西部謙司が考察 サッカースターのセオリー
第70回 ジャック・グリーリッシュ
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。
今季マンチェスター・シティからエバートンへ移籍したジャック・グリーリッシュが活躍中。完全復活の背景には何があったのでしょうか。
【シティからエバートンへ移籍】
エバートンへ移籍したジャック・グリーリッシュが活躍中だ。プレミアリーグ第8節時点で4アシストを記録、アシスト数ではモハメド・クドゥス(トッテナム)と並んでリーグトップである。
2021年にアストン・ビラからマンチェスター・シティに移籍。移籍金額は当時英国史上最高の1億ポンド(約152億円)と言われていた。2021-22、2022-23シーズンのリーグ連覇に貢献、2022-23はチャンピオンズリーグ(CL)とFAカップも獲得するトレブル。しかしその後は出場機会を減らし、デビッド・モイーズ監督のエバートンに新天地を求めた。エバートンの新スタジアムにやって来たグリーリッシュは完全復活を果たしたようだ。毎年、多くの選手が移籍している。成功もあれば失敗もあるわけだが、グリーリッシュのシティへの移籍はその両方だった。出身地バーミンガムのクラブで6歳からプレーしていた。アストン・ビラへの愛着は強かったが、ビラにいたままだったら到底獲得できないだろうCL優勝も経験できた。
一方で、競争の激しいシティにおいてポジションを失い、出場機会を減らしていった。グリーリッシュのパーティー好きは有名で、飲みすぎて路上で眠っていた画像が特定されたりもした。2024-25シーズンには明らかに序列が下がっている。リーグ20試合に出場しているが先発はわずか6試合だった。
鳴り物入りでシティに加入した選手だから当然かもしれないが、エバートンでは別格のオーラを放っている。シティで不自由だったわけではないが、エバートンでは戦術的にも「自由を得た」と本人は話している。ただ、ポジションはシティ時代と同じ左ウイングで、戦術的な役割がそんなに変化しているようにも見えない。むしろ心理的なものが大きいのではないだろうか。
1970年代の名監督のひとりだったヘネス・バイスバイラーはギュンター・ネッツァー、ヨハン・クライフ、ボルフガング・オベラートの天才選手3人の監督でもあった。ボルシアMGではネッツァーとよく衝突していて、最終的にネッツァーはレアル・マドリードへ移籍。バルセロナではクライフと確執がありバイスバイラーが退任。
スターと折り合いの悪い監督の言うことではあるのだが、バイスバイラーは天才選手の扱い方として「心理的サポートが重要」と述べていて、むしろ必要なのはそれだけだったという。技術戦術の指示は不要。要はいかに気持ちよくプレーさせるかなのだ。
エバートンでプレーするグリーリッシュは、一挙手一投足が注目されている。さほど難しくないパスでも客席が沸いていて、いいプレーをすればもちろん盛大に称えられる。ちょっとファウルされただけでも相手を指弾する声があがる。シティから来た大スターで活躍もしているわけだが、もともと愛される選手なのだ。グリーリッシュにとってそれが重要だったに違いない。
【相思相愛で育った選手】
バーミンガムはロンドンからそう遠くはない。マンチェスターと並ぶ英国第二の大都市と言われているが、十数年前に訪れた時に大都市というイメージはなかった。少なくともロンドンのような巨大都市とは比べようもない。
地元感の強そうな都市、バーミンガムでグリーリッシュは生まれ育った。
地元出身の天才少年で熱狂的なビラのサポーター。ファンから愛されないはずがない。愛嬌のある性格も親しまれた。ファンサービスのよさでも知られていた。相思相愛、愛情たっぷりで育った選手なのだ。
前記のネッツァー、クライフ、オベラートはいずれも地元クラブでプロになり、スターになり、キャプテンになった。当時は皆そうだった。しかし現在はグリーリッシュのような例はむしろ希少になっている。1970年代のローカルスターもネッツァーはレアル・マドリード、クライフはバルセロナに移籍していて、アストン・ビラには大きすぎる選手になっていたグリーリッシュのシティへの移籍はむしろ自然であり、史上最高額の移籍金を故郷に残してもいる。
現代の選手たちは自らの野望のため、ビジネスのため、ステップアップを望む。アレクサンデル・イサクはニューカッスルと揉めた後にリバプールへ移籍。ジョアン・ペドロもブライトンからチェルシーに羽ばたき、いずれも活躍しはじめた。シティに移籍した当初のグリーリッシュも期待に応えて力一杯のプレーを見せていた。
ただ、ビッグクラブはとりわけプレッシャーも大きい。少し低調なプレーをすれば、たちまち批判される。今はSNSもあるので悪口も流布される。今季、リバプールに移籍したフロリアン・ビルツは「007」と揶揄された。7試合プレーして0得点0アシストだったからだ。こういうのも愛情の一端かもしれないが、おそらくグリーリッシュが体感してきた愛情とは違うものだろう。
飲酒やパーティー好きはプロ選手としてはストイックさに欠けるかもしれないが、英国のサッカー選手は伝統的にそういうもので、歴代のスターたちの多くは飲酒関係でトラブルを起こしている。アマチュアチームの試合前の集合場所がパブだったという国柄なのだ。
【職人的なうまさとインスピレーション】
グリーリッシュはプレー中によく笑っている。生粋のサッカー小僧はエバートンで再び相思相愛の環境にいられるようになった。
左サイドに開いてパスを受ける時の右足アウトのワンタッチが絶品で、これだけで相手の重心をずらせてしまえる。さほど速そうに見えないけれども相対的に速い。右アウトのタッチで左半身というキープの形が明確にあり、そこからのバリエーションも多彩。
職人的なうまさと余裕、そこから出てくるインスピレーション。楽しそうに自由に悠々としたプレーぶりはスター然とした貫録だが、泥臭いプレーも厭わない。リバプール出身ではないのに、何となく地元感があるのだろう。エバートンでは愛されているみたいだ。
自分だけのためは意外と限界があって、愛情で結ばれている他人のため、そのほうがパワーは出るものだ。幸せな時間をファンと共有する場所を見出せたグリーリッシュの移籍はひとつの成功例と言える。
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