井上尚弥が見せた、これまでにない慎重な戦い】

「ボブ・アラム率いるTOP RANKは、ESPNとの契約を更新しなかったんだな。お前に教えてもらわなければ、ナオヤ・イノウエの試合がどこで見られるか、わからなかったぜ」

 井上尚弥(大橋)が、MJことムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)を判定で下してWBA/WBC/IBF/WBOスーパーバンタム級タイトルを防衛した翌日、アメリカ・ペンシルバニア州ベンサレムに住む元世界ヘビー級チャンピオンのティム・ウィザスプーンは、パソコン画面の向こうでそう言った。

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 現地時間9月13日に米国ラスベガスで催された4冠統一スーパーミドル級タイトルマッチ、サウル・"カネロ"・アルバレスvs.テレンス・クロフォード戦の取材にやってきた記者たちも、口々に「アメリカ合衆国では今回、モンスターのファイトが見られないのか」と嘆いていた。

 だが、12日の午前8時すぎ、井上と契約している米大手興行会社のTOP RANKが自社のFacebookチャンネルで、米国・英国に生中継で配信することを発表。ティムの住むペンシルバニアでは、午前7時になる頃から、井上vs.アフマダリエフ戦が放送された。
 
「チャンピオンの完勝だったな。イノウエはこれまでにない、慎重な戦いをした。立ち上がりは、落ちついて相手のパンチを見ていた。自分のジャブを当て、すぐにバックステップで距離を取った。MJのパンチが届かないポジションを取り続けた。

 最初は互角に思えたが、3ラウンドから5ラウンドにかけてイノウエが主導権を握り始めた。スピードに差があったし、モンスターのパンチのほうが的確だったよ。俺はこれまで、ナオヤ・イノウエという選手の特徴は爆発力だと感じてきた。でも、今回は激しいラッシュを封印した。右ストレートをヒットしてニヤッとするシーンがあったが、以前の彼なら間髪を入れずにコンビネーションを放って仕留めにいったんじゃないか」

 前評判の高かったアフマダリエフだが、井上のプレッシャーに動きが単調になっていく。

「4ラウンド、イノウエは右ショートのカウンターをヒットした。『おお、やるな!』と思った瞬間に、MJの左ストレートを喰らった。見た目は大したことなさそうだったけれど、確かにもらった。クリーンヒットだ。でも、イノウエの回復は早かった。本当にすぐに立ち直った。ラウンド終了のゴングが鳴ったのは、その少しあとだったな。

 MJは、あそこで攻め切れなかった。いいパンチを入れたら、次に結びつけなければいけない。彼は......うーん、スキルがなぁ。とにかくスキルが足りなかった。強い選手なんだろうがね。

もう少し、攻撃のバリエーションやコンビネーションに工夫が見られたらよかったんだが」

【両者の間にあった「引き出し」の差】

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ロッキー像の前でポーズをとるティム photo by Soichi Hayashi Sr.

 アフマダリエフは、かなりのハードパンチャーだ――。試合前、ジャパニーズメディアの大半が、そんなふうに論じていた。

「イノウエのスタイルを見るに、MJのパンチを警戒していたのは間違いない。ただ、俺が『ん?』と思ったのは、5ラウンドにイノウエがワンツーのダブルをヒットしたあとに、挑戦者のコンビネーションを喰った点さ。MJは打ち終わりを狙っていた。で、乱打戦に持ち込みたくて『こい!』『打ってこい!!』みたいな動きをしただろう。

 それでもイノウエは、ポイントアウトする策をとった。勝ちに徹したからこそだろう。『相手はパンチがあるから、絶対にもらわないぞ』と考えたのと同時に、前回、そして昨年5月のダウンを教訓としたのかもな。あるいは、サウスポーであるMJを相手にしながら、ジュント・ナカタニを見据えたテーマがひとつかふたつあったのかもしれない。まぁ、ジュントはもっと速いし、パンチもあるし、フットワークだって鋭いからMJとでは比較にならないが。

 5ラウンド、イノウエはスイッチしたり、終盤はロープを背にして誘い、カウンターの右アッパーを放ったりと、多彩な攻撃を披露した。やっぱり引き出しの多さがMJとは違ったな。

そして後半になるにつれてリングを支配していった」

 6回、井上は再三アフマダリエフにボディブローを見舞う。

「いいコンビネーションだった。相手がダメージを受けているから、さらに狙うというのは最適だ。MJは少し諦めたように見えた。あのあたりでイノウエは挑戦者の動きを見切ったな。

 7ラウンドも右ストレートを何発もヒットしたのに、イノウエは倒しにはいかなかった。MJもパンチを当てていたが、踏み込みが浅かった。何とかして流れを変えたかったんだろう。とはいえ、どうしたらイノウエの懐に入れるかがわからなかったね。チャンピオンには、中に入れさせないだけの技術があった。

 MJが14勝していて、11のノックアウトがあるといっても、相手を倒すにはあと半歩は踏み込まなければ。パンチの組み立てを習得できていないようだった。

もし彼にもっと鋭さがあって、打撃に幅があったら、イノウエにとって、もっと厳しい試合になっていただろう」

【最終ラウンド、勝利目前にヒヤリ】

 9回、井上は非の打ちどころのない左ボディに加え、右アッパーのカウンターをアフマダリエフのアゴに見舞う。その気になれば仕留められそうだったが、深追いはしなかった。10ラウンドから試合終了までの間も、モンスターはアフマダリエフを足でさばき、118-110、118-110、117-111のスコアで4つのベルトを守った。

「ノックアウトが見たかった、と感じたファンは多いだろう。でも、イノウエはよかった。ベストパフォーマンスではないかもしれないが、挑戦者を完璧にコントロールした点は、讃えられるさ。

 あえて苦言を呈すなら、最後の最後、残り10秒を切ってからMJの右フックをもらったところ。あれは、いただけない。勝利を確信して、少し気が緩んだのか。ちょっとグラッとしたよな。井上にしてみれば、MJは予想を超える選手ではなかった。戦いながら『これなら勝てる』『問題ない』と自信を深めていったはずだ。

しかし、MJが本物のパンチャーだったら、あの一発ですべてがひっくり返っていた可能性もある。それがボクシングだ。まぁ、勝ったことが最も重要だけどさ」

【ボクシング】井上尚弥のアフマダリエフ戦に、元ヘビー級王者があえて苦言「あの一発ですべてがひっくり返っていた可能性もある」
インタビューに答えたティム photo by Soichi Hayashi Sr.

 ひととおり、アフマダリエフ戦について述べたティムは、中谷潤人(M.T)について熱く語った。

「いよいよジュントとのメガ・ファイトが近づいているな。聞いただけでワクワクするよ。同じ国籍を持ち、全勝を続ける実力伯仲のチャンピオン同士が対戦する。両者ともに複数の階級を制している本格派だ。東京ドームが満員になることは疑いようがない。俺も生観戦したいぜ。

 両者がいかなるトレーニングをこなしてリングインするかが明暗を分ける。お互いにまだまだ引き出しを増やすに違いない。ほんのわずかな隙も逃さないピリピリとした激闘になるだろう。

決戦の5月までに、どう過ごすかが勝負の分かれ目だ。モハメド・アリvs.ジョー・フレージャー、シュガー・レイ・レナードvs.トーマス・ハーンズみたいな歴史に残るボクシングマッチになるだろうよ」

 あなたとフランク・ブルーノ戦は比較対象としないのですか? と筆者が問いかけると、ティムは豪快に笑った。

「1986年7月19日か。あれからもう、40年近くになる。確かに俺にとってはベストバウドだ。でも、ドン・キングとの奴隷契約に苦しんでいたから、苦い過去でもある。ジュントには、輝かしい未来が待っているさ」

 アフマダリエフ戦の4日後、モンスターとアラン・ピカソ(メキシコ)との対戦が正式にアナウンスされた。中谷も同じ会場で、スーパーバンタム級転向第1戦としてセバスチャン・エルナンデス(メキシコ)とファイトすることが発表された。井上も中谷も大一番を控え、12月27日にサウジアラビアのリングに立つ。ついに頂上決戦へのカウントダウンが始まった。

(中谷潤人があらためて感じた井上尚弥のコントロール能力 来年の対戦に向けて「僕も、引き出しを多く持っていなければ」>>)

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