【東京世界陸上・男子110mハードル】村竹ラシッドはいかに金...の画像はこちら >>

東京・国立競技場を舞台に開催中の東京世界陸上。総勢80名の日本代表のなかで、今季、世界のトップハードラーとして地位を築いているのが村竹ラシッド(JAL)だ。

これまでも着実に階段を上がってきた村竹だが、8月に叩き出した自己ベスト12秒92は今季世界2位で歴史的に見てもアジア記録、世界記録を射程圏内に捉える。

今回の世界陸上で金メダル候補にまでステップアップしてきた村竹のこれまでの軌跡をたどる。

前編:東京世界陸上クローズアップ/村竹ラシッド

【「自分が最初に12秒台を出す」と強い意欲】

 村竹ラシッド(JAL)が8月16日のAthlete Night Games in FUKUIで出した12秒92は、今季世界2位の記録で世界歴代でも11位タイ、という世界的にもレベルの高い記録だった。東京2025世界陸上メダル候補に、それも金メダルの可能性もある候補に躍り出た。

 それまでの日本記録は13秒04。泉谷駿介(住友電工)が2023年6月の日本選手権でそのタイムを出すと、同年8月のブダペスト世界陸上で日本人初の入賞(5位)を果たした。故障の影響で代表入りを逃した村竹も、同年9月の日本インカレで13秒04の日本タイ記録をマークして、翌24年のパリ五輪では日本人初の五輪入賞(5位)をやってのけた。

 23~24年で13秒0台を泉谷が3回、村竹が2回出していた。今季も村竹が2回出しているが、100mの10秒00がそうだったように、この種目では13秒00が"壁"になってしまう雰囲気も出始めていた。だがそれは、我々メディアが勝手に感じていたに過ぎなかった。村竹はずっと、「自分が最初に12秒台を出す」と強く思い続けてきたという。

「13秒04を出した時から(現実的に)目指し始めました。昨年の日本選手権の準決勝もかなり余裕を持っての13秒14で、感覚がすごくよかったんです。

今年6月のダイヤモンドリーグ・パリ大会も、予選、決勝と短いレース間隔で13秒08を2本揃えられて自信になりました。練習の鍛錬期もはさんで、今日は12秒台を見据えてレースができました」

 日本人初の12秒台は、どんな走り、ハードリングをしていたのだろう。

「中盤からのスピード感がこれまでとまったく違いました。予選は4、5台目で風に煽られて少し崩れてしまいましたが、決勝は弱まった風と、自分でつけた勢いにうまく乗ることができたと思います。際限なくスピードが上がるような感じで、ハードル間もしっかりと刻めて、これは記録が出るだろうと、走っている間に思っていました。10台目が終わってもいっぱいにならないで、あと2~3台あっても行けそうな感じでしたね。今まで走ったなかで一番感覚がよかったです」

 ちなみにAthlete Night Games in FUKUIの会場となった福井運動公園陸上競技場は記録が出やすい競技場で、17年に桐生祥秀(日本生命、当時・東洋大4年)が日本インカレで9秒98と日本人初の9秒台を出したのもこの場所だった(この記録により「9.98スタジアム」という愛称がつけられた)。村竹も23年には故障明け初戦としてAthlete Night Games in FUKUIに出場し13秒18の自己新(当時)を出し、1カ月半後に13秒04の日本タイにつなげている。

 今回も村竹は、「1回(この大会)だけで終わらせたら絶対にダメだと思います。世界陸上も12秒台を出してメダルを獲りたい」と、福井だけの記録に終わらせるつもりはない。

【世界で戦うプロセスの中で出したことに価値】

 12秒台に強い意欲を持っていた村竹は、福井には12秒台を「見据えて」出場もしていた。だが福井で12秒台を出すことに、こだわっていたわけではない。

「今年のアベレージが13秒15くらいなので、それより上のタイムで走れたら、と思っていました」

"アベレージ"という言葉を、今季の村竹は何度も発している。

5月末のアジア選手権(13秒22で優勝)からの帰国時にも「まずはアベレージを落とさないことを大事にしたうえで、どこかの大会でタイムが上振れたらいい」と話したし、8月31日のJAL壮行会後の取材でも以下のように強調した。

「今年のアベレージが13秒11で、この前の12秒92を含めなくても13秒1台前半まで上げられました。ほぼ海外の試合でそのアベレージに持ってこられたのは、去年と比べてもすごく大きい成果です。昨年は海外に行くと、13秒2台の試合が多かったですから。何より世界の強い選手の中で揉まれて、勝負できるようになってきました。そこが一番大きいですし、その経験値を世界陸上本番で生かしたいですね」

 村竹はJALに入社した昨年から、海外レースに多く出場してきた。山崎一彦コーチ(順天堂大陸上競技部副部長、日本陸連強化委員長)の考えで、「世界基準」で強化や試合選択を行なってきた。記録を出しやすい国内レースよりも、外国選手のプレッシャーなどで記録を出しにくいダイヤモンドリーグ(DL)出場を優先した。

 4~5月のDL2大会(厦門、上海紹興)から帰国時には、「顔を覚えてもらえるようになった」と話した。

「2年前に初めてDLに参加した時は息苦しさもありましたが、今年は話せる選手が増えて、積極的にコミュニケーションをとるようになりました。ビビらなくなって、国内の試合のようなマインドで臨めるようになっています」

 山崎コーチは「村竹は(DLなど)記録が出にくい条件でも13秒0台で走ってきました。それは日本のよい条件なら12秒台に相当するものです。

福井なら12秒台も出るんじゃないかと思っていました」と振り返る。

 世界で戦うことを最優先したためチャンスは限られたが、選手、コーチとも13秒00を"壁"と感じることはなかった。記録だけを狙うシーズンの流れではなかったなかで出したことに、12秒92の本当の価値があった。

【試合になるとキャラが一変し集中モードに】

 村竹は練習と試合の差が大きい。練習でハードルを跳ぶのは週に1回程度だが、「練習が弱いんです。本番と別人と思うくらいの出力です」と本人も認めている。

 しかし試合当日にスイッチが入ると、集中力が一気に増す。山崎コーチも「練習は喜怒哀楽なく淡々とこなしますが、それが試合になるとまったく変わります。試合のキャラにちゃんと持っていける」と言う。

 その例として、2年前のDL厦門大会を挙げた。順天堂大の先輩である泉谷がエントリーしていたが、出場できなくなり急きょ、"代打"として村竹に出番が回ってきた。村竹自身は前述のように、"息苦しさ"も感じていたが、山崎コーチの目には"世界の一員"になっているように見えた。

「本当に直前に決まったので、大丈夫かな、と思っていましたが、(ウォーミングアップや招集など試合前の行動を)世界のトップ選手たちと同じ流れでやり出したんです。おどおどしたようなところがなく、完全にDLの雰囲気に溶け込んでいました。自分の試合のキャラに持っていけていて、すごいな、と思いました」

 村竹は試合直前の内面の変化を次のように話したことがあった。

「前日はすごくナーバスになっていて、吐きそうなくらい緊張しています。あまり試合に出たくない気持ちになりますよ。そこから徐々に試合に気持ちを向けていって、当日の朝には試合モードに入ります。寝て起きたらスイッチが入る感じです。当日のウォーミングアップでは不安はなくなっていますね。つねにやる気がマックスということは、どの選手もないと思いますけど、僕は一瞬の火力が大事だと思っています。言葉にするのは難しいのですが、試合になったら集中してやりきります」

 練習と試合の違いだけでなく、村竹の集中力は大きな試合での強さにもなる。昨年のパリ五輪でも準決勝は着順通過の組2着に入れず、3着以下の記録上位2人の2番目、つまり8番目で決勝進出を果たした。それでも決勝では5位に入賞した。

 しかし集中力が高まりすぎて失敗したこともある、と山崎コーチは指摘する。最近ではDL最終戦(8月28日・チューリッヒ)で、1台目の踏み切り位置が近くなりすぎてハードリングを大きく乱した。4年前になるが21年の日本選手権は、予選で東京五輪の標準記録を突破したが、代表入りに向けて気持ちが高まりすぎて決勝はフライング失格をした。

 村竹自身もメンタルの重要性を十二分に理解している。

「(東京2025世界陸上には)高ぶりすぎず、逆に落ち込みすぎず(冷めすぎず)、ちょうどいいところを探して、平常心でいつも通り冷静に臨めたらと思います」

 男子110mハードル競技は9月15日(大会3日目)20時20分~に予選、翌16日(4日目)に準決勝(20時40分~)と決勝(22時20分)が行なわれる。メンタル面を軸とした最後の調整を終えた村竹がどのような表情でスタートラインに立つのか、楽しみに待ちたい。

つづく

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