学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】森重真人インタビュー 前編(全2回)

【部活やろうぜ!】元サッカー日本代表DF森重真人の広島皆実高...の画像はこちら >>

 森重真人はとてもアスリート向きな性格をしている。

 一流の競技者になるには、若い頃からの鍛錬が必要になるが、その過程にはさまざまな誘惑や落とし穴がある。将来を嘱望された少年少女が大成できないケースは、ほかの楽しみを知ったり、周囲に持て囃されて努力を怠るようになったり、多感な時期の精神が人間関係に過敏に反応したりした結果であることが多い。成長痛はフィジカルだけでなく、メンタルに及ぶケースもあるのだ。

 だが森重は10代の頃から、自分に一番大事なことが何かを心得えていた。もちろん彼の場合、それはサッカーだった。このスポーツを上達させることだけに集中し、ほかのことにはあまり気をかけなかった。おそらく、生まれ持った性質だろう。

 少年時代から地元のサッカー界では知られた存在で、サンフレッチェ広島のジュニアユースに所属していた頃に、プロになりたいと思った。職業としてボールを蹴る選手たちを近くで見て、いつか自分もそうなりたいと心に誓ったのだ。

 しかし、広島ユースへの昇格は叶わなかった。

当初のショックは大きく、その経緯は記憶から消えてしまっているほどだ。ただし持ち前の切り替えの早さで、落胆を引きずることはなく、県内の強豪校への入学を決意。それが広島皆実高校だった。

「ユースに上がれなくて、いろんな可能性を探っているなか、地元の高校で全国を目指せるところに決めました。当時、広島の高校サッカーでは、広島観音と広島皆実が二強だったのですが、自分は広島皆実にしました」

【文武両道かつ、音楽などの芸術にも力を入れている高校】

 現在38歳の元日本代表の母校、広島県立広島皆実高等学校は2009年に高校選手権を制した名門で、彼のほかにも、下田崇や前川黛也といったサッカー日本代表経験者を輩出している。またサッカー以外にも、陸上競技の為末大、ミュージシャンの奥田民生や吉田拓郎、さらにはコンピューターグラフィックスのパイオニアと称される東京大学名誉教授の西田友是など、さまざまな分野のトップランナーを世に送り出している。文武両道に加え、音楽などの芸術にも力を入れている学校と想像する。

「普通科、体育科、看護科などなど、多種多様な高校です」と森重は応えた。

「僕が在籍していた体育科も、サッカー、バスケ、柔道、剣道、卓球、陸上など、全国レベルの選手が集まっていました。それ以外の様々な分野の人もいたと思います。自分ができたかどうかはともかく、勉強もしっかりやらないといけなかったですね」

 サッカー推薦で入学した森重は体育科に在籍し、一年中ほぼ休みなく、朝から晩までボールを追う日々が始まった。遠方からの生徒向けの寮はあったものの、広島県内に住んでいた彼は電車と自転車で1時間くらいかけて通学した。

「朝練して、授業中に寝て(笑)、また午後に部活。

そのサイクルでしたね。家に帰るのも遅くて、次の日の朝も早いので、遊んでいる暇はなかったです」

 人生で初めて経験する部活には最初、戸惑いも覚えたという。

「(広島)ジュニアユースとは違って、レベルの差がありました。体育科以外の選手もいて、サッカーのエリートだけの集まりではないというか。もちろん、AチームとBチームに分かれるのですが、これが部活なんだなと思いました」

 それは今から22年前のことだ。かつての部活にありがちな理不尽な上下関係も、まだ完全にはなくなっていなかったようだ。

「ギリギリありましたね。たとえば二人組でボールを蹴っていた時、隣にボールが転がっていき、それを先輩が拾ってくれたんですけど、いきなりドロップキックをされたり(笑)。僕らが、ありがとうございます、と言わなかったことに腹が立ったみたいで。それ自体、言いがかりなんですけどね。ただ、聞こえなかっただけで。そういうのが、まだ残っていた時代でしたね」

【部活の記憶にネガティブなものはほとんどない】

 冗談を交えながらも淡々と話す彼の9学年上の筆者の時代には、なにかと理由をつけて頭を刈られたりしたこともあった。

そういうのもまだ残っていたのだろうか。

「ありましたね。テストの点が悪かったり、同級生が問題を起こしたり、大会で優勝できなかったりしたら、頭を丸めなければいけなかったり。でも、僕はことごとく免れてきたので、一度も坊主にはならなかった。授業中に寝ていたけど、赤点は取ったことがないし、同じ学年にそういうことを起こす人がいなかったので、連帯責任もなかったですね。他の学年はあったと思いますけど」

 ただし、かつての部活について語られることの多い、不条理な出来事はそれくらいだった。水を飲ませてもらえなかったことは一度もなく、しごき的なメニューといえば、学校の外周をひたすら走らされたことぐらいしか思い出せない。

「外周はきつかったですね。ショートカットしたり、休んだりはしていましたけど(笑)。監督は厳しい方でしたけど、注意されるのは、服装や挨拶や練習態度なんかが悪かった時だけで。夏の合宿なんかも、たぶんきつかったと思うんですけど、あんまり覚えてないんですよね」

 古い記憶には、欠落している部分があって当然だろう。ただ森重の場合、自分の目標に向けてやるべきことに集中していたからなのか、あるいは瑣末なことを気にしない性格だからなのか、そこにはネガティブな感情がなかったように見える。

 1年生の最初からAチームでボランチのレギュラーを張っていた彼にとって、部活は初めから充実した日々の一部だったようだ。帰り道や部室の思い出は、「あんまり人には言えないこともある(笑)」楽しいものだったという──。
(文中敬称略)

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森重真人(もりしげ・まさと)
1987年5月21日生まれ、広島県広島市出身。サンフレッチェ広島ジュニアユースからユースには上がれず、広島皆実高へ。1年生時から中盤のレギュラーとなり、全国高校サッカー選手権に出場し、3回戦で国見に敗れた。2、3年の時は県大会の決勝で敗退するも、高卒で大分トリニータに入団。シャムスカ監督のもと、センターバックの定位置を掴み、2008年のJリーグカップを制した。2010年にFC東京に移籍し、2011年の天皇杯、2020年のJリーグカップ優勝に貢献。日本代表では41試合に出場し、2得点を記録している。

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