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MLBのサムライたち~大谷翔平につながる道
連載10:松井秀喜

届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。


MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。

第10回は、憧れの名門ニューヨーク・ヤンキースのユニホームに袖を通した松井秀喜を紹介する。

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【「打てずに負けた試合のほうが記憶に残っている】

 ヤンキースが最後に世界一になってからもう16年――。それはつまり、松井秀喜が強烈な輝きを放った、あの秋から早くも16年が経過したことになる。

 2009年10月、特にワールドシリーズでの松井の大活躍はほとんどファンタジーの産物だった。フィラデルフィア・フィリーズを4勝2敗で下した6試合のなかで、13打数8安打3本塁打8打点、打率.615、OPS(出塁率+長打率)2.027。中でも第2、6戦でペドロ・マルチネスから打った2本塁打は価値ある一打であり、当然のようにシリーズMVPを受賞した猛打はニューヨーカーの記憶に鮮烈に刻まれている。

 もっとも、松井自身にとって、7年に及んだヤンキースでのキャリアの中で最も印象に残っているのは、あの"伝説の秋"ではなかったのだという。

「結局、個人的なことより、勝った負けたの印象になるんですよ。(プレーオフでは)ずっと負けてたんで、特に自分が打てなくて負けたっていうのは今でもすごく印象に残っています。だからよく皆さんに2009年のことを言ってくださいますけど、自分が打てずに負けた試合のほうがいまだに(心に)残ってますよ。そういうもんです」

 ヤンキースで過ごした間は毎シーズンのようにプレーオフに残りながら、なかなか優勝を勝ち取れなかった。ついに悲願を果たした2009年よりも、それ以外のシーズンのほうが思い出深いというのは、いかにも思慮深い松井らしい。

改めて振り返ってみれば、何よりもこんな姿勢ゆえにニューヨークのファンからも愛されたのだろう。

「私はここ(メジャー)に来たとき、ヤンキースでプレーしたいというその一心でした。ピンストライプを着て、ヤンキースタジアムでプレーするっていう、それだけが自分の一番大きなことでした。もちろん自分がいいプレーをしないといけないんですけど、その憧れに対するものが一番大きかったんです。それを実際、体験できたことが本当にすばらしいことだったと思います」

 2003年にヤンキースに移籍した時のことを、松井はそう振り返る。それほど熱い想いを持って入団したメジャー1の名門球団で、1年目から新人王投票で2位に入り、2年目には打率.298、31本塁打を放つなどすぐにその能力の確かさを証明してみせた。最初の2年は連続でオールスターに選出され、すぐに主力選手として確立した。

 ただ、松井のメジャーキャリアは常に順風満帆だったわけではない。4年目以降はケガにも悩まされ、2006年は51試合、2008年は93試合の出場にとどまった。ヤンキースでの日々の後半は特に膝の故障に苦しんだ印象も強い。プレーオフでも2005~07年は合計47打数10安打1本塁打に終わっており、本人の言葉どおり、なかなかチームを押し上げる大活躍はできなかった。

【ヤンキースの一員として成功した要因】

【MLB日本人選手列伝】松井秀喜:「ゴジラ」の記憶は摩天楼ニューヨークに今もなお生き続ける
2009年ワールドシリーズではMVPを獲得する活躍で優勝に貢献した photo by Getty Images
 それでもひとつ言えることは、松井に対するファン、チームの周囲からの評価の高さは変わらなかったということだ。
その理由は、プレーする限りは生産的な打者であり続けたというだけではなく、チーム重視の打撃ができる献身的なスタイルは常勝が義務づけられたヤンキースにフィットしたからだろう。日本時代のような典型的なパワーヒッターではなく、プロフェッショナルヒッター。その姿勢は最後まで変わらなかったのだから、デレック・ジーターの"大好きなチームメイト"という言葉は決して社交辞令ではなかったはずだ。そして、そういった選手だからこそ、2009年秋の大爆発は多くのニューヨーカーの胸を打ったのである。

「ポストシーズンのゲームはすべて思い出深いですかね。シーズン中から、ヤンキースはプレーオフに行くもんだと思っていました。自分は別に何も準備、気持ちっていう面では変わってなかったですけど、その時期になるとそれが当たり前のような感じだった気がします」

 本当に毎年のようにプレーオフには進むヤンキースだが、冒頭の記述どおり、2009年以降、この名門球団は栄光に見放され続けている。そんな背景もあって、現時点で最後となった栄光をもたらしてくれた"ゴジラ"を地元の人々は忘れてはいない。今でも公の場に姿を現せば、ジーター、マリアーノ・リベラに次ぐ大歓声を浴びるのが恒例となっている。つけ加えておくと2010年にヤンキースから移籍し、ニューヨークの緊張感から離れて以降、ロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズでプレーした松井は精彩を欠いたのも事実だった。

 ヤンキースが松井を必要としたのと同じように、松井もニューヨークの街とヤンキースが必要だったのだろう。改めて振り返っても、幸せな邂逅だった。

7年にわたって響き渡った"ゴジラ"の咆哮は、今でも摩天楼にこだましているようですらある。

【Profile】まつい・ひでき/1974年6月12日、石川出身。星稜高(石川)―1992年NPBドラフト1位(巨人)。2002年12月にFAでニューヨーク・ヤンキースと契約。
●NPB所属歴(10年):巨人(1993~2002)
●NPB通算成績:1268試合出場/打率.304/1390安打/332本塁打/889打点/46盗塁/出塁率.413/長打率582
●MLB所属歴(10年):ニューヨーク・ヤンキース(2003~09)―ロサンゼルス・エンゼルス(2010)―オークランド・アスレチックス(2011)―タンパベイ・レイズ(2012) *すべてアメリカン・リーグ
●MLB通算成績:レギュラーシーズン=1236試合出場/打率.282/1253安打/175本塁打/760打点/13盗塁/出塁率.360/長打率.462 プレーオフ(6年)=56試合出場/打率.312/64安打/10本塁打/39打点/出塁率.391/長打率.541
●MLBタイトル受賞&偉業歴:ワールドシリーズMVP(2009)

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