川尻達也が語るUFCと五味隆典 前編

 2000年にプロデビューした川尻達也。そこから「修斗」の王者に上り詰め、「PRIDE」「DREAM」「UFC」「RIZIN」と活躍の場を移しながら戦い続けてきた。

五味隆典、青木真也、ヨアキム・ハンセン 、エディ・アルバレス、ギルバート・メレンデス、J.Z.カルバンなど、数々の名勝負を重ね、日本の格闘技が隆盛を極めた時代を走り抜けた。

 自らも経験したUFCのレベルの変化や、キャリアのなかでファイトスタイルを変えざるを得なかった転機、さらに話題は、20年前に悔しさを味わった五味隆典にまで及んだ。

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【UFCに辿り着くまでの2つのルート】

――平良達郎選手(UFCフライ級5位)は修斗を経てUFCと契約しましたが、日本の選手がUFCと契約するには、どのようなルートがありますか?

「ひとつは、朝倉海選手のようにRIZINで名前を上げてから契約するパターン。好条件で契約できて、いきなり上位の選手と戦えるのが強みです。30歳を過ぎても下から積み上げていく必要がないし、ファイトマネーも保証されています。ルールや、リングとケージなど違いがあることはデメリットになりますけどね。

 もうひとつは、『ROAD TO UFC』や『ダナ・ホワイト・コンテンダーシリーズ』を経て契約するパターン。こちらは、同じキャリアの選手たちとしのぎを削りながら契約を勝ち取っていく流れで、UFCに入ってからも同じようにキャリアを積み重ねていけます。鶴屋怜選手は、『ダナ・ホワイト・コンテンダーシリーズ』からUFCに出場しましたよね。大きくはこの2パターンになると思います」

――どちらのルートを選ぶにしても、地道なキャリアの積み重ねが必要ですね。

「そのキャリアにおいても、僕らの時代は、修斗、パンクラス、DEEPでも国際戦を多く組めましたが、今の日本ではその機会が少なく、日本人同士の潰し合いになりがちです。そのためROAD TO UFCやUFCに上がって、初めて強豪の外国人選手と対戦するケースが多い。日本人同士の試合と国際戦は全然違うので、そこで差を痛感することもあります」

――対外国人の経験不足が今の日本人選手の課題ということですね。

「だからこそ、9月2日から新たにスタートした『Lemino修斗』で、プロモーターの岡田遼くんが『1大会につき、1試合は必ず国際戦を組む』と明言しているのは本当に大きいと思います。日本人が世界と戦う上で、必要な経験を積ませるための大事な取り組みですし、すごく期待しています」

【自身がファイトスタイルを変えた転機】

――川尻さんが戦っていた時と比べると、今のUFCのレベルはいかがですか?

「選手層の厚さも、契約に至る難しさもまったく別物です。あの時代のUFCは『ズッファ』が運営していて、僕の勝手な想像ですけど、社長のダナ・ホワイトは収集癖みたいな感覚で他団体のビッグネームを集めていたと思うんです。五味、KIDさん(山本"KID"徳郁)、(エメリヤーエンコ・)ヒョードル......。そんななかで、僕も運よく契約できた部分があると思います。

 でも、今は違う。『TKOグループ・ホールディングス』という上場企業の傘下に入って、完全にビジネスとして運営されている。ファイトマネーもシビアに管理されるし、趣味や気まぐれで選手を集める時代じゃなくなったんです」

――川尻さんのスタイルは、キャリアの途中で「ストライカー」から「グラップラー」へと大きく変わりました。どんなきっかけがあったんですか?

「きっかけは、DREAMでのエディ・アルバレス戦(2008年)です。それまでは、アゴを引いてパンチを見て、おでこで受けてれば効かないと思っていました。『俺は特別な人間なんだ』って(笑)。五味とやったときも、効いたのはボディで顔は全然効いていなかったし、意識も飛んでいない。だから『俺は打たれ強い』と思ってたんです。

 でも、アルバレスに思いっきり右アッパーをもらって記憶を飛ばされて、『あ、俺も普通に効く人間なんだ』って痛感しましたね。『この戦い方を続けたらキャリアがすぐ終わる』と。格闘技が大好きで長く続けたかったから、得意の"組み"を生かす戦い方にシフトすることを決めたんです」

――スタイルを変えるのは、相当な覚悟が必要だったのでは?

「足を止めて打ち合うのは、極端に言えば誰でもできることなんです。当時の僕は、アルバレスとムキになって打ち合ってしまった。でも、コナー・マクレガー(元UFC2階級王者)は『UFC 205』で、アルバレスの右フックをわずかに外してカウンターを合わせて勝ちました。『あれがプロの技術だ』と感じましたね。自分にはそこまでの打撃の才能はないと悟り、得意な組み技に比重を置いてリスクを減らす戦い方に切り替えました」

――状況に応じて技術を教えてもらうトレーナーや、必要な環境があったとのことですが、それはすごいことですね。

「言われてみれば、運よく"必要な人"が現れてくれました。僕はいつも、若い選手にも言うんです。『自分の信念を曲げず、人を裏切ったりズルをしたりしなければ、困った時に必ず誰かが助けてくれる』って。実際、五味戦で負けて、自己流だった打撃をしっかりやらないと通用しないと思った時に出会ったのが山田(武士)トレーナー(『JBスポーツ』代表/『チーム黒船』のトレーナー)だった。そうやって、大事なタイミングで必要な人が現れてくれるんです」

――格闘技だけでなく、生き方にも通じる話ですね。

「そうですね。信念を曲げないっていうのは、例えば寝技で負けたからって、急に『寝技をやんなきゃ』といってもすぐに結果を出すのは無理です。10年、20年と積み重ねてきた選手に、数カ月で追いつける世界ではない。だったら『自分の武器をどう活かして戦うか』を考えるのが大切だと思いますね」

【五味隆典は特別な存在】

――現在、フライ級を中心に日本人の選手がUFCに挑んでいますが、川尻さんが戦っていたフェザー級や、それ以上の階級だといかがでしょうか?

「う~ん......正直、かなり厳しいと思っています。先日、バンタム級で中村倫也選手がいい勝ち方をしました(1ラウンド TKO勝利)。ただ、トップどころのメラブ・ドバリシビリ(現UFC世界バンタム級王者)やショーン・オマリー(同級1位)が相手となると......。ただ、これからには期待したいですね」

――ちなみに、先ほど名前が出てきた、同い年でもある五味隆典選手は、川尻さんにとってどんな存在ですか?

「えっ、五味の話をすんの?(笑)。いいですよ、全然話しますよ! 戦ったのはもう20年前になりますね」

――2005年9月25日の「PRIDE 武士道 -其の九- ライト級トーナメント1回戦」ですね。五味さんはいまだに現役ですし、川尻さんも正式には引退されていませんよね?

「引退はしてないけど、もう戦う気はないですよ(笑)。でも、五味とだったらやります! まぁ、実現しないくらいの高額ギャラをふっかけるので100%無理でしょうけど、『五味なら』って感じですね。ムカつくんで、ぶっ飛ばしたいです(笑)。ほかの戦ってきた人に対してはこの感情にはならないし、ギラギラしたものもないんだけど、五味はちょっと別。

話をしているだけでイライラしてきますよ(笑)」

【格闘技】"クラッシャー"川尻達也が語る20年前の五味隆典戦「アイツだけは特別。今でもぶっ飛ばしたい(笑)」
2005年9月のPRIDE 武士道で五味に一本負けを喫した photo by 東京スポーツ

――それだけ特別な存在、ともいえますね。

「同い年で、あんな負け方をしたんでね(1ラウンド7分42秒 チョークスリーパー)。当時は『俺が一番強い』と思っていたけど、鼻をへし折られた。人としては嫌いじゃないですよ。会えば普通に話すし。でも、"強い・弱い"で『コイツにだけは負けたくない』と思うのは、五味しかいない。今でも『負けたくない』と思っちゃう。

アイツとだけは、まだ勝負したい気持ちが残ってる。青木(真也)は"戦友"って言葉が合うけど、五味には憎しみ、怨念に近い感情がある(笑)。47歳になっても、まだぶっ飛ばしたいですね(笑)」

(後編:UFC時代に見出した勝つ形 日本人選手は苦戦中も「チャンピオンが出れば次世代が一気に続く」>>)

【プロフィール】
■川尻達也(かわじり・たつや)

2000年プロデビュー。修斗でウェルター級世界王者に輝くと、2005年からPRIDE、2008年からはDREAMに参戦。世界的強豪と激闘を繰り広げた。

2013年にUFCと契約。デビュー戦を一本勝ちで飾るも、2016年に自ら契約解除を決断し、RIZINに参戦。2019年には「ファイター人生最後のチャレンジ」としてライト級GPに挑んだ。 "クラッシャー"の異名を持ち、3度の網膜剥離を経験しながらも、長きにわたりトップ戦線で活躍。現在は『Fight Box Fitness』を主宰し、格闘技の楽しさを伝えている。

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