石川祐希(29歳)は実直で誠実な選手なのだろう。バレーボールを決して裏切らない。
それは、自らが日本バレーボール界の第一人者を自負しているからでもあるだろう。硬骨なプロフェッショナリズムというのか。世界最高峰のイタリア、セリエAでプレーを重ねることで、その精神は揺るぎないものになったのかもしれない。
昨シーズンの石川は、所属するペルージャで欧州制覇を経験している。これは日本人バレー選手史上初の快挙だった。彼はチーム最多得点を記録し、まさに次元が違う選手と言える。海を越えた異国で実力が認められることが、彼を唯一無二の選手にしているのだ。
「海外に出たほうが得られるものは多いとは思います」
石川は静かに言う。
「やっぱり、海外でやっていると、"ひとりでも戦える選手"になるので。ストレスがかかる環境のなか、たとえば言葉が通じなくても自分のパフォーマンスを出さないといけないですから。
彼はバレーのため、厳しい場所に身を置いて生きてきた―――。
石川は、フィリピンの試合会場で誰よりも歓声を浴びていた。現地では、世界で最も人気のあるバレーボール選手と言っても過言ではなかった。それだけ浪漫を感じさせる選手なのだろう。2メートル越えの身長が当たり前の世界バレーで、"小柄"(192cm)な部類の彼が創意工夫でスパイクを打ち分け、柔らかいレシーブでボールを拾い、サーブではネットの先を狙って敵コートにポトリと落とす。東南アジアの人々にとって、まるで漫画のなかのヒーローなのだ。【「主張を持たないと通用しない」】
滲み出る骨太さも人気のひとつかもしれない。リビア戦後、石川は自責の念に駆られるように洩らしていた。
「なかなか解決策を見つけられない、っていうのはあってはいけなくて......。自分は、困ったときに頼られる立場だと思うので、いつでも解決策を出せるようにしないといけない。
世界バレーで彼が奮闘していたことだけは間違いない。しかしチームスポーツでは、お互いとの関係性でうまくいかないことはある。特にカナダ戦は不調だったが、周りとの関係で生じた現象でもあっただろう。キャプテンの役回りを担う一方、1年目のチームには機能不全のところもあった。イタリアでプレーするときのようにエゴを出せず、もどかしさが募っているように見えた。
そこで、アウトサイドヒッターという「託される」ポジションの石川に問うてみたいことがあった。
――試合を決めることが託されるサイドというポジションは、世界的に活躍する場合、"エゴが出る"太々しさが必要で、石川選手が輝くときはまさにそれを感じるのですが、いかがでしょうか?
「個人で見たときには、僕的には(ふてぶてしさは)必要なことだと思います。たとえば"海外でやる"ってことを考えたときは、そこの自我というか、主張するものを持っていないと通用しないと思います。ただ、日本のチームでやる場合は別なのかなとも思っています。日本のチームは"みんなでやろう"という意識が強いので、"俺が、俺が"じゃなくても、周りが同じタイプの選手なら、それでハマるかもしれません」
とても興味深い答えだった。
石川の立場で「海外に行くべき」という主張はしにくいはずだ。SVリーグは世界最高峰に匹敵する実力と魅力があるだろう。
現状維持の状況では、日本の今後も厳しくなる。石川、髙橋藍というサイドの系譜は安泰だが、彼らに挑む次の世代の選手が出てこなければ、停滞を余儀なくされる。たとえば甲斐優斗はポテンシャルではふたりに追随するが、まだ厚い殻を破っていない。それこそ太々しさを身につけられるかどうかは、ひとつのヒントになるかもしれない。
「日本も若い選手はポテンシャルが高いですよ。経験値が足りないところはありますが、逆にノープレッシャーであまり考えずストレスフリーでやると、パッとうまくプレーできる感じで。力があるのは間違いないです」
石川は若い選手たちを気にかけるように言った。誰もが彼のようにたくましく海外挑戦ができるわけでもない。その足跡は特別だろう。しかし日本が世界をねじ伏せようとするなら―――。
石川のように「海を越える」意志は貴重だ。