平石洋介×上重聡

多くのプロ野球選手を輩出している名門・PL学園野球部について、平石洋介さん(東北楽天ゴールデンイーグルス)と上重聡さん(フリーアナウンサー)の同級生OBコンビ(1998年卒)が在学当時の思い出を振り返る本企画。全2回の後編は、名将・中村順司監督の指導から、「今考えても、あれが何だったのかわからない」という謎のルーティーンまで――。

前編を読む>>>【PL学園・同級生トーク】平石洋介と上重聡、お互いの第一印象は「これだけレベルの高い人がいるのか」「走攻守の三拍子がそろっている」 

同級生の平石洋介と上重聡が語る名門・PL学園の教え「甲子園よ...の画像はこちら >>

【短い練習時間だからこそ高まる緊張感】

――PL学園の練習はどんな感じでしたか?

平石洋介(以下、平石) 短かったよね。

上重聡(以下、上重) そうだね。全体練習は15時から始まって、19時か18時半ぐらいには必ず終わるので、3時間か3時間半ぐらいでした。練習メニューは基本的で、アップ、キャッチボール、ノック、バッティング、最後にランニング。特別すごい練習ではなかったと思います。 

平石 当時(の強豪校)は、朝から晩まで長くやるっていうのが主流で、結構最先端だったんじゃないですかね。土日でも、たしか朝9時から始めて、14時前ぐらいに終わっていました。丸 1日練習するのは、夏の大阪大会1週間前からの強化合宿だけで、それは朝から17時ぐらいまでやっていたんですよね。ただ、(普段の練習は短くても)監督や先輩からのプレッシャーはすごいですよ。ミスは絶対に許されない空気でした。 

上重 バッティング(練習)も1本1本をいかに真剣にやるか、ミスをしないかみたいな感じでした。なので、私は正直、甲子園よりも普段の練習のほうが緊張していましたし、厳しいと思っていました。

 こんなことを言ったら怒られるかもしれないですけど、甲子園はラクというか、あんなに楽しい場所はないっていう感覚でした。

平石 厳しかったよね。1年生も夏の予選が始まる前までは、(上級生と同じ)練習に入れるんですけど、ちょっとでもミスをしたら「出てけ」って言われますしね。その練習でミスしたことや教わったことを踏まえて、翌日にちょっとでも違う姿を見せられるように自主練習です。自主練習はめちゃくちゃしていました。

上重 自主練習が練習で、普段の全体練習が本番。甲子園はご褒美っていう感覚ですね。

――それぐらい普段の練習は緊張感が......。

平石 もうハンパなかったです。 

上重 PLがすごいなと思うのは、私たちの学年はプロ野球にふたり(平石洋介、大西宏明)いっているんですけど、ひとつ上の学年もふたり(小林亮寛、前田新悟)、下の学年も4人(田中雅彦、田中一徳、七野智秀、覚前昌也)がプロ野球選手になっているんです。3学年で8人もプロ野球選手がいるってことじゃないですか。そんな選手たちと毎日練習を一緒にやって、練習のやり方も見られるって自ずとレベルが上がっていきますよね。調べてみたら、26年連続でプロ野球選手を出しているんです。

 先輩のエピソードもすごくて、清原(和博)さんや福留(孝介)さんがどれだけ打ったか、桑田(真澄)さんが夜にゴルフ場を走っていたとか、出てくる名前はみんなレジェンドです。高校生って「そういうすごい人がそんなことをやっていたんだ」と刺激を受けて、「僕もやってみよう」となりますよね。そういう風土というか、環境があの強さを作り出していたんじゃないかなって、大人になって分析をして、そう思っています。 

【監督の教えの意味が今ならわかる】

――中村順司監督の指導方法が、他の学校の野球にも影響を与えていたそうですね。

平石 そうですね。PLって、甲子園で優勝とか(目標は)あるんですけど、結局はその先のプロとか、アマチュアでも野球を続けて活躍してほしいって思いがあるんですよ。PLで控え選手でも、大学でレギュラーをつかむとか、社会人でレギュラーとかも多いです。その裏にはちゃんと教育をするところと、自分たちで考えてやりなさいっていう指導がありました。

 野球って言われるがままやっていたら、ある程度は成長できてもそこから先は難しい。試合になったら、誰も助けてくれないので自覚というか、主体性を持たせてやらせてくれたのは大きいかもしれないです。

上重 中村監督は「30歳まで野球をしてほしい」って、よく言っていたんですよ。当時は「プロ野球選手を目指しているんだから、30歳までやるだろう」と思っていたんですけど、30歳まで野球を続けることがどれだけ難しいことか。

大学に行き、社会人になって、続ければ続けるほど30歳まで野球をやっている人の偉大さを感じました。平石はいつまで現役だった?

平石 31歳までかな。ただ、PLの練習で勉強になることはいっぱいあったんですけど、唯一わからなかったのは、天突き体操(笑)。 朝ご飯をしっかり食べるために散歩をして、最後に2列で向かい合って、又割りの状態から「エイサー! エイサー!」って。

 これを早朝からやるんですよね。「天突き体操」って言うんですけど、何の意味あったんだろう?(笑)。

上重 意味は私もわかりませんでしたけど、桑田さん、清原さんもやっていたんだと思うとかっこいいなと思ってやっていた(笑)。

――朝は何時に起きて散歩に行くんですか?

上重 朝6時からですね。軽く歩いて、最後に天突き体操をして朝ご飯をおいしく食べましょうっていうことでした。 

――授業中はどのような感じでしたか?

平石 先輩がいない唯一の空間ですからね。リラックスしていました。

上重 ほぼ、みんな夢の中ですよ(笑)。

――授業が終わってからはすぐに練習ですか?

平石 学校からグラウンドまで約2キロあるんですけど、1年生は競争があるんですよ。到着が遅い3人に入ってしまうと、先輩のお手伝いというか、使いっぱしりをしないといけないので、5時間目のラスト10分ぐらいになったら、みんな屈伸とかを始めるんです(笑)。 

上重 カバンを持ちながらどうやったら速く走れるんだろうとか、試行錯誤をしていましたね(笑)。 

Profile 
平石洋介(ひらいし・ようすけ)/1980年4月23日、大分県出身。PL学園から同志社大学、トヨタ自動車を経て、2004年にドラフト7位で楽天に入団。2009年にはプロ初本塁打を放つなど活躍し、2011年に現役を引退。2019年に楽天の監督を務める。現在は野球解説者として活動している。

上重聡(かみしげ・さとし)/1980年5月2日生まれ、大阪府出身。PL学園時代にエースとして活躍。立教大では東京六大学リーグで史上ふたり目の完全試合を達成。卒業後の2003年にアナウンサーとして日本テレビに入社。

2024年3月末をもって同社を退社し、現在はフリーアナウンサーとして活動している。

編集部おすすめ