2026.1.4引退! 棚橋弘至引退カウントダウンSPECIAL! 第1弾
棚橋弘至×藤波辰爾「ドラゴン魂継承対談!」全4回#1
来年1月4日の東京ドームで現役を引退する新日本プロレスの棚橋弘至。かつてその新日本のリングで一時代を築いた藤波辰爾との夢の対談が実現。
【藤波さんのロックアップは世界一美しい】
── おふたりが顔を合わせるのは、今年6月に名古屋で開催された『TANAHASHI JAM~至』のリングで闘って以来ですよね?(棚橋弘至&海野翔太&田口隆祐vs藤波辰爾&高橋ヒロム&LEONAの6人タッグマッチ)
藤波 久しぶりに棚橋くんと肌を合わせてみて、やっぱりロックアップが重かったよ。それと同時に、なんか安心感があった。
棚橋 ロックアップに安心感ですか?
藤波 本来、闘っている最中なんだから安心感なんてあっちゃいけないんだけど、なんだろう? やっぱり新日本の選手だなということで、親しみとか愛おしさを感じたのかな(笑)。
棚橋 僕もあの日、藤波さんのロックアップには重みがあるなとあらためて感じました。そしてやっぱり世界一美しい。過去の長州力さんとの一連の試合でのロックアップは、複雑なジグソーパズルがガチッとハマったような、磁石がバチーンと引き寄せ合うような美しさと気持ちよさがあって、それは何度見返してもそう思うんです。あのロックアップは誰にも真似できないですよね。
藤波 たいていのレスラーが試合のスタートでロックアップするわけだけど、べつにロックアップする必要ってないんだよね。だけど目と目が合った瞬間の呼吸でボーンと組み合う。
棚橋 ロックアップを組むまでの制空圏ということで言えば、僕が新日本の道場で習ったのは「打撃の距離でもない、レスリングとか組み技の距離でもない、その中間の距離に入った瞬間にいけ」というものでした。
藤波 それ、団体によって違うんだよね。昔は、他団体は全日本しかなかったけど、全日本の選手とはなんか呼吸が合わない。
── 藤波さんも棚橋さんも、新日本のなかで特異だったのは徹底的に相手の技を受けてみせるスタイルですよね。
藤波 べつに好き好んで受けてるんじゃないですよ。
棚橋 僕も攻めようと思っているうちにやられちゃってるだけで。
藤波 それは自分のタイミングでね、無理に攻めて逆にかまされるよりも、あえて受けたほうが自分のダメージを少なくすることができたりもするから。だから攻めたり攻められたりというのも呼吸だよね。
棚橋 前田日明さんの大車輪キックをくらった時(1986年6月12日大阪城ホール)はすごかったですね。藤波さんの顔面から血が噴き出して。
藤波 本来ならあんな蹴りを受けたくないもん(笑)。
【できることなら一方的に勝ちたい】
── 相手の技を受けきることで万策尽きさせるという部分はなかったですか?
藤波 まあね。できれば攻撃だけしておきたいけどね(笑)。
棚橋 できることなら一方的にやって勝ちたいです(笑)。
藤波 前田にしろ、橋本(真也)にしろ、オレはよう蹴られましたね。
棚橋 橋本さんの蹴りも重そうでした。
藤波 しかも橋本はレガースなしで蹴ってくるからさ、いつもオレの顔にシューズの紐の跡がいっぱいついていて「交通事故かなんかに遭ったのか?」という感じだったもんね(笑)。ただ、やっぱり急所だけは、一番ダメージのあるところは蹴られまいと、瞬間瞬間にかわせてはいたけど。
棚橋 みぞおちなんかに入ったら一発で動けなくなってしまいますからね。
藤波 棚橋くんはオレと同じタイプだから、前田とか橋本と時期が重なっていたら、たぶんすごく......。
棚橋 時期がズレていてよかったです(しみじみ)。
藤波 プロレスって変な言い回しで誤解される場合があって、相手の技を受けると言うと「なんだ、お互いに馴れ合いでやってるのか」って思われたりして嫌なんだけど、そうじゃないんだよね。
棚橋 違いますね。
藤波 自分にチャンスがあれば当然攻めていく。ただ、不思議といい試合になる時というのは、無意識のうちに相手と意思の疎通ができている。
【相手の強い部分を知っておくことが大事】
棚橋 藤波さんの本当にすばらしいところは、闘った選手は全員必ず輝くんです。
藤波 プロレスというのは相手あってなんぼだし、お客さんに感動を与えるというのも相手あってのこと。そして、その相手に自分が勝ちたい。だから前田や橋本とやる時は、彼らのそれまでの試合を見てきているわけだから、どういう動きをするのか、どういう技を使ってくるのかは把握している。
それを一回自分の頭のなかでシミュレーションしてから試合に入っていくんだよね。だってオレが前田の蹴りを怖がったり、一発も受けたくないという姿勢だったら試合は成立しないし、たぶん見ているほうもつまらない。だから、あえてそのなかに飛び込んでいく。そのために相手の強い部分を知っておくことが大事だよね。
棚橋 藤波さんは、相手の力を9まで引き出して自分の10で勝つ。それは5とか6の選手に勝ってもそんなに盛り上がらないし、まず自分がうれしくないからですよね。相手もいい選手、でも自分はそれよりもいい選手なんだという。ひと昔前まで「マウントを取る」という言い方はなかったですけど、藤波さんはずっとそういう勝ち方をしてきたんじゃないかなって思います。
── ドラゴン・マウントですね。
藤波 猪木さんもどっちかというとそっちのタイプだもんね。どんな選手だろうが相手の引き出しをどんどん引き出していって、「あの選手ってこんなによかったかな?」って見えるぐらいにしてしまう。
── 強敵に仕立て上げたうえで勝つことで、自分の強さを示すという。
藤波 どんなトップスターの選手も、最初はみんなデカいだけでどうしようもなかったというのが多いですよ。それを猪木さんがトップスターにつくり上げていくんだよね。

【怖さとか緊張感を忘れちゃダメ】
── そうして相手を磨くことで、今度は自分が窮地に追い込まれていく。その繰り返しですね。
藤波 猪木さんは本物の蹴りやパンチを持った相手との異種格闘技戦においても、相手を光らせたからね。モンスターマンにしろ、ウィリー・ウィリアムスにしろ。それができるレスラーというのはすごいよ。だって、こっちの負担は極力なくして、早く潰してしまえばいいわけでしょう。
棚橋 それは覚悟ですよね。猪木さんも藤波さんも、その覚悟の量がほかのレスラーとは圧倒的に違う。
藤波 レスラーって、いざとなった時には腹を括ってる。お客さんも期待するから逃げ場がない。
棚橋 そこに少年時代の僕は痺れてしまったんです。プロレスラーは命を張ってるな、身体を張ってるなっていう。「なんでここまでできるんだろう......」っていつも思っていました。
藤波 オレにはまったく格闘技経験がなかったから、本来だったらその場から早く逃げたいというのが正直なところ。
── 藤波さんがいつもおっしゃっているのは、格闘技経験がないからこそ自分の力量を試してみたくなると。
藤波 そう。知らないから怖いんだけど、その怖さが緊張感につながるんだよね。自分に格闘技の経験があったら、どこかで余裕があって、オレが言っている緊張感というものは試合からなくなっちゃうだろうな。特に日本のプロレスファンは細かい部分まで見ているから。
棚橋 そうですね。指先から表情から、その動きの機微にすべての感情が出てしまうので。
藤波 だから若手のデビュー戦なんかを見たらよくわかるよね。みんな身震いして、太ももなんかブルブルしてる。そりゃ逃げ場のない四角いリングに上げられて、そこで組み合うなんて最初はみんな怖いよ。オレの息子(LEONA)もプロレスでデビューして10年ぐらいかな? オレはいまだに必ず言う。「絶対に怖さとか緊張感は忘れちゃダメだ」と。変に余裕を持って試合をやったら、絶対にお客さんにはプロレスの緊張感が伝わらないから。
つづく>>
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/1976年11月13日生まれ。岐阜県出身。大学時代からレスリングを始め、98年2月に新日本プロレスの入門テストに合格。99年に立命館大学を卒業し、新日本へ入門。同年10月10日、後楽園ホールにおける真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。2006年7月17日、IWGPヘビー級王座決定トーナメントを制して第45代王座に輝く。09年、プロレス大賞を受賞。11年1月4日、小島聡を破り、第56代IWGPヘビー級王者となり、そこから新記録となる11度の防衛に成功した。23年12月23日に新日本プロレスの代表取締役社長に就任。26年1月4日の東京ドーム大会で引退する
藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)/1953年12月28日生まれ。大分県出身。70年6月、16歳で日本プロレスに入門し、翌71年5月9日デビュー。72年3月、新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。同年12月に開催された第1回カール・ゴッチ杯で優勝し、75年6月に海外遠征へ出発。カール・ゴッチのもとで修行を積み、 78年1月にWWWFジュニアヘビー級王座を獲得した。81年末にヘビー級転向を宣言。長州力との戦いは「名勝負数え唄」と呼ばれファンを魅了。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。06年6月に新日本を退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。 08年より団体名を『ドラディション』へと変更した