世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第33回】ディディエ・ドログバ(コートジボワール)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第33回は、チェルシーが世界有数のクラブに上り詰める時期に、数多のゴールを決めて勝利に貢献したディディエ・ドログバを取り上げたい。この長身コートジボワール人ストライカーは、ジョゼ・モウリーニョ体制に欠かせぬ存在だった。すべてが規格外──そう断言できる。
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空中戦を装った意図的なプレーなのか、あるいは不可抗力なのか。バレンシアのCBロベルト・アジャラは、強烈な頭突きを長身FWの後頭部にお見舞いした。2004年5月のUEFAカップ決勝、バレンシア対マルセイユ戦のワンシーンである。試合開始早々の一撃で、177cmのセンターバックは189cmのFWを見下ろした。
筆者はこの一戦を現地ヨーテボリ(スウェーデン)から解説したが、長身のアタッカーはアジャラとのマッチアップを嫌がっていた。オフ・ザ・ボールではサイドに位置し、アジャラと距離を置いている。マルセイユが0-2で敗れたのは、ストライカーの戦意喪失が大きな要因だった。
ディディエ・ドログバの第一印象は芳しくなかった。
したがって、チェルシーがドログバを獲得した時、イングランドのメディアも手厳しい。
「2003‐04シーズンのマルセイユで19ゴールを記録したとはいえ、プレミアリーグのDFには通じないのではないだろうか」
「冬の市場で新たなFWを獲得するしかない」
「3600万ユーロ(当時約47億円)もの移籍金を支払うなんてバカげている」
【ファウルを誘うプレーは慎め】
ただ、ジョゼ・モウリーニョ監督は絶対の自信を持っていた。のちに明かされたロマン・アブラモヴィッチ・オーナーとの会話でも証明されている。
「誰を獲ればいいんだい?」(アブラモヴィッチ)
「四の五の言わずにドログバで」(モウリーニョ)
意外な人選にアブラモヴィッチは驚いたという。側近が提出したリストに「ディディエ・ドログバ」の名前は記載されていなかったようだ。
しかし、モウリーニョに「チェルシー王国建立」を託した以上は、現場の声を最優先するしかない。そして、この人選は的中した。
肉弾戦をモノともしないフィジカル、強烈で正確なシュート、打点の高いヘディング、オフ・ザ・ボールにおける秀逸なリアクション、独りよがりにならないサポート姿勢など、チェルシーの前線でドログバは異彩を放った。
さらにフリーキックの精度も高く、右足インサイドから放たれるキックは無回転、かつパワフルだった。そう、足の内側で強烈な一撃を操っていたのだ。単なるターゲットマンではない。
負傷のためにおよそ2カ月の戦線離脱を余儀なくされたものの、ジョー・コール、アリエン・ロッベン、フランク・ランパードと織り成す攻撃は迫力に満ちあふれていた。
また、ランパードとジョン・テリーの存在も頼もしかった。シミュレーションを繰り返すドログバに、ふたりの先輩は忠告した。
「イングランドのサポーターはアンフェアな行為を最も嫌う。ファウルを誘うようなプレーは慎め」
以降、ドログバは露骨に倒れなくなった。誰にも負けない強靭なフィジカルを持っているのだから、シミュレーションなど必要ない。
「ふたりには感謝している。何も言われなかったら、バカバカしい行為を繰り返していたかもしれないからね。だけど彼らは、特にテリーは、もっと汚かったよ(笑)」
チェルシー時代を語る際のドログバは、いつも楽しそうだ。
【モウリーニョ監督を失って落胆】
「試合に出られないほどではないが、決してベストコンディションではない。ある程度、スケジュールを管理している」
翌シーズン、モウリーニョはドログバを気遣っていた。ひざや足首は常に痛みが伴い、無理強いできない状況だった。それでも12ゴールを挙げ、11アシストはリーグ最多だ。
「俺がここにいられるのは、チェルシーでプレーできるのは、ボスのおかげだ」
ドログバは再三にわたってモウリーニョに対する感謝を公言し、その思いは2006-07シーズンに大きく花開いた。
チームは残念ながら3連覇を逸した。新戦力のアンドリー・シェフチェンコとミヒャエル・バラックが期待を裏切り、マンチェスター・ユナイテッドにタイトルを譲った。
しかし、ドログバは36試合・20ゴールで悲願の得点王を獲得し、FAカップとリーグカップのダブルにも貢献する。
「俺を気遣ってくれたボスのおかげさ」
だからこそ、2007‐08シーズンのアクシデントは憤懣(ふんまん)やるかたなかったのだろう。アブラモヴィッチとの方向性の違いが明るみに出たモウリーニョが、序盤戦の不振も災いして解任。ドログバは「家長を失った」と落胆し、移籍を匂わせる発言を繰り返すようになった。
ただ、稀代の名将が去ったあとも、チェルシーは2009−10シーズンもプレミアリーグで優勝している。ドログバは29ゴールを挙げて、3シーズンぶりの得点王に輝いた。
2011-12シーズンにはチャンピオンズリーグも制した。決勝のバイエルン戦ではドログバが88分に渾身のヘッド。
しかし、どうしても心からは喜べなかったという。
「チェルシーの1シーズン目が終わった時、マルセイユに帰りたくてたまらなかった。10点しか取れなかったし、毎シ--ズンのように15点前後をマークするランパードがいる。俺は必要ないなって思ったんだ。
その時、ボスが声をかけてくれた。たったひとりでキングのように振る舞いたいのなら、マルセイユで楽をすればいい。まぁ、自己満足ってやつだな。でも、チェルシーなら22人のキングのなかでトップに立てる可能性があるんだぞってね」
【今のトップDFたちと対峙すれば...】
マルセイユに戻るよりも、ハイレベルなチェルシーのトップチームで頂点を目指してみろというアドバイスは、心に沁みた。ドログバは心底、モウリーニョに惹かれている。
鋼の肉体を相手DFにあずけるかのようにボールをキープし、スプリントでは正当なショルダーチャージを交えながらマーカーを粉砕する。この男と肉体的に渡り合えるDFは、ほぼ存在しなかった。
現在、ワールドクラスのセンターバックと言われるフィルジル・ファン・ダイク(リバプール)やウィリアン・サリバ(アーセナル)でさえも、デュエルでは圧倒されるのではないだろうか。
イングランドでの公式戦・通算成績は381試合・164得点。チェルシーのレジェンドとして愛されるドログバは、今も強烈な印象とともにファンの記憶に刻まれている。