【短期集中連載】
若かりし角田裕毅の素顔04(全5回)前編
「2021年:F1」

◆角田裕毅の素顔01から読む>>「中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに速かった」

 2021年、角田裕毅は日本人最年少の20歳でアルファタウリからF1デビューを果たした。

 渡欧からわずか3年目という驚異的なスピードでF1まで到達し、開幕戦バーレーンGPで入賞を果たす華々しいデビューを飾った。

しかし、2戦目イモラ(エミリア・ロマーニャGP)の予選でクラッシュを喫したところから、長い低迷を味わうことになった。

 そこから立ち直り、最終戦アブダビGPで自己最高の4位入賞を果たすまで、F1ドライバー角田裕毅がどのようにして形づくられていったのか。それを間近でつぶさに見てきた元ホンダのF1マネージングディレクター山本雅史とともに紐解いていく。

   ※   ※   ※   ※   ※

【F1】角田裕毅デビューレース9位から一転 2戦目でクラッシ...の画像はこちら >>
── 2021年にF1デビューを果たした角田選手は、開幕戦のバーレーンGPでいきなりフェルナンド・アロンソ(アルピーヌ)やセバスチャン・ベッテル(アストンマーティン)らと好バトルを展開し、9位入賞を果たしました。

「開幕戦のグリッドに角田がいるのを見た時には、本当にうれしかった。僕としてもモータースポーツ部長になってから6年目で、ようやくこの時が来たかという思いだったし、アロンソを抜いた時には本当に飛び上がって喜びましたよ。

 角田には何か、そういう計り知れないスター性があるんですよね。速いか遅いかだけじゃなく、人を魅了する力があるかどうか。

 これはドライバーやライダーを起用するうえで見極めるためのポイントだと、部下にも常に言ってきたことだったんですけど、角田はまさにそういうドライバーでした。(ヘルムート・)マルコさん(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)もそういうところをしっかり見ているし、あの開幕戦がまさにそうだったんです」

── しかし、第2戦のエミリア・ロマーニャGPの予選Q1でクラッシュを喫したところから、長い低迷が続くことになりました。

「開幕戦こそよかったものの、前半戦はまったくダメでしたね。イモラのクラッシュでクルマがおかしくなっていたかもしれない、というのもありましたけど、変に自信を持って臨んだ反動か、F1のすごさに圧倒されてしまって、自信が持てなくなってしまったんですよね」

【僕が一番怒ったのは第7戦】

── 低迷していた当時の角田選手は、どのような様子でしたか?

「F2の頃はうまくいかなかった時も『成長あるのみ』という感じで、気落ちするという場面はなかったように思います。だけどF1に上がって、つまずいた時のしょげかたといったら、ハンパではありませんでした。

『マルコさんに会いたくない。どうしよう?』って。怒られ方がハンパじゃないんで、マルコさんを避けていましたからね(苦笑)。

 クラッシュなんかした時には、エナジーステーションのドライバールームでこんな(燃え尽きた『あしたのジョー』状態)でしたからね。その場面を何度、見たことか(笑)」

── マルコさんからも厳しく言われ、精神的にかなり厳しい状況が続いていたんですね。

「フィジオセラピストがついているんですけど、何かあると僕のところに『フォローしてくれ』ってくるんですよね。彼が何を言ってもダメで。

 落ち込んだままだったから、僕が行って『やっちゃったものはしょうがないんだから、これからどうするか考えんだよ』って。となりに座って、頭を叩いて『レーシングドライバーってそういうものだろ?』って奮起させて」

── 後半戦はモノコック交換などもあって、調子を取り戻していきました。

「1年を通して成長していくのは見えていましたけど、そのなかで僕が一番怒ったのは、ポール・リカール(第7戦フランスGP)の予選でした。Q1最初のアタックのターン1でスピンしてクラッシュしてしまって......。

 その時もフィジオセラピストに呼ばれて、部屋に行ったらまた落ち込んでいたので、『お前はバカか?』って怒ったら、角田も素直に『そうなんです。

今思えばセットアップを変えたのに、なんで1周目から全開で行ったのか......』って。『みんなに謝ってこい』って言ってやって、このあとどうするかを延々と話しました」

【新マネージャーに期待】

── 山本さんが精神的なサポートを担っていたのですね。

「今思えば、そうやって身近で怒ったり叱咤激励する、よかった時にはきちんと褒めてあげるという人間がいたのは、角田にとってよかったのかもしれません。2022年以降はそういう人があまり周囲にいなかったのも、苦戦した理由のひとつだったかもしれない。

 そういう意味では、今年からマネージャーに就任したディエゴ・メンチャカ(30歳のメキシコ人ドライバー)と鈴鹿で会って話した感じでは、彼がそういう役割を果たしていってくれるのではないかなと期待しています」

(つづく)

◆角田裕毅の素顔04後編>>低迷から救ってくれた先輩アルボンの存在


【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所(Honda R&D)に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。

編集部おすすめ