学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【ラグビー】五郎丸歩インタビュー後編(全3回)
◆五郎丸歩・前編>>「高校生らしい楽しい思い出はひとつもなかった」
◆五郎丸歩・中編>>高校時代にラグビー部で得たものは「技術うんぬんよりも...」
高校時代は佐賀工業で「花園優勝」を目指していた五郎丸歩。憧れの舞台で頂点をつかむことはできなかったが、次なるステップで黄金期を迎える。選んだ道は、早稲田大学。名将・清宮克幸監督の率いる赤黒ジャージーに五郎丸は袖を通した。結果、関東対抗戦で4連覇を達成し、大学日本一に3度輝く。優勝することの喜びを何度も味わい、そして日本代表として世界に羽ばたいていった。
五郎丸は大学4年間での部活で、どんな刺激を受けて成長したのか。早稲田大での思い出を語ってもらった。
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── 五郎丸さんは高校卒業後、清宮克幸監督に誘われて早稲田大に入学しました。まずは大学に入って、一番ショッキングだったことは何ですか?
「すべてが新鮮でしたが、田舎から出てきた身なので、まずは電車通学がきつかった(笑)。ラグビー面ではグラウンドや寮など設備が整っていることに驚きましたが、最初は練習についていくことに必死でしたね。
── 早稲田大時代は清宮監督と中竹竜二監督に指導を受けて、4年間で大学日本一に3回輝きました。
「関東対抗戦はすべて勝つことができましたし、負けたのは大学3年時の関東学院大戦だけ。それだけの準備をしてきたと自負しています」
── 入学した当初、清宮監督から言われたことはありますか?
「当時は体重が80kgくらいしかなかったので、清宮監督からは『スピードが落ちてもいい。走れなくなってもいい。まずは体を大きくしろ』と言われました。監督がそう言ってくれたので、まずは体を大きくすることを第一に『隙があれば食べる』という感じでしたね。
でも、学生なのでお金はあまりなかった(笑)。よって最終的には『寮で炊いてあるご飯をいかに食べるか』という感じでしたね。大学に行く時におにぎりを持って行って食べて、夕食もしっかり食べて、さらに寝る前に一回食べて......。1年間で92kgまで増やすことができ、卒業する頃は97~98kgになりました」
【先輩についていくことに必死】
── 清宮監督のラグビー指導で衝撃を受けたことは?
「早稲田大の練習では、科学的なことをいろいろやっていました。ただ一方、明らかに非科学的なこともやったりしていて、そのバランスがとてもよかった。練習のプログラムもしっかりしていて、ダラダラせずに最大でも2時間ほど。『ラグビーってこんなに頭を使わなくちゃいけないものなんだ』と、大学1年時に清宮監督から学びました」
── 具体的にはどんなことを?
「(ホワイトボードにフォーメーションの図を描きながら)このような形で15人がいるから、このポイントにアタックして、次はこの部分にアタックしたら、ここに絶対スペースができる......みたいな。
また、今のラグビーでは普通のことですが、当時の早稲田大ほど『立ち上がるスピード』にこだわっているチームはいなかったです。だから大学1年時は先輩たちについていくことに必死で、毎日練習や試合のビデオを見返していました」
── 高校時代は映像で動きを復習することはなかったですか?
「高校時代はそんなに自分のプレーを見返さなかったです。でも早稲田大では、動きのなかで自分がどうすればいいのか学ばなければならなかったし、それを復習しなければいけなかった。
まずは清宮監督の言っていることを理解し、自分のなかに落とし込む作業をひたすらやる。そして、そこで出た疑問点を清宮監督に聞きにいく。『これはどういうことですか?』『自分はこう思うのですが、どうでしょうか?』と、毎日ディスカッションしていました」
── 逆に「非科学的なこと」とは、どんなことですか?
「グラウンドの周りを走ったり、夏の菅平合宿でクロスカントリーをやったり。日常的にやるわけじゃなかったですが、練習の合間で20周走を入れたりしていました。
ただ、ラグビーの試合は80分間あり、そのなかでうまくいく時は本当に少ないので、『非科学的なところから、どう科学的に持っていくか』みたいな考え方を練習から作り出していくのは、とても大事なことなんだと思いました」
【歴史が変わる原点はトヨタ戦】
── 早稲田大に入って初めて国立競技場の舞台に立ったのはいつですか?
「大学1年時の『早明戦』です。先輩たちから『(観客の声援が大きくて)選手間の声がまったく聞こえないぞ』と聞いていたのですが、当時は明治大があまり強くない時期だったので、意外と声は聞こえましたね(笑)。でも、小さい頃から見ていた試合に自分が出ているのは、なんか不思議な感覚でした」
── ほとんど負けなかった大学時代、一番思い出に残っていることは?
「やはり大学2年時の日本選手権で、トヨタ自動車に勝った試合(28-24)ですね。『歴史が変わる、というのはこういうことだな』と感じました。満員のお客さんの大声援を背に受けて、強豪相手に勝利して、みんなが抱き合って喜んで......。
── 清宮監督の早稲田大ラストイヤーで、春から打倒・社会人を掲げていました。
「そうですね。打倒・社会人をターゲットに春からチームを作り上げてきたので、大学選手権の決勝も関東学院大に大差(41-5)で勝ちました。あの試合は途中から早稲田大のやることがすべてうまくいっている感触がありました」
── トヨタ自動車戦はどんな心境で臨みました?
「大学選手権後の東西対抗で、僕はアゴを折ってしまったんです。だからとにかく大変でしたよ! いかに体重を落とさないで、どうやってコンディションを維持するかを一番に考えていました。
アゴが使えないから、ずっと鼻から流動食を入れていました。でも、それだけじゃ栄養が足らないので、カロリーメイトやプロテインなど高カロリーなものをどんどん入れて、なんとか2kg減くらいで収まりました(笑)」
── 清宮監督の指導で覚えていることは?
「毎日が刺激的すぎて、特にこれというものは思い出せないですが、清宮監督は質問したことに対してすごくクリアに回答が返ってくる方でした。本当にすごい人だなと、今も思いますね」
【早稲田大の組織としての強み】
── 大学3年時から中竹監督が就任し、春の練習試合と大学選手権の決勝で関東学院大に負けたものの、4年時は再び大学日本一に輝きました。
「中竹監督になって、チームはめちゃめちゃ変わりました。カリスマ的な清宮監督とは正反対のタイプで、中竹監督はやる気がある選手たちをうまく引き上げてくれる方なんです。
リーダーを作ったり、学生に主体性を持たせて判断させるなど、フォロワーシップに長けていましたね。監督が変わってもブレないような組織作りが上手でした」
── 両極端の監督のもとで指導を受けた大学4年間の部活動生活は、その後のラグビー人生に大きなプラスになったでしょうね。
「そうですね。ふたりには『リーダーのあり方』を見せていただきました。また、大学1年生の終わりに初めて日本代表に選んでいただき、社会人の人たちと一緒に生活したことも刺激的でした。
最初に代表に行った時、同部屋になったのが元木由記雄さん。その次は大畑大介さん。山村亮さんにはヤマハ発動機に入る前から親切にしてもらいました」
── あらためて早稲田大の4年間は、その後のキャリアにどう影響しましたか?
「ラグビーを論理的に考える、ということを大学時代にすごく教え込まれました。OBの方々の規模が高校時代とまったく違うので、どこに行ってもサポートしていただけるという点も、早稲田大の組織としての強みだと思います」
── 早稲田大でも「濃い部活」でしたね。
「本当に濃かったですね(笑)。あれだけの組織を束ねていくのはすごく大変でしたが、やりがいもありました。あと、高校時代とは注目度も全然違いました。国立競技場や秩父宮ラグビー場でずっとプレーさせていただいて感謝しています」
── 最後に、早稲田大の後輩にエールをお願いします。
「優勝から少し遠ざかっているので、一気に引き上げていくのは大変だと思いますけど、リクルートの部分もうまくいっているようなので、非常に面白いチームになってくれることを期待しています」
<了/文中敬称略>
【profile】
五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)
1986年3月1日生まれ、福岡県福岡市出身。