落合晃インタビュー前編(全2回)
世界に大きく水をあけられている日本の男子800mで、厳しい扉をこじ開けようと挑戦しているのが今年、駒澤大学に入学した19歳の落合晃だ。
男子800mの日本代表の近況としては、五輪には横田真人が2012年ロンドン大会に出場し、川元奨が2016年リオデジャネイロ大会に出場したのみ。
そんな800mのなかで落合が一躍注目されたのは、滋賀学園高校3年生だった昨年。UAE開催のU20アジア選手権で優勝し、その6日後の静岡国際でU20日本記録(1分46秒54)を出して優勝。パリ五輪出場も期待されていたが、日本選手権で参加標準記録に届かなかった。
その後、8月のインターハイで日本記録を0秒95更新する1分44秒80を出し、U20世界選手権では銅メダルを獲得と結果を残した。
そして迎える東京2025世界陸上(9/13~21開催)。男子800mでは1995年に小野友誠、2007年と2009年に横田が出場しただけだった世界陸上に出場が決まった落合に、800mを走ることになった経緯から、パリ五輪出場を目指していた昨シーズンを改めて振り返ってもらった。
【中学2年から変わった800mへの熱意】
――小学生のころはいろんなスポーツをやっていて、中学生になって陸上を始めたそうですが、どういう経緯で陸上を選んだのですか?
落合晃(以下、落合)小学生の時は水泳と体操のほかにトライアスロンをやったり、冬は地元の滋賀県でスキーもやっていました。小さい頃から山のなかを走り回って遊んでいたので走ることも好きだったし、兄も陸上をやっていたので、その影響で陸上を始めようと思いました。
――お兄さんはどんな種目をやっていたのですか?
落合 兄は5歳上で地元の髙島高校で短距離をやっていました。僕が小学生の頃に兄の試合を見に行って「陸上もいいな」と思ったのがきっかけです。見るのは短距離が多かったですが、「すごいスピードで走っている」という印象で、走る姿がかっこいいと感じていました。
――中学1年生で1500mを走って、中学3年のころには100mを11秒88、4×100mリレーも走っていましたよね。
落合 はい。短距離も学校のなかでは走れるほうだったので、練習の一環として走ったり、リレーの練習としてやっていました。中学1年のころは、トライアスロンをやっていたので長距離も走れて1500mに取り組んでいました。駅伝にも興味があって長い距離も苦ではなかったし、100mもそれなりに走れていたので、スピードと持久力を生かすなら800mが一番いい種目だろうと中学2年から始めました。
――800mの面白さはどんなふうに感じていましたか?
落合 トラック2周を全力で走りきるのはきついけど、短距離的な動きも持久力も必要で、そこがすごく面白い種目だなと思っていました。
――中学2年時の800mベストは2分02秒97でしたが、3年生になるとすぐに1分台に入り、7月には1分56秒87まで記録を伸ばしていました。
落合 最初は「全国に出られたらいいな」くらいにしか思ってなかったのですが、中学2年の時に赴任してきた先生がすごく熱心で「全国優勝をしよう」と言ってくれたんです。自分もその目標を達成したいと思ったし、その先生が生活面から全部を変えてくれたおかげで、中学3年のころは、全国優勝に向けたレベルで指導をしてもらえていました。
【パリ五輪出場が見えていた】
――高校に入って指導者も替わったなかで、高校1年生の6月には高校総体近畿大会で1分50秒19の高校1年生の最高記録を出しました。そのときは世界やパリ五輪を意識していましたか?
落合 パリ五輪を意識し始めたのは高校2年のインターハイ優勝からです。その時は1500mにも出場していたので、800mの決勝は5レース目でした。疲労感もあるなかで勝ちきれて、記録も自己ベストの1分47秒92を出して体を動かせたのは自信になりました。
最初はパリ五輪なんてまったく考えてもいなかったけど、高校の監督に「来年はパリ五輪があるけど、あと3秒くらい(記録が伸びれば)でいけるよ」みたいな感じで言われて。最初はそんなノリと勢いで「やってみるか」みたいな感じでした。
――でも800mの場合、参加標準記録(1分44秒70)がどんどん上がって、日本記録(1分45秒75)を大きく更新しなければ出られない状況でした。そういう状況で五輪出場を目指す意識を持てたのはすごいことだと思います。
落合 ありがとうございます。実際、高校2年のインターハイが終わった時は「よし、やってやろう」と思っていたけど、冬期に入ってからは「本当にこんなんで大丈夫なのかな」と、いろんな悩みを持って走っていました。もう一度「パリ五輪に行けるかもしれない」と思えたのは、3年生の春からいろいろな試合に出ていくなか、5月の静岡国際で自己記録を1秒以上更新する1分46秒54を出せた時です。
――参加標準突破となると日本記録を1秒05上回らなければいけなかったですが、日本記録や1分45秒を壁のように感じなかったですか?
落合 それはまったくなかったですね。日本記録を目指しているだけではパリ五輪に届かないことはわかっていたし、記録を出しにいかないと絶対にダメだと思っていました。1分44秒70に少しでも近づけるようにということしか見ていなかった。だから、実際に日本記録をきっても満足はできませんでした。更新できたのはインターハイでしたけど、やっぱりそれを日本選手権で体現しなければいけなかった。
――中・長距離は最初にハイペースで入ると、最後に苦しみが待っているという恐怖心との戦いにもなると思います。それを克服するようなキッカケはあったのですか?
落合 高校1年のインターハイ予選落ちです。そのレースメンバーで、自分が(一番速い)タイムを持っていたので前に出なければいけなかったのに、少し引いてしまった結果、揉まれたまま終わりました。監督には「弱気なレースをしても意味がない」とアドバイスをもらい、今の前半から前にいくスタイルに変えていきました。
世界記録保持者のルディシャ選手も先頭で行って勝ち切るというのが持ち味だし、そういうレースが一番かっこいい。そういうレースができるようになる高校3年間にしようということで、そのスタイルになりました。
――1分44秒台を狙うなら、前半の400mはどのくらいでいかなければいけないと思っていましたか?
落合 自分が引っ張って51秒台でいかなければいけなかったと思います。高校だとインターハイは予選から多くの試合があったので、そこでは必ず最初から前にいく意識を持っていました。
ただ、(パリ五輪を逃した)日本選手権が終わってからは本当に悔しくて、1週間ぐらい走れませんでした。監督からも「インターハイは欠場してもいいぞ」と言われたけど2連覇がかかっていたし、それは成し遂げたいと思って走り出し、それでもう一度インターハイに向けて作り直して44秒台が出せたという感じです。
つづく>>
Profile
落合晃(おちあい こう)
2006年8月17日生まれ。