村竹ラシッドインタビュー前編(全2回)

 東京世界陸上の最終日、男子110mハードルに出場した村竹ラシッド(JAL)に話を聞くことができた。日本人初のメダルを狙いながらも、結果は3位に0秒06届かない5位。

泉谷駿介(住友電工)の2023年ブダペスト大会5位に並ぶ日本人最高位タイと十分とも思える記録を残したが、レース後は悔しさから涙があふれた。

 数日が経ち、村竹が見た東京世界陸上をあらためて振り返ってもらった。

【世界陸上】村竹ラシッドが振り返る110mハードル5位入賞 ...の画像はこちら >>

【世界陸上の走りを振り返る】

――自国開催の世界陸上で、周囲からのメダルへの期待はプレッシャーになりませんでしたか?

村竹ラシッド(以下、村竹) 周りがどうということはあまり考えないほうなので(笑)。周りから期待やプレッシャーを感じても、それ以上に自分で自分にプレッシャーをかけている自負があるので、正直あまり気になっていませんでした。

 自分なりにメダルを取れるだけの根拠を積み重ねてきたつもりだったし、自信はありました。でも「普通に獲れる」とは考えていなかったです。「自分の実力を発揮できればメダルに届くかもしれない」くらいには思っていましたが、実際にやってみるとまだちょっと難しかったなと......。

 本気でメダルを目指そうと考えたのが1年前だったので、「やっぱり1年ではまだ足りないよな。もっと長い時間をかけるべきだった」と今は思っています。

――予選からの組み立てはどうでしたか? 弱い向かい風のなかで13秒22、13秒17と着実にタイムを上げていました。

村竹 準決勝は今回走った3本のなかで一番いい走りができていたと思います。予選も7~8割くらいの力感で走れて、後半にちゃんと加速することもできたので、その2本のレースはうまく組み立てられたかなと思っています。

 実際に予選はコーチとも「まったく力を使わないで安全にいけたね」と解釈も一致していました。

ただ、強いて言うなら準決勝は、「もうちょっと力を使わないでいきたかった」と思っています。2、3、4着がだいぶ均差だったので、最後で抜け出すために後半に力んでしまった部分がありました。そこはもっと余裕を持って通過できるだけの実力がないと、メダルには届かないと思います。

 実際に準決勝の同組で1位だったT.メイソン選手(ジャマイカ)が銅メダルを取りましたが、余裕を持って通過をしていました。しかも決勝は自己ベストを出していたので、やっぱりまだちょっと差があるのかもしれないですね。決勝はうまくいかない部分があったので、もっと時間をかけて経験を積んで直していくべきところかなとは思います。

【メダルに届かなくても成長を感じた】

――予選と準決勝はともに2位通過でしたが、そこでメダルはどう見えていましたか?

村竹 着順はそんなに考えていなかったので、(メダルを目指す)見え方は変りませんでした。自分の感覚で、どれだけ力感を抑えて余裕を持って通過できるかが重要でした。昨年のパリ五輪の準決勝は、記録上位のタイム通過で決勝に進んでいたので、今回は「着順で通過したい」という思いが強くありました。それをちゃんと達成できたのはよかったと思います。

――本気でメダルを狙った決勝の舞台はいかがでしたか?

村竹 悔しさとして色濃く今も(心に)残っているので、これを忘れない限りは今後の練習もまだまだ頑張れると思います。でも準決勝を着順で通過できるだけの実力が身についていることも確認できたし、(2024年パリ五輪と)同じ5位でもタイムは上がっていて、3位との差も0秒06と、相手は違うけど半分まで縮まっていました。

それを考えたら去年よりは確実に成長していると思います。

「メダルを目指しています」と言っても違和感を持たれない、「ちゃんと根拠を持って言えるだけの実力は身についている」と確認できた大会にもなりました。

つづく>>

Profile
村竹ラシッド(むらたけ・ラシッド)
2002年2月6日生まれ。千葉県出身。松戸国際高校3年時に110mハードルでインターハイを制す。順天堂大進学後は着実に実力を伸ばし、2022年、大学3年時に世界陸上オレゴン大会に出場。JAL所属となった2024年は、パリ五輪に出場すると5位入賞を果たした。今年の8月にはアスリートナイトゲームズイン福井にて、日本人選手として初の12秒台となる12秒92の日本記録を出した。

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