スターダム
スターライト・キッド インタビュー前編
スターダムで唯一無二の存在感を放つスターライト・キッド。その華麗な飛び技と観客を惹きつける繊細な表現力は、観る者を魅了し続けている。
幼少期のプロレスとの出会いから、一度は離れたプロレスの世界への再出発の真相、ターニングポイントになったジュリア戦など、彼女の軌跡を聞いた。
【小学生の頃からプロセス技を練習】
――幼い頃はどんな子供でしたか?
キッド:小さい頃は活発なタイプではなかったですね。泣きながら、幼稚園や小学校に行くことを嫌がっていた記憶があります。いじめられたとか、決定的な理由があったわけではなくて、ただ単に「家から出たくない」という内向的な子供でした。友達とはよく公園で遊んでいたんですけど、学校は苦手でしたね。
――ご両親の影響でプロレスを好きになったと伺いました。いつ頃からプロレスを見ていましたか?
キッド:会場には0歳から連れて行かれていたみたいです(苦笑)。記憶があるのは、5、6歳くらいの頃からですね。後楽園ホールや板橋グリーンホールなど、いろんな会場に連れて行ってもらいました。
――どの団体ですか?
キッド:NEO女子プロレスです。
――田村欣子(たむら・よしこ)選手などがいた団体ですよね?
キッド:そうです。なかでも"タムラ様(田村欣子の愛称)"がすごく好きでした。
――幼い頃から何かスポーツはやっていましたか?
キッド:小学校2年生から3年生、小学校6年生から中学校1年生の頃に少しだけダンスを習っていました。
――キッド選手はスポーツ万能のイメージがあります。
キッド:よく言われるんですよ(笑)。小学生の頃には、近所の児童施設にトランポリンやマットが置いてあって、勝手にプロレス技を練習していました。ムーンサルトという名前は知らなかったんですけど、「ダイビング〇〇!」とか言いながら、大きなマットの上に飛び込んで遊んでいましたね。その経験が、今のプロレスに生かされているんだと思います。
【運命が導いたスターダムへの道】
――どのような経緯でプロレスラーになったのですか?
キッド:2010年12月31日にNEOが解散したあと、試合は家にあるNEOのDVDを見ていました。実は昔、母はNEOの選手と交流があって。ある時、幼少期に会場で会ったことがあった宮崎有妃さんに、元NEOの選手が多く出場するスターダムの観戦に誘っていただいたんです。
当時、SNSで宮崎さんをフォローしたら、「夏樹☆たいようが引退するから一緒に観に行かない?」とDMでのやり取りが始まりました。
学生チケットが1000円だったので、「安い!」と思って、ひとりで後楽園ホールに観戦に行きました。それが2015年2月22日です。売店に(キッズファイターとして活躍していた)AZMが立っていて、「キッズもプロレスをやっているんだ」と驚きました。やりたいことを見つけられずにいた時期で、身体を動かすのは好きだったので「プロレスラーになりたい」と強く思いました。
――ご両親に反対されませんでしたか?
キッド:逆にとても応援してくれましたね。私がやりたいことを見つけたのがうれしかったんだと思います。すんなり履歴書を書いて送ってくれて。当時のスターダムは格闘技からスカウトで入門する選手が多かったので、履歴書が届くのは珍しかったようです。2、3月とひとりで後楽園に観戦に行き、4月の新木場大会ではスターダム7期生として売店に立っていました。
――展開が早いですね。この時期、多くのキッズレスラーが入門しました。
キッド:すでに3姉妹(羽南、吏南、妃南)は栃木から練習に参加していましたね。私のジュニアの同期は琉悪夏、七星アリスで、唯一大人だったのがジャングル叫女でした。
――10代のうちに憧れのプロレスの世界に飛び込んでみて、いかがでしたか?
キッド:当時のスターダムは選手の退団や離脱などがあり、大変な時期でした。会社も「早く選手をデビューさせたい」という意向があったようです。ただ、私はデビューできるスキルはあるけど、まだ体も細かったため、マスクウーマンとしてデビューすることになりました。
――ご自身の意思ではなく、マスクウーマンになったのですか?
キッド:自分から「マスクウーマンになりたい!」とは言ってないんですよ。素顔でデビューするつもりだったので、最初は驚きました。ただ、スターダムの所属選手も増えて、団体が大きくなり、そこで唯一のマスクウーマンでいられることは本当に誇れますね。
【一度プロレスを離れた時期も】
―― 一度、プロレスから離れていた時期がありましたよね。
キッド:2016年ですね。表向きは「受験のため」と言っていたんですけど、実はやめたくなってやめたんです(苦笑)。
――何があったんですか?
キッド:子供の頃から鼻血が出やすい体質で、練習中も試合中も出てしまう。それが怖くて、どうしていいかわからなくなってしまって......。
――今は大丈夫ですか?
キッド:今でも出やすいんですけど、だいぶマシになりました。先日、ワンダー(・オブ・スターダム選手権)の防衛戦、3.15大田区総合体育館の小波戦と、4.27横浜アリーナのAZM戦では出ましたけどね。小波戦は思いっきり顔面蹴られたのもありますけど(笑)。
――高校生になったあと、2017年6月に復帰しました。
キッド:最初は高校に行く気がなかったんですけど、「プロレスをやめたい」と言って塾に通い、高校進学を決意しました。そこで、なぜか「推薦の面接でプロレスの話をしたら進学できるかも......」と考えて(笑)。それでプロレスラーをしていることを話したら、反応がよかったんです。
――プロレスをやっていてよかったですね。
キッド:そうですね。やめるつもりだったくせに(笑)。
【現在WWEで活躍するイヨ・スカイに抱く「ひとつの夢」】
――2018年3月、復帰後初めてのタイトルであるフューチャー・オブ・スターダムの初代王座を獲得しました。
キッド:ベルトを見た時に「これは私のためのベルトだ」って、勝手に思いました(笑)。初代王者になれたことで「大きなものを残せたな」と思ったんですけど......当時は実感が湧かなかったです。
――その後、2018年4月に初のユニット「STARS」に所属します。
キッド:もともと正規軍としてやっていたので、それに名前がついたという感覚でした。メンバーもほとんど変わらなかったですし。バンドに例えると、バンド組んで名前がついて、ロゴができて、曲ができて、「やった!」みたいな。当時は深く考えてなくて、楽しくやっていた感じでした。マスクウーマンとして、"スターダムのマスコットキャラ"として存在していた感じです。
――2018年5月27日、海外に行く前の紫雷イオ選手(現イヨ・スカイ/WWE所属)と対戦していますね。
キッド:その試合で初めて、セカンドコーナーからムーンサルトプレスを飛んだんですよ。
――イヨ選手もムーンサルトプレスには定評があります。
キッド:イオさんの完成度には全然及ばなかったけど、自分なりに出しきろうと。そういえば、私が使っている"キッちゃんボム"は、イオさんに教えていただいた技なんです。「キッドにこの技は合うと思う」って。その技も、このイヨさんとの試合で初披露した気がします。
当時の私にとって、イオさんはあまりにも遠い存在でした。渡米前のイオさんはワンダー王座を保持していた。そのベルトを自分が巻いていると思うと、「レスラーとして大きくなったな」って実感します。今、スーパースターになられたイオさんと自分が対戦したらどうなるんだろう......これはひとつの夢ですね。
――海外挑戦への思いはないんですか?
キッド:ないですね(笑)。"欲深きホワイトタイガー"なんですけど、海外進出は考えてなくて、「スターダムで頑張りたい」という気持ちが強いです。
【ターニングポイントになったジュリア戦】
――2021年2月13日、当時のワンダー王者、ジュリア選手に挑戦しましたね。
キッド:正直、ワンダーのベルトというより、ジュリアという存在が大きかった。その時はまだハイスピード(※)のベルトも獲れてなかったから、段階を飛び越えて挑戦してしまった感じでしたね。
(※)ハイスピード王座。素早い動きを得意とする選手向けのベルト。
――この試合でマスクを破られましたよね。
キッド:私のプロレス人生でターニングポイントになった試合です。同年3月、中野たむとジュリアの髪切りマッチが決まっていました。ジュリアからすれば、「たむとの髪切りマッチの踏み台」くらいにしか思っていなかったのかもしれません。でも、私にとっては初めてのワンダー王座挑戦でしたし、初めて後楽園ホールのメインイベントだったので、めちゃくちゃ気合いが入っていた。
負けはましたが、その試合でスターダムのマスコット的なイメージが覆されたというか。ジュリアにマスクを破られたことで、今まで出たことない感情が大爆発しました。観客の方たちも、私の力強さや感情が動く試合を初めて観たんだと思います。その時に「お客さんが私に求めているのはこういうことなんだな」と感じましたね。
今思えば、ジュリアも必死だったと思う。アイスリボンから単身、スターダムに乗り込んできて這い上がっていったわけですからね。
(後編>>)
【プロフィール】
スターライト・キッド
身長150cm、体重48kg。スターダム7期生。2015年10月11日にプロレスデビューを果たす。2018年3月28日、新設されたフューチャー・オブ・スターダム王座の初代王者に。2021年6月、ユニット「大江戸隊」に強制加入。同年8月、なつぽいを破りハイスピード王座戴冠。2022年3月、渡辺桃とともにゴッデス・オブ・スターダム王者に。2024年5月、大江戸隊から追放。同年7月、自らが中心となる新ユニット「NEO GENESIS」結成。同年12月、5度目の挑戦で悲願のワンダー・オブ・スターダム王座を奪取した。