学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【ラグビー】堀江翔太インタビュー後編(全3回)
◆堀江翔太・前編>>「周りの子を吹っ飛ばして気持ちよくなって」バスケ部を辞めた
◆堀江翔太・中編>>「キックがうまいのは私立をあきらめ公立に進学したから」
ラグビー日本代表HOとしてやがて世界に名を轟かせることになる堀江翔太は、花園(全国高校ラグビー大会)出場まであと一歩届かなかった島本高校を卒業後、地元大阪を離れて関東の強豪・帝京大学の門を叩く。※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)
そこでより本格的なラグビーを学ぶことになる堀江だが、初めは練習や環境の変化に大いに戸惑った。
※ ※ ※ ※ ※
「練習後に『1500メートル走3本』って聞いて『1日1本ちゃうの?』って思ってました。島本では自由にやらせてもらったんで、けっこうカルチャーショックでしたね。
でも、入っちゃったんで、その場でどういうことをして、どう成長するかっていうことに目を向けていきました。目の前のことでいっぱいいっぱいでしたけど、高校までの自由なラグビーやなく組織的なラグビーを学びましたし、今で言う一般的なラグビーのやり方を教えてもらいました。プロに近いラグビーを覚えたのは、間違いなく帝京でしたね」
高校ではチームの中心選手だった堀江も「部員は120人はおったかな」と振り返る大所帯の帝京では、あくまでその一部員だ。
「島本では僕を中心に考えてやってくれて、たぶん周りが合わせてくれてたんでしょうね。帝京ではメインだけじゃなく、脇役もやらなあかんってことも学びました」
環境や役割の変化に順応した堀江は、1年生からレギュラーの座をつかむ。コンタクトプレーを得意とするNo.8として高校時代に培った能力を、強者ぞろいの関東でも遺憾なく発揮した。
上級生になっても主力として活躍し続けた堀江は、4年でキャプテンを拝命する。
「人生初キャプテンでした。けど、僕、キャプテンキャラちゃいますからね。キャプテンシーがあってキャプテンになったわけでもないんですよ。『絶対にこうしろ』ってタイプやないですし。ほんまに消去法で、1個上の代からキャプテンに選ばれたんです」
【掃除はみんなでやったらええ】
高校時代に自由なラグビーで開花した堀江は、大学でも再び自由なラグビーを謳歌する。
「4年生の時は、もちろん決め事がちゃんとあるなかで、ですけど、自由にさせてもらいました。僕がそうしたんではなく、1年生から4年生までの僕の動きを見てくれて、『ふだんならNo.8はこの位置にいないといけないけど、堀江はそこにいていい』みたいな感じで、僕が自由にできるポジションを1個作ってもらった感じです」
2007年度の堀江キャプテンの代は、関東大学対抗戦Aグループは4勝3敗で4位になるも、全国大学選手権はベスト4入り。早稲田大との準決勝で5-12と惜敗しベスト4でシーズンを終えたが、翌年の準優勝と翌々年からの前人未到の9連覇の足がかりを作った。
勝敗に直接関わらない部分でも、堀江には大きな功績がある。現在の帝京大には4年生が寮の掃除などの雑用を受け持つ文化が根づいているが、その慣習を始めたのは堀江なのだという。
「そういう噂がありますけど、誰がやり始めたか全然わかんないんですよ。自然にっていう感じちゃいますかね。
ただ、同級生から聞いた話では『掃除を(下級生に)頼むとか面倒くさいし、手の空いてるヤツが一緒にやったらええやん』ってことを僕が言っていたらしいです。
体育会特有の厳しい上下関係のあり方を変えた、あるいはそのきっかけを作ったのが堀江だった、というわけだ。
「たとえば、ひとつ上の代をリスペクトするみたいな文化は、僕は必要やと思います。社会としても必要ですし、むしろそれがあるから、組織が何かをする時にパッと実行できる。
でも、理不尽な上下関係はいらんと思ってます。掃除したり、洗濯したりを『とりあえず1年生やれ』っていうのは、ちゃうかなと。そう考える僕がキャプテンになったんで、全体がそういう雰囲気になったんですかね」
【自分が好きな道に進んでほしい】
選手として成長し、チームの強化にも貢献し、長らく続いていた慣習まで変えた堀江は、ラグビープレーヤーとしてさらなる高みへと羽ばたいていく。
「中学生の時にはもう『ラグビーでテレビに出る』って寄せ書きか何かに書いていたんですけど、大学卒業後は会社の社員選手としてラグビーをするつもりでした。いくつか声もかけてもらって、そうなる雰囲気はあったんです。
だけど、そのリクルート期間中にニュージーランドから2年契約のオファーが来たんです。で、僕の身長(180cm)やったらNo.8よりもHOがいいという話になって、HOの勉強をするためにニュージーランドに留学して、それがHOとしてのスタートになりました」
大学も含めた部活での経験を糧(かて)に、堀江はプロラグビー選手として、日本代表として、そしてラグビーワールドカップ4大会出場に至る第一歩を歩み始めた。世界有数のHOとしてのその後の輝かしいキャリアは、もはや説明するまでもないだろう。
部活に勤しむ今の学生にアドバイスがあれば、と堀江に聞くと、真剣な眼差しで語り始めた。
「部活でいろんなことを経験して、本当に自分がおもしろいと感じたものをひとつピックアップして、やってほしいですね。
日本はひとつのスポーツとか、ひとつのことをずっとやり続けるのが美徳とされてます。それはそれでいいとして、でも成功する人はたぶんひと握りですよね。僕の経験上、子どもにはいろんなことができる環境で経験させて、自分が合ったもの、自分が好きな道に進んでほしいと思ってます。それがいい環境であり、いい部活のあり方なんじゃないかなと思うので」
ラグビーであれば一生ラグビーひと筋、という過ごし方になりがちだが、そうではなかった堀江はこう続けた。
「自分に何が合うかって、やってみないとわかんないですからね。合うか合わんかの見分け方は、やってみて楽しいかどうかやと思います。
自分が心から楽しいと思えるもの、スポーツだけやなく音楽でもいいし、今やったら(プロの世界がある)ゲームでもいいし、いろんなことをやって、そこから『これをやったら楽しいな』ってものをチョイスできるようなものを、子どもたち自身が探してほしいなと思います」
【「助けて」と言ったほうがいい】
部活に勤しむ一方で、さまざまな悩み、不安にさいなまれる学生も少なくないだろう。
「ひとつの目的、目標を達成するっていうのは、すごく大切なこと。そこにどんだけかけられるか、いかに目の前のことにかけてやれるか、それが未来の開けるカギになってます。自分とチームのみんなでどんだけ切磋琢磨して、どうやって目標を達成するか取り組む。それが次の道でも、きっと糧になるはずです」
最後に、大学以降のほぼ全カテゴリーでキャプテンを経験した堀江に、日々部活をまとめる全国のキャプテンへのメッセージを求めた。
「ひとつは、全部自分でやろうと思わないこと。みんなに相談して、みんなの意見をつまみながらやるようにすることです。
もうひとつは、正直であること。変に『キャプテンやから、ええこと言わなあかん』とか、そういうことはせんでええから。自分以上、自分以下でもない自分を、どれだけ素直に出せるか。
そのふたつだけ突き詰めれば大丈夫です。仲間たちに助けてもらいながら、それでも『助けて』と言いたい時は、素直に言ったほうがいいですよね」
誰も真似できないほどの貴重な経験を振り返りながら、親身になって言葉を絞り出した堀江は「あくまで僕の経験ですが、役に立ててもらえるとうれしいです」と笑顔でインタビューを締めくくった。
本気で部活に取り組むすべての学生に、堀江翔太の言葉が届くことを願っている。
<了>
【profile】
堀江翔太(ほりえ・しょうた)
1986年1月21日、大阪府吹田市生まれ。島本高→帝京大を経て三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)へ。トップリーグとリーグワンでMVP通算3度受賞。