連載・平成の名力士列伝55:栃乃洋
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、12個の金星を挙げた「大物食い」として名を馳せた栃乃洋を紹介する。
連載・平成の名力士列伝リスト
【相撲どころ出身のアマ王者から腰の重さを武器に幕内へ】
腰が重く、左を差しての下手投げや掬い投げが強烈。左ハズ、右おっつけでの押しも力強く、史上2位となる12個の金星を獲得した栃乃洋は、平成時代中期の土俵で「大物食い」として存在感を示し、長く幕内で活躍した実力者だった。
昭和49(1974)年生まれで、横綱・輪島や関脇・舛田山らを生んだ石川県七尾市石崎町出身。幼い頃から体が大きく、相撲どころとあって早くから廻しを締めた。七尾商業高校(現・七尾東雲高校)から拓殖大学へ進み、3年で学生横綱に輝くなど4年間で6タイトルを獲得。郷里の先輩、千賀ノ浦親方のいる春日野部屋に入門して、平成8(1996)年1月場所、幕下最下位格付け出しで初土俵を踏んだ。
入門当時、大いに注目されたのが、1場所遅れて初土俵を踏んだ出島(現・大鳴戸親方)とのライバル関係だ。同じ石川県出身の同学年で、幼い頃から競い合った。高校3年時には、金沢市立工業高校の出島らとともに地元・石川県で行なわれた国体少年の部に石川県チームとして出場し、団体優勝を達成している。個人戦での高校時代の実績は高校横綱・出島のほうが上で、栃乃洋は無冠。しかし、大学時代に入ると栃乃洋が頭角を現し、学生横綱に輝くなど6タイトルを獲得。
そんなふうに切磋琢磨してきた出島と、大相撲の世界でも競い合って番付を上げ、所要5場所で新十両となり、本名の後藤から栃乃洋と改名した平成8(1996)年11月場所で十両優勝。平成9(1997)年5月場所で新入幕を果たすと、幕内2場所目の7月から2場所連続で敢闘賞に輝き、11月場所で新小結。ここまで負け越しなしの11場所連続勝ち越しという快進撃だった。出島も栃乃洋とほぼ同じペースで番付を上がり、栃乃洋が新小結の同年11月場所には新関脇に昇進している。
新小結の場所で初めて負け越して平幕に落ちた栃乃洋だが、その後は、「大物食い」として存在感を高めていく。平成10(1998)年1月場所5日目、横綱・曙を下手捻りで破って初金星を獲得すると、5月場所でも再び曙から金星。さらに、若乃花から新横綱の同年7月、9月と2場所連続で金星を奪い、5場所で4つの金星を荒稼ぎした。
腰が重く、得意の左を差せば横綱・大関に寄り立てられてもしぶとくこらえてなかなか俵を割らず、下手投げや掬い投げで仕留める。上位にとっては厄介な存在との評価が高まった。
【ケガで苦しむも最後まで大物キラーぶりを発揮】

ただし、金星を奪った場所はいずれも負け越して殊勲賞を獲得できず、三役にもなかなか戻れずにいるうちに迎えた平成11(1999)年5月場所、若乃花から金星を奪ったものの左ヒジを負傷して途中休場。公傷全休となった7月場所、出島が関脇で初優勝し、大関に昇進した。
しかし、焦る気持ちを抑えて治療に専念して鍛錬を続け、平成12(2000)年1月場所は負け越したものの、12日目に優勝争い単独首位の曙から価値ある金星。平成13(2001)年1月場所では約3年ぶりに小結に復帰し、千代大海、魁皇、雅山の3大関を破って9勝6敗。腰の重さや左差しの攻めだけでなく、左ハズ右おっつけで前に出る力強い相撲も光って、初の技能賞に輝いた。そして、念願の新関脇に昇進した3月場所、前場所覇者の横綱・貴乃花を3日目に寄り切って土をつけて勝ち越し、初の殊勲賞を手にした。
その後も幕内上位で活躍し、平成15(2003)年11月場所では朝青龍と武蔵丸から金星を挙げて2回目の殊勲賞に輝くなど相変わらずの「大物食い」ぶりを発揮。ケガの影響で平成18(2006)年1月場所には連続52場所保った幕内から陥落したが、13勝2敗で9年2カ月ぶりの十両優勝を果たして復帰。平成20(2008)年7月場所には朝青龍を押し倒し、34歳4カ月にして12個目の金星を獲得した。14個の安芸乃島に続き、高見山と並ぶ史上2位の記録だ。特定の横綱を得意にしたのではなく、曙、若乃花、武蔵丸、朝青龍からそれぞれ3個ずつとまんべんなく奪っているのも確かな実力の証と言えよう。
平成21(2009)年にライバル出島が引退したあとも土俵に上がり続け、平成24(2012)年1月場所、東十両8枚目で14日目に11敗目を喫して幕下陥落が濃厚になり、千秋楽の取組前に引退を表明して年寄竹縄を襲名。以来、春日野部屋付きの親方として後進の指導にあたっている。審判委員も長く務め、同じく審判委員を務める元出島の大鳴戸親方とともに、土俵下から目を光らせている。
甥(姉の子)の池田俊は、金沢学院大学から社会人のソディックに進み、令和5(2023)年、6(2024)年2年連続アマ横綱に輝き、世界選手権個人無差別級も制した実力者。大相撲の世界へは進まずにいるが、叔父さん譲りの腰の重さを武器に、アマチュア相撲の世界で第一人者として活躍している。
【Profile】栃乃洋泰一(とちのなだ・たいち)/昭和49(1974)年2月26日生まれ、石川県七尾市出身/本名:後藤泰一/所属:春日野部屋/しこ名履歴:後藤→栃乃洋/初土俵:平成8(1996)年1月場所/引退場所:平成24(2012)年1月場所/最高位:関脇