【平成の名力士列伝:大翔鳳】思いきりの良さとひまわりのような...の画像はこちら >>

連載・平成の名力士列伝57:大翔鳳

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、角界入りを果たして以降、力をつけた努力と明るい性格で人気を博した大翔鳳を紹介する。

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【のちの横綱たちから白星を挙げ存在感を発揮】

 長身を生かした思いきりのよい突っ張りと左上手投げを武器に平成初期の土俵を沸かせた大翔鳳。明るく誠実な人柄で仲間の信頼と尊敬を集めた道産子の好漢が病のため志半ばで土俵を去り、早逝したことは、かえすがえすも悔やまれる痛恨事だった。

 昭和42(1967)年生まれで北海道札幌市出身。父の村田剛さんはアマチュア相撲の強豪で、北海道代表として国体に19年連続出場し、団体優勝を経験して個人3位に入ったこともある。そんな父の影響で幼い頃から相撲を始め、北海高校相撲部に進み、1年の時には親子での国体出場も果たした。

 高校卒業後は名門・日大相撲部へ。同学年にはのちの小結・舞の海がいる。当初は教員志望だったが、自分の力を試してみたいとプロ入りを決意し、日大の1年先輩の大翔山がいる立浪部屋に入門。平成2(1990)年1月場所、幕下最下位格付け出しで初土俵を踏んだ。順調に勝ち越しを続け、所要6場所で平成3(1991)年1月場所、新十両に昇進し、本名の村田から大翔鳳と改名した。その後も勢いは衰えず、5月場所での十両優勝を手土産に、7月場所で新入幕を果たした。

 一躍、脚光を浴びたのは西前頭8枚目で迎えた平成4(1992)年9月場所。横綱不在の戦国時代、霧島、小錦、曙の3大関もそろって不振で優勝争いが混とんとするなか、持ち前の激しい突き押しで快進撃を続ける。7勝2敗で9日目を終えた時点で、1敗で単独首位の小結・貴花田(のち横綱・貴乃花)にただ一人1差でつけた。10日目は関脇・武蔵丸に押し込まれた土俵際、左上手投げで逆転勝ちを収め、11日目には関脇・水戸泉を押し出し。12日目、貴花田との優勝を左右する大一番では惜しくも寄り切られて敗れたが、13日目には小錦をモロ手突きから激しく突き立て、引き落として這わせて大関戦初勝利。優勝こそ逃したものの、11勝4敗で初の三賞となる敢闘賞に輝いた。

 東前頭筆頭に上がった翌11月場所も、3日目に関脇・貴花田を上手出し投げで破って雪辱を果たし、6日目にはこの場所14勝1敗で優勝する大関・曙を押し出して唯一の土をつけるなど9勝6敗と勝ち越し、平成5(1993)年1月場所に新小結に昇進。1場所で平幕に戻ったが、平成7(1995)年1月場所には西前頭11枚目で11勝4敗の好成績を挙げて2回目の敢闘賞に輝き、3月場所では小結復帰を果たしている。

【ひまわりのような力士を襲った突然の病魔】

 入門当時、これほどの活躍を期待する声は少なかった。日大では4年時に団体戦のレギュラーとなり、専ら先鋒として活躍してはいたものの、4年間で獲得した個人タイトルは東日本体重別無差別級のひとつだけ。日大の1年先輩の大翔山や2年先輩の久島海がともにアマ横綱や学生横綱をはじめいくつものタイトルを獲得していたのに比べ、実績では遠く及ばなかった。長身を生かした突っ張りは小気味よく、威力があったが、叩かれるとあっさり手をつく場面も目についた。

 しかし、まじめな性格で稽古に打ち込み、磨き続けた突っ張りは威力を増した。右四つに組んでの思いきりのいい左上手投げも身につけた。同学年で小兵ながら小結に昇進して人気力士となった舞の海とともに、学生時代にさほど大きな実績のない大翔鳳が幕内上位で活躍したことは、多くの後輩たちを勇気づけ、現在の学生相撲出身力士の興隆につながったともいえる。

 そんな大翔鳳は土俵を離れれば、稀有な人格者でもあった。明るく快活で、いつも柔和な笑顔を絶やさない。当時はまだ、学生出身力士は少数派。中学を卒業してすぐ入門するたたき上げの力士とは、目に見えない壁があったが、誠実でまっすぐな人柄の大翔鳳の周りからはそんな壁も自然と消えた。支度部屋での取材では、負けたあとでも嫌な顔一つせず、冗談を交えながら快活な声で受け答えし、マスコミからも人気が高かった。

 しかし、順調に見えた相撲人生は無情にも暗転してしまう。平成9(1997)年1月場所、上腕二頭筋断裂のケガで途中休場し、3月場所で十両に陥落。幕内復帰を目指したが、体に力が入らなくなった。平成11(1999)年3月場所後に精密検査を受けたところ、すい臓がんと判明。

5月場所後に引退し、準年寄・大翔鳳となった。10月に行なわれた断髪式には、体重が50キロ近くも減って90キロになった体で臨んだ。治療に専念したがその甲斐なく、同年12月4日、32歳の若さで死去。志半ばでの引退と早逝は、本人や家族、関係者にとってはもちろん、相撲協会にとっても大きな痛手だった。

 現役時代の大翔鳳は、鮮やかな黄金の締め込み姿が印象深い。黄金というよりも黄色に近い色だった時期もあり、「地味なお相撲さんなのに恥ずかしい」と照れていた笑顔が思い浮かぶ。故郷の北海道に咲くひまわりのように、曇りない明るさで、親方としても協会を照らし、力士たちを育てる姿が見たかった。

【Profile】大翔鳳昌巳(だいしょうほう・まさみ)/昭和42(1967)年5月7日生まれ、北海道札幌市出身/本名:村田昌巳/所属:立浪部屋/しこ名履歴:村田→大翔鳳/初土俵:平成2(1990)年1月場所/引退場所:平成11(1999)年7月場所/最高位:小結

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