ベテランプレーヤーの矜持
~彼らが「現役」にこだわるワケ(2025年版)
第8回:伊藤翔(横浜FC)/後編

37歳・伊藤翔が追求する"やりがい"「横浜FCが今季、J1に...の画像はこちら >>
 清水エスパルスで体を"鍛え直す"ことに立ち返り、かつ、2013年はキャリアで初めてシーズンを通して稼働し6得点を挙げた伊藤翔は2014年、横浜F・マリノスに新たな活躍の場を求める。そのなかで、同シーズンはJリーグの開幕スタメン、移籍後初ゴールという上々のスタートを切ると、チーム最多、自身キャリアハイとなる8得点と結果を残す。

 以降も、着実にピッチでの存在感を大きくしながらキャリアを積み上げていくなかで「サッカー観におけるターニングポイント」だと振り返るシーズンを過ごしたのが2018年だ。この年、F・マリノスの新指揮官に就任したアンジェ・ポステコグルー監督との出会いは、伊藤にチーム戦術のもとで点を取る術を植えつけた。

「ポステコグルー監督のサッカーは、センターフォワードがちゃんと点を取れるというか、最後は必ずセンターフォワードにボールが集まる構図になっているんです。一つひとつの動きには常に明確な理由と狙いがあって、『ああ、攻撃ってこんなふうに組み立てれば機能するのか』とか、『こう動けばちゃんと攻撃が形成できるんだな』と思うことだらけでした。

 僕の場合、それまでのキャリアで出会った監督がどちらかというと『攻撃はある程度選手に任せて守備を整えます』って方が多かっただけに、余計にその構図を新鮮に感じたのかもしれません。チームとしては監督就任1年目で、なかなかそれが結果に結びつかない時期もありましたけど、FWとして自分が思っていなかった点を取る方法というのかな? それこそ高校時代から育んできた自分の"型"に加えて、組織で点を取る仕組みを学べたのは刺激でしかなかった」

 仲川輝人やウーゴ・ヴィエイラ、天野純、大津祐樹ら個性豊かなチームメイトと組織で作り上げる攻撃は楽しく、自身のキャリアにもさらなる熱を与えた。

「ポステコグルー監督の戦術のもと、僕に限らず、みんなのプレーが目に見えて変化していったというか。もちろん、そもそものスキルの高さもあってこそだと思いますけど、いろんな選手が『大人になってもこんなに成長できるのか』ってくらい変わっていくのを目の当たりにして、自分の成長欲がより膨らんでいく感覚もありました。

 当時の僕はちょうど30歳に突入した年だったんですけど、僕がこうして今、キャリアの"ボーナスステージ"を過ごせているのも、あのシーズンに受けた刺激とか、点を取ることに対する考え方やプレーの幅を持てたからだと思っています」

 もっとも、その年限りで伊藤は戦いの場を鹿島アントラーズに移している。サッカー観におけるターニングポイントだと言い切れるシーズンを過ごしながら、なぜ、新天地を求めたのだろうか。

「サッカーをしてきて、サッカーがうまいとか、いい選手がいるだけでは勝てないという現実も見てきたなかで、オファーをいただいて、素直に"鹿島アントラーズ"というクラブに惹かれたというか。鹿島はなぜ勝ち続けるチームでいられるのか、Jリーグで最も多いタイトルを獲得してきたのか、という根幹を知りたいと思いました。

 実際、鹿島で過ごした2年間は鹿島のフィロソフィというのかな。チームだけではなく、クラブとしてのプロフェッショナリズムに触れてすごく勉強になったし、その歴史のなかで着実に育んできた軸がチームの強さ、伝統になっているのも感じました。

 残念ながら僕個人の成績は......それこそ2年目は半分弱しか試合にも出られなかったけど、そのシーズンはエヴェラウドと綺世(上田/現フェイエノールト)がもうめちゃくちゃよかったので。この世界ではいい選手、結果を出せる選手が試合に出るのは当たり前だからこそ、そこは冷静に受け止めていたし、その状況を覆せないのは自分の実力不足だと思っていました。

 ポステコグルー監督によって広げてもらった点を取るための"幅"を持ってしても、足りていないという現実を突きつけられて、まだまだやらなくちゃいけないとネジを巻き直せたのもよかったと思っています」

 そんな思いのもと、2021年から在籍する横浜FCでのキャリアは、今年で5年目を迎えた。実は、鹿島での終盤は新型コロナウイルスを患って体調を大きく崩し、本来のコンディションを取り戻すのに時間がかかったという経験も。それもあって、2021年8月にJ2の松本山雅FCに期限付き移籍をし、ひとつステージを下げて"戦える体"を取り戻すための時間を過ごした。そして、2022年には再び横浜FCに復帰。以降は主軸のひとりとして戦いを続けている。

 それは37歳になった今シーズンも、だ。三浦文丈監督就任後は前編で記したヴィッセル神戸戦を含めて、メンバー入りする時間も増え、第31節のファジアーノ岡山戦ではシーズンで初めてリーグ戦に先発出場。神戸戦後に三浦監督が話した伊藤評を聞いても、ベテランとして、FWとしての存在感は今も色褪せていない。

「(伊藤)翔はここまでなかなかチャンスが与えられないなかでも、ふだんの練習から決めるべきところで決めるという姿をしっかりと示してくれていました。ルキアン、アダイウトン、ジョアン・パウロ、櫻川ソロモンというFW陣のなかでも、翔が一番ボックス内のクオリティが高いと思っています。

 今日も、彼のところまでボールがしっかり入ってきさえすれば、翔が真ん中でしっかり決めてくれるだろうと信じて起用しましたが、まさにそのとおりの姿を示してくれました」(三浦監督)

 そうしたコンディションのよさも示しながら戦いを進めてきたなかで、彼はなぜ今のキャリアを"ボーナスステージ"と表現するのか。これは彼がプロになった時から「35歳くらいまで現役をできれば御の字だと思っていた」ことが理由だという。

「僕がプロになった時は先輩たちに『10年やれれば一人前だ』と言われていました。でも、19歳から10年となると29歳ですからね。いやいや、もうちょっとできるんじゃない? と思って自分なりに目標を『35歳』に設定したんです。ただ、キャリアが進むにつれ、それが決して簡単ではないということも痛感してきました。

 実際、プロの世界は、自分がプレーしたいというだけではなく、クラブからも求められる選手でいなければいけない。それを思っても、こうして37歳になった僕を横浜FCというクラブに必要としていただいているなんて、キャリアの"ボーナス"としか思えないくらい幸せなことだとも思う。

 そう考えても、35歳を超えてからはずっと"ボーナスステージ"だと受け止め、いつ辞めても悔いはないという過ごし方、マインドでサッカーと向き合ってきました。裏を返せば、いつ辞めてもいいのになぜ今も続けているんだ? となると思いますが(笑)、そこは"やりがい"かな。

35歳をすぎて、そこはより自分に求めるようになった気がします」

 では、彼の言う"やりがい"とは何なのか。クラブから求められる選手であることは前提にあるとして、彼自身は今、何を思い、ボールを蹴っているのか。

「自分がサッカー選手としてのキャリアを締めくくるにあたって、『サッカーはもういいや』と思うのか、『サッカー、ありがとう!』と思いながら引退するのかによって、のちのキャリアの過ごし方が変わってくる気がしているんです。もちろん、いわゆるセカンドキャリアも、ある意味、選手時代と同じで"求められること"が前提で、これまでの成績や人間性などいろんなことが加味されるのもわかっています。

 ただ、未来の可能性はひとつではないと思うなかで、自分がそのなかから何かを選ぶにあたって、選手としての晩年にどんな思いを"サッカー"に抱くのか、そこにどんな"やりがい"を感じるのかは、すごく大きな意味を持つ気がしています。実際、これまでは想像していなかった"指導者"みたいなことも、横浜FCに来て、この年齢や立場になって、プレーでもそれ以外のところでも『チームのためにできることは?』をより深く考えるようになったから、ゼロだと思っていた可能性が1とか2くらいにはなった気もしますしね(笑)。

 特に、過去に在籍したクラブと違って、横浜FCはJ1での経験値もまだ浅いクラブだからこそ、これまでとは違う役割を求められている部分もある。そういうことを全部ひっくるめて、残りのキャリアでは自分なりの"やりがい"を追求していこうと思っています」

 これまで在籍したチームとは違う役割を求められているのは、彼がキャリアの信条としてきた"点を取る"ことについても言えることだ。

 というのも、彼の言葉にもあるとおり、横浜FCはそれまで彼が在籍した清水、F・マリノス、鹿島といった『オリジナル10』のクラブに比べて、J1リーグでの歴史はそう長くない。初めてJ1リーグを戦ったのは2007年だが、その後もJ2降格とJ1昇格を繰り返し、伊藤が加入した2021年以降の5シーズンも、1年ごとにJ1とJ2を行き来するシーズンが続いている。そういった状況下で、点を取ることを追求するのは、過去に在籍したクラブとはまた違う難しさがあるのは言わずもがな、だ。

 現に今シーズンの横浜FCの戦いを振り返っても、そのチャンスの数、前線に送り込まれるボールの質、シュートを打つ回数は正直、そう多くはない。

たとえば、彼が今シーズンの初ゴールを決めた神戸戦を振り返っても、対戦時は3位に位置していた神戸のシュート数が13本だったのに対し、横浜FCはわずか3本。そのうち、途中出場の伊藤が唯一放ったシュートをゴールに沈めている。もちろん、どのチーム、選手も、点を取る難しさに変わりはないが、点を取る"確率"で考えるなら、1試合のなかでより多くのシュートチャンスを見出せるほうがいいというのは当然の論理だろう。

「試合を見ている人からすれば、どのチームで、どんな取り方をしても、10本のうちの1本を決めても、1本中の1本を決めても、1点は1点に他ならないとは重々理解しています。僕も、そこに言い訳をするつもりもない。でも正直、チャンスの数や出てくるボールの質というところで、上位チームのほうがより多く、質の高いボールが出てくるのは間違いないと思います。

 だからこそ、FWとしては葛藤もあるというか、点を取る難しさを感じているのも正直なところです。けど、このクラブに来た以上、それをどう見出していくか、このチームでどうすれば点を取れるのかを考えるのが僕の仕事なので。これまで以上に周りの選手に要求しなくちゃいけないし、動き方の工夫もしなくちゃいけない。なんなら自分がやってきたすべてのことを注ぎ込めなければ、1点はますます遠くなるんじゃないかとも思っています。

 でもそれにチャレンジすることも、僕の"やりがい"につながるものなので。日々、これまでのキャリアを全部落とし込まないと得点はできないぞ、と自分に言い聞かせてゴールを目指しています。

それが、この世界でキャリアを続けるということでもあると思うから」

 無論、それを何がなんでもチームのJ1残留につなげることも、使命に感じながら。

「僕が在籍した5年間も、J2とJ1を行き来してきた現状があるなかで、このクラブの未来を考えた時に今シーズン、J1に残留できるかどうかはすごく大きなターニングポイントになる気がしているんです。これまで、カズさん(三浦知良/現アトレチコ鈴鹿)に始まって、俊さん(中村俊輔コーチ)、(松井)大輔さんら、いろんな経験者がこのチームに加わってくれたことで、少しずつ環境が整えられ、クラブとしてもチームとしてもいろんなことが積み上げられてきたなかで、それをより加速するには、ここで踏ん張ることがすごく意味を持つんじゃないか、と。

 横浜FCに限らず、この世界はチーム力が落ちていくのは一瞬だけど、上がっていくのは本当に少しずつしか求められないからこそ、積み上げている最中にある今の状態を、また元に戻したくない。そこを、自分のやりがいとセットで求めることで見えてくるものがあると信じて最後まで戦い抜こうと思っています」

 スパイクを脱ぐその瞬間まで「これが自分のキャリアだ」という姿を示し続けるためにも。

伊藤翔(いとう・しょう)
1988年7月24日生まれ。愛知県出身。高校時代に「和製アンリ」と称されて脚光を浴びた万能FW。2007年、中京大中京高からフランス2部リーグ(当時)のグルノーブル入り。当時、有望な高校生が国内クラブを経由することなく海外へ渡ることがなかったため、大きな話題となった。グルノーブルに4シーズン在籍後、2010年6月に清水エスパルスに移籍。2014年には横浜F・マリノスに完全移籍した。

その後、鹿島アントラーズ、横浜FC、松本山雅FCでプレー。2022年、横浜FCに復帰して奮闘を続けている。

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