世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第32回】フェルナンド・レドンド(アルゼンチン)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。

世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第32回目は、レアル・マドリードが「銀河系軍団」を形成する前にチームの核として活躍したフェルナンド・レドンドを紹介する。彼の足もとにボールが舞い込むと、すべての局面が華麗に動いていった。アルゼンチンが生んだ稀代の「レジスタ」である。

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【欧州サッカー】「あの男のスパイクには磁石がついている」 貴...の画像はこちら >>
 アルゼンチンはタレントの宝庫である。

 1970年代後期から、マリオ・ケンペス、ディエゴ・マラドーナ、クラウディオ・カニーヒア、ガブリエル・バティストゥータ、フアン・ロマン・リケルメ、リオネル・メッシなど、次から次へとスター選手が現れた。

 彼らが彩った栄光の歴史を受け継ぐのは、今夏にリーベル・プレートからレアル・マドリードに移籍した18歳のフランコ・マスタントゥオーノだろうか。

 アルゼンチンフットボールにおいて、フェルナンド・レドンドも重要人物のひとりである。世界でもトップランクの「レジスタ」だった。

 本来、レジスタとはコンピュータのプロセッサ内部に存在する高速な一時記憶装置であり、映画・演劇では演出家、フットボールでは後方から試合全体をコントロールするMFを指す。レドンドのほかには、アンドレア・ピルロ、セルヒオ・ブスケツ、シャビ・アロンソ、トニ・クロースなどがワールドクラスのレジスタに位置づけられている。

 長短緩急のパスを自在に操り、試合のテンポを完璧に管理する彼らのプレーは、チームの「頭脳」だ。

決して派手なポジションではないものの、レジスタの好不調が勝敗に直結する。当然、クラブチームも代表チームも、このポジションを重視している。

【髪を切らずに代表入りを拒否】

「長髪とピアスを禁止する。同性愛者も認めない」

 アルゼンチン代表を率いていたダニエル・パサレラ監督は、厳しい制限を設けた。多様性を求める現代ではパワーハラスメントにあたる発言だが、今から30年近く前は大きな問題にはならなかった。

 この決定に異を唱えたのが、レドンドである。

「髪の長さは人それぞれだ。私は切らない。代表入りを拒否する」

 勝負のカギを握るレジスタが反旗を翻(ひるがえ)したため、パサレラのプランはもろくも崩れた。1998年のフランスワールドカップはオランダに敗退し、ベスト8で姿を消している。

 また、ダイレクトなプレーを基本とするパサレラのスタイルも、レドンドが代表入りを拒否した理由のひとつと言われている。予選で左サイドハーフに起用されたことにも気分を害したようだ。

 レドンドとパサレラは、水と油だった。

無理をして監督に合わせても、自らを押し殺してプレーが窮屈になるだけだ。代表入りを拒否したレドンドの選択は、正解だったのかもしれない。

 パサレラとの関係はギスギスしていたが、ホルヘ・バルダーノとは相性がよかった。

 1991年、ふたりはスペインのテネリフェで出会っている。痩身のMFをバルダーノは高く評価し、チームの中枢に据えた。

 アルヘンティノス・ジュニアーズで培ったキープ力と、三手~四手も先を呼んだような配球。20歳とは思えない落ち着きがあった。レドンドは中盤の深い位置から試合全体をコントロールし、バルダーノにとって欠かせぬピースとなった。

 また、テネリフェの環境もプラスに作用した。レアル・マドリードやバルセロナといったビッグクラブではないため、メディアもサポーターも暖かい目で見てくれた。

 バルダーノと周囲の穏やかな雰囲気に後押しされたレドンドは生き生きとプレーし、1993-94シーズンはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)出場権獲得の原動力になった。

【レアルでの濃密な6年間】

 そして1994年夏、レドンドは信頼できるバルダーノ監督とともにレアル・マドリードへ移籍する。

 ラウル・ゴンサレス、ミカエル・ラウドルップ、エミリオ・ブトラゲーニョ、イバン・サモラーノなどを擁する豪華な前線を、一手に仕切ったのがレドンドである。

 秀逸なゲームビジョンと卓越したスキルは、多くのメディアが「エル・プリンシペ(スペイン語で貴公子)」と評するほどに美しかった。5シーズンぶり26回目のラ・リーガ制覇もレドンドに負うところが大きく、得点王を獲得したサモラーノよりも貢献度では上まわっている。

 以降、2000年に退団するまで、ラ・リーガ、チャンピオンズリーグを2回ずつもたらした。キャプテンとして出場した1999‐2000シーズンのチャンピオンズリーグでは、レアル・マドリード史上初のMVPにも選ばれている。準々決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦で、ヒールを使いながらヘニング・ベルグをかわし、タッチライン際からのスルーパスでラウルのゴールをアシストしたシーンは語り草だ。

「あの男のスパイクシューズには、磁石でもついているのか」

 敵将アレックス・ファーガソンが舌を巻くほどの流麗なプレーだった。世界一プライドの高い男の賞賛である。

 レアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレス会長は、レドンドをより高く評価してしかるべきだった。しかし、彼は「銀河系」の発想を抱き、ビッグネームの獲得に躍起になっていく。

「あの時、誰かが会長に進言していれば......」

 後悔するレアル・マドリードの関係者も依然として少なくないという。それほど、彼らとレドンドの6年間は濃密だったのだろう。ゲームメイク、リーダーシップ、ピンチの目を未然に摘み取る華麗なポジショニングなど、エル・プリンシペとの想い出は永遠に美しい。

 2000年夏のミラン移籍後、レドンドはケガとの戦いを余儀なくされた。シーズンを間近に控えたトレーニング中に右ひざを負傷。当初は軽傷といわれたが、実際は十字じん帯断裂の重傷だった。合併症も併発し、復帰までおよそ2年もかかっている。愚痴のひとつもこぼしたくなる。

【給料を全額返還する潔さ】

 だが彼は、誰かに責任転嫁するような愚か者ではなかった。しかも、「チームに貢献していないのだから、受け取る権利はない」と、約束されていたはずの給料を全額返還したのである。

 ピッチに立っていないにもかかわらず、高額の給料だけ受け取る選手がいる。所属クラブを揶揄したようなSNSに、平気でイイネと反応するふざけたヤツもいる。義務と権利を履き違えた典型だ。こうした輩(やから)はレドンドの爪の垢(あか)を煎じて飲み、なおかつ猛省しなくてはならない。

 優雅で美しいプレー、誠実で高潔な姿勢など、レドンドは「プロフェッショナリズムの鑑(かがみ)」でもある。

マドリディスタとミラニスタが彼の功績を語り継いでいるのは、ひとりの人間としてもリスペクトに値するからだ。

「フットボールへの接し方は申し分ない。ポゼッションを失わず、戦局とチームメイトの特徴を掌握しながら攻守をつなぐ能力は、若いころから秀でていた。運動量やスピードなど、肉体的な資質に基づくデータばかり重視していると、フットボール本来の魅力が損なわれる」

 恩師バルダーノのコメントにも、レドンドの魅力が満ちあふれている。

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