男子バレーボール日本代表
小川智大インタビュー 後編
(前編:小川智大はパリ五輪メンバー落選に「泣きました」 それでも現地に帯同した理由>>)
【耐え抜くことで、日本人は勝つしかない】
8月23日、都内。男子バレーボール日本代表は、9月13日に開幕するバレーボール世界選手権(世界バレー)に向け、リラックスした様子でトレーニングに取り組んでいた。世界バレーは、2028年のロサンゼルス五輪に向け、大事な試金石となる。
ウォーミングアップから、リベロの小川智大(29歳/サントリーサンバーズ大阪)の表情は明るかった。大音量で音楽がかかるなか、選手たちはコートをジョギングする。小川は落ちていたボールを髙橋藍に向かって蹴るなど、はしゃいでいた。
3対3でネット越しにアンダーパスを入れ合う対決形式の練習でも、小川は一番声が出ていた。失敗には誰よりも悔しがり、コートの床を叩き、体を弾ませる。成功に雄叫びを上げながら、『俺たち強すぎる。なんでさっき負けたの?』と負けたことも許せず、とにかく賑やかだった。
アンダーで戻すパスは、いろいろな回転をかけ、さすがリベロという技を見せた。それは長年をかけて、身につけたものだろう。世界のスパイカーを敵に回しても、彼は荒れ狂うボールを手なずけるように拾う。
「細かい技術は、圧倒的に日本人はうまいんです」
小川は言う。
「ただ、世界のトップは高さやパワーがあって、"俺たちが強い"って威圧感を出してくる。
ただ、強く見えるけど、折れるのも速い。そこで怯まずに、"我慢していたらミスが出るはず"って耐え抜くことで、日本人は勝つしかない」
世界バレー、小川には勝ち筋が見えていた――。
【本当にバレーを"楽しい"と思った時】
小川は嘘がなく、正直で、ひとつひとつのことに真剣である。
――バレーの面白さとは?
何気なく投げたそんな質問にも、彼は思考を巡らし、丁寧に言葉を選んで答えた。
「うーん......バレーって失敗が許されないスポーツなんですよ。サッカーや野球って、点数を決めたらヒーローじゃないですか? でも、バレーは決めるのは当たり前。1、2、3とパスをつないで、基本的に3の選手が決めるんですけど、1、2のところはしっかりつなげないといけない。そこのミスは命取りです。その点、悲観的になりやすいスポーツだと思うんですよ」
彼は話しながら考えを整理するように、さらに続けた。言葉の紡ぎ方は哲学的だった。
「サイドアウト(サーブレシーブ側のチームがラリーを制して得点を取ること。
もっと言えば、そこにある駆け引きが好きなのだろう。彼は結論につなげた。
「相手が"この瞬間に何を考えているのか"っていうのを、ずっと頭の中で考えるのが楽しいですね。たとえば、"この前は、サーブをここに打ってきた"と覚えておいて、計算する。そこで"俺がこう動いたのを見ているはずだから、こっちの選択肢を選ぶかな"って予測が当たった時とか、"気持ちいい瞬間だな"って感じられますね」
小川は、思考の先にあるプレーの自由さを愛するリベロだ。
そこで、聞いてみたいことがあった。
――本当にバレーを"楽しい"と思ったのはいつですか?
「大学3、4年の頃です。大学は自由にやることができました。やらなかったら腐るけど、やったら少し成長があるって環境で......どうやってもよかったけど、腐るのは嫌だったんです」
小川は淡々と答えた。そうした問いかけには、幼少期の原点を語る選手が多いが、彼らしいロジックがあった。
「小学生の頃は厳しいなかでやっていて、"勝ちたい"という気持ちが勝っていました。
小川はディテールをおざなりにしない。その正直さが"尖がって"いるようにも見える。
「大学では"真剣にやる楽しさ"を見つけられたんです。大学では同じリベロの先輩がいたんですが、自分が1年生の時の、4年生の主将でした。とにかくガッツがあり、毎日の練習をしっかりやり、しっかりしたアップからルーティンを組み、"こういう人になりたい"って思わせてくれた存在でした」
小川は実直さに倣うが、それこそリベロの資質なのかもしれない。大学卒業後に入団した豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)でも、当時の日本最高のリベロだった古賀幸一郎が鑑になった。彼は出会いに感謝した。
初めて外国人指導者にも技術を教えてもらい、「一気にバレー観が広がった」という。積み重ねてきた技術が化学反応を起こした。そして、今や世界有数のリベロになった。
【世界バレーは「予選ラウンドが大事」】
最後に訊いた。
――タイムマシンに乗って、泣き虫だった"小学生の智大くん"に会ったら、小川選手はなんと声をかけますか?
「うーん......何も言わないと思います。当時はバレーボール選手になるとは決めていなかったですけど、周囲には『なる』って言っていました(笑)。心の底から思っていたか、というと、勉強をしたくない言い訳だったのかもしれませんけど」
彼は茶化すように言った。
――"智大くん"は小川選手に気づいたら、なんと言うでしょうか?
「『よく頑張ってるね』ですかね(笑)。小学生の時の自分も、学校が終わって夕方5時から夜9時までの練習という生活を、ずっと当たり前のようにしていて、いろんなことを犠牲にしていましたから。ほとんど休みがなくて、友達と遊びに行ったりもできなかったんで」
小川は言うが、今の自分が充実しているからこそ、そのやりとりになるのだろう。
まもなく開幕する世界バレーに向け、彼は虎視眈々だった。フランス、イタリア、ポーランド、ブラジルといった強豪を下すには、彼のディフェンスが欠かせない。
「パリ五輪でも思ったんですが、まずは予選ラウンド(相手はトルコ、カナダ、リビア)が大事。けっこう苦しいと思うんですよ。でも、それを乗り切ったら、決勝ラウンドでは準備が完璧に整っていると思います。気持ちが勝手に乗っかって、緊張もなく"やるしかない"という状態になっているはずです」
小川は明朗な声に不敵さを混ぜた。
(ほかの記事を読む:セッター大宅真樹はチームを勝たせるために我を抑える 髙橋藍にも「本当に好きなボールを要求してほしい」>>)
【プロフィール】
◆小川智大(おがわ・ともひろ)
1996年7月4日生まれ。神奈川県出身。175cm。リベロ。サントリーサンバーズ大阪所属。川崎橘高校から明治大学を経て、豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に入団。2020-21シーズンから3シーズン連続でVリーグのベストリベロ賞を獲得し、21-22シーズンの天皇杯、22-23シーズンはVリーグ制覇に貢献した。SVリーグ1年目はジェイテクトSTINGS愛知で活躍。リーグ終了後、サントリーサンバーズ大阪への入団が発表された。