世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第34回】パベル・ネドベド(チェコ)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第34回は、チェコが誇る偉大なミッドフィールダーを紹介する。1990年後半から2000年代にかけて「パベル・ネドベド」の名前に触れたことのないファンはいないだろう。セリエAが輝いていた時代に「東欧のフットボーラー」は無尽蔵のスタミナでピッチを支配した。
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ドナウ川沿いの古城はライトアップされ、恋人たちをロマンティックなムードにいざなっている。アントニン・ドヴォルザーク、ベドルジハ・スメタナをはじめとする優れた作曲家を数多く輩出した。スポーツ界では1952年ヘルシンキオリンピックでエミール・ザトペックが5000m、10000m、マラソンの三冠を獲得し、1964年東京オリンピックの女子体操・個人総合で金メダルに輝いたベラ・チャスラフスカは「名花」として人気を博した。
チェコは芸術、スポーツ両面で、後世に名を残す偉大な人物を生んでいる。
フットボールの世界も同様だ。MFヨゼフ・マソプスト、MFアントニーン・パネンカ、GKペトル・チェフ、MFトマーシュ・ロシツキー、FWヤン・コレル、MFカレル・ポボルスキー、MFパトリック・ベルガー......。
パベル・ネドベドも、そのひとりである。
彼の名前が世界中に知れ渡ったのは、1996年のヨーロッパ選手権イングランド大会だ。
GKアンジェロ・ペルッツィ、DFパオロ・マルディーニ、DFアレッサンドロ・コスタクルタ、FWエンリコ・キエーザ、FWジャンフランコ・ゾラ、FWピエルルイジ・カシラギなど、当時のイタリアは多くの実力者を擁していた。
ポルトガルもDFフェルナンド・コウト、FWジョアン・ピント、MFルイ・コスタ、MFパウロ・ソウザ、MFルイス・フィーゴといった錚々たるメンバーを揃えていた。
【一日12時間のトレーニング】
ところが、下馬評はそれほど高くなかったチェコが、大会の主役と目されていたイタリアとポルトガルを蹴落とした。決勝でドイツに敗れたとはいえ、チェコの評価は急速に高まり、数人の主力にスポットライトが当たる。
「ハーフタイムで新しい心臓と肺に入れ替えている」
「あの男の辞書に『疲労』という文字はない」
後半のアディショナルタイムを迎えても運動量が落ちない。交代出場の選手をプレー強度で凌駕する。ネドベドの人間離れしたスタミナは、人々を驚かせた。
彼のタフネスは練習量の賜物である。「毎日、目標値を設定し、弱い部分を鍛える。質の高いトレーニングは決して裏切らない」と常日頃から公言し、誰よりも早く練習場に現れ、多くの同僚が引き上げても、黙々と自らを磨き続けた。その姿勢はチェコ代表でも、クラブチームでも変わらなかった。
「一日に12時間ほどトレーニングしたこともある」と語ったネドベドにすれば、夜な夜なアルコールでストレスを発散し、挙げ句の果てに酒気帯び運転で警察の厄介になるようなタイプとは、口もききたくないだろう。
ヨーロッパ選手権の活躍が認められたネドベドは、スパルタ・プラハからラツィオに移籍する。
1990年代中期のセリエAは、ユベントス、インテル、ミランの「三強」が支配していた。この構図を破り捨てたのが、ローマ、パルマ、フィオレンティーナ、そしてラツィオである。三強から「セブンシスターズ」へ転換期を迎えていたといって差し支えない。
特に攻撃的なスタイルを標榜したラツィオは異質だった。当時のチームを率いたズデネク・ゼーマンもスヴェン=ゴラン・エリクソンも、「ファンは守備的な戦いに飽き飽きしている」と語り、選手には積極的に仕掛けることを奨励した。
フリーキックの名手シニシャ・ミハイロヴィッチ、中盤で特異な創造性を発揮するフアン・セバスティアン・ベロン、一瞬にしてゴールの匂いをかぎ分けるマルセロ・サラス、頑健な肉体でDFを圧倒するアレン・ボクシッチなどを擁していたのだから、守備的なスタイルは窮屈だ。
【2003年のバロンドーラー】
4-4-2の左ウイングを主戦場としたネドベドは、無尽蔵のスタミナで攻守をつなぎ、ミドルシュートの精度にも磨きをかけた。また、スルーパスの正確性も向上。1999‐2000シーズンのスクデット獲得の際には、押しも押されもしない主力のひとりに成長していた。
そして2000‐01シーズン終了後、ラツィオが長期契約を打診。ネドベドのポジションは安泰と思われたのだが......。
テレビ放映権のバブル崩壊により、フィオレンティーナとパルマは経営が破綻した。
2001年夏、ネドベドはユベントスへ。クラブを救う道は移籍しかなかったのである。その後、2002年にはアレッサンドロ・ネスタがミランへ、2003年にはディエゴ・シメオネがアトレティコ・マドリードへと旅立っていった。
望まぬ移籍ではあったものの、ネドベドはユベントスでも黙々と戦い続けた。2001-02シーズンからスクデット連覇という偉業は、チェコが誇るハードワーカーに負うところが大きかった。チャンスの場面に現れ、ピンチの芽を未然に摘みとり、最終ラインまで戻って身体を張った。
全身全霊、粉骨砕身、誠心誠意。ネドベドのプレーに心を打たれたユベンティーノも少なくない。2003年のバロンドール受賞は、フットボールに対して純粋に向かい合ってきた彼の姿勢が高く評価されたのだ。
決して優雅とは言えない。
「トリックを使わずにパワーでねじ伏せる。パベルと対峙するプレーヤーは無力感を抱くんじゃないか。敵じゃなくてよかったよ」(アントニオ・コンテ/現ナポリ監督)
【表舞台から姿を消した現在】
幾度となく名勝負を演じたインテルのハビエル・サネッティは、「90分、いや、延長戦でも上下動を怠らない。マッチアップは本当に苦しかった。心も身体もヘトヘトだよ」と辟易としていた。
身長177cm・体重70kgと、体格に恵まれてはいなかった。魔法のような超絶テクニックも持っていなかった。しかし、日々のトレーニングを怠らず、100パーセントの準備で試合に臨む。至極当然の生き方こそが、ネドベドの「プロフェッショナリズム」だったのかもしれない。
今、彼は表舞台から姿を消している。