張った。ただ決勝戦後の表彰式では、ふたりとも金メダルを喜ぶ中国ペアを見て悔しさを感じたと話し、それぞれが競技生活に対し、強い意欲を取り戻していることがうかがえた。
志田が高校1年、松山が中学3年の2014年にジュニアナショナルチームで初めてペアを組み、11年にわたってともに活動してきたふたりは、今も世界のトップを争える力を持っている。
では、なぜペアを解消するのか。
【ペア解消の理由は、パリ五輪後の意識の違い】
集大成として臨んだパリ五輪を終え、目指す先への意識に違いが生まれたからだ。五輪で燃え尽きた松山は、休養を希望し、25年1月は国際大会を欠場した。2月から話し合いの場を持ち、4月にペア解消を決断。明らかになったのは、日本での最後の戦いとなったダイハツジャパンオープンの直前、7月の記者会見だった。
「私自身は、五輪の結果に満足しているものの、どこか心残りがあり、やっぱり女子ダブルスで世界一になりたいという思いが強くあり、まだまだコートに立ち続けたいという思いを話しました」と、志田は挑戦を続ける意思を表明した。
一方、松山はパリ五輪銅メダルの結果を受けて「とても悔しく、でも、どこか納得していた自分もいて。これ以上、強くなる自分を想像することができず(ペアを)解消することを決意しました」と自身の選択によるものであることを明言。また、これまで以上に意欲を保てないと感じたことから「志田さんの、もっと高みを目指して、世界一を目指したいという目標を壊してしまうことがとても怖く、解消することが互いの未来のために必要な第一歩だと考えました」とパートナーへの配慮を含めた決断だったことを明かした。
3月の全英オープンを制した後、それぞれにインタビューをした際、志田は元々、パリ五輪を最後に引退する考えだったことを明かした。海外のライバルに勝ち切れず満足できないことや、自身のプレーを楽しむファンや仲間の存在に気付いたことが、現役続行の理由だと説明したが、その際に「まさか逆の立場になると思わなかった。分からないものだね、という話をした」と意欲の継続に苦しむ松山を気遣っていた。
女子ダブルスで世界一に挑戦し続ける志田と、一定の結果にどこかで納得していた松山は、別々の道を選ぶことになった。
ともに味わってきた苦楽と紆余曲折──。ふたりが社会人で正式にペアを組んだのは、2017年。志田が所属していた再春館製薬所に1学年下の松山が入社。当時は強豪チームの若手ペアにすぎず、経験を積みながら成長する道を描いていた。しかし翌18年に主力選手の移籍により、急きょチームのエースペアを担うことになった。
女子ダブルスは、日本が最も分厚い選手層を誇る種目だ。国内リーグでは、世界でも上位の実力を誇る日本代表の相手に敗れる悔しい日々を送った。"実力不足のエースペア"は、チームを勝たせることができず、自信を失っていた。しかしチームの先輩であり、ロンドン五輪銀メダリストの藤井瑞希、垣岩令佳らのサポートを受け、藤井からは「エースとは何か。必ず勝つ、という前に、仲間があの選手で負けたら仕方がないと思える存在」と金言を受け、実力と役割のギャップの中でもがきながら成長を続けた。
【国際大会では重圧と経験不足に苛まれた】
少しずつ力をつけたふたりが日本A代表に入ったのは、2020年。
しかし、またも経験不足がふたりを苦しめた。2021年はコロナ情勢に対する各国の足並みがそろわず、いずれかの強国が参加していない状況だったが、2022年になるとライバルもコンディションを上げてきた。
またパリ五輪に出場することを目指すなら、世界ランク上位でいるだけでなく、国内で2番手以内に入らなければならなかったが、東京五輪に出場した福島由紀/廣田彩花、松本麻佑/永原和可那がパリ五輪への再挑戦を表明したため、志田/松山は2組を追い抜かなければならなくなった。2022年に東京で開催された世界選手権では、勝負どころの準々決勝で完敗。さらに翌週のダイハツジャパンオープンは初戦敗退に。
結果が欲しい舞台では、圧力に押しつぶされて苦しんだ。
(つづく)