レーシングドライバー → パイロット
中嶋大祐 インタビュー 中編(全3回)

 父は国内レースで圧倒的な強さを発揮し、日本人初のフルタイムF1ドライバーとなった中嶋悟さん。兄も元F1ドライバーで、世界耐久選手権(WEC)で日本人初のチャンピオンとなり、ル・マン24時間レースで3連覇を達成した一貴さん。

 そして中嶋家の次男、大祐さんも国内最高峰のスーパーフォーミュラやスーパーGTで活躍していたが、2019年11月末、30歳を目前にして突然、レーシングドライバー引退を表明。サーキットから姿を消していた。

 あれから6年、大祐さんはいま、制服に身を包み、航空会社のパイロットとして世界中の空を駆けめぐっていた。ドライバー引退後、どんな経緯でパイロットを目指し、現在はどのような生活を送っているのか。所属するPeach(ピーチ)の拠点がある関西空港で話を聞いた。

元レーサーでパイロットの中嶋大祐は機長を目指して奮闘中「レー...の画像はこちら >>

【コロナ禍で採用が激減も応募1社目で合格】

ーードライバーを引退されたあと、どのようにパイロットの資格を取得したのですか?

中嶋大祐(以下同) まずは個人的な趣味として飛行機を操縦するための自家用操縦士の免許をアメリカで取得しました。インターネットで調べてみると、アメリカで取ったほうが費用的にも安く抑えられるんですよね。それで日本とアメリカを往復しながら約半年かけて自家用免許を取得しました。

 その後、札幌市内のフライトクラブで、航空機を操縦する際に必要な事業用操縦士の免許を取得しました。それ以外にも、航空会社のパイロットになるためには、視界が制限されたなかでも計器をもとに安全に飛行できる計器飛行証明や無線操作の免許が別にあるので、それも日本で取りました。

ーーそして、いよいよエントリーシートを書いて就職活動をすることになるんですね。

 ところが免許がやっとそろうという段階になって、コロナ禍になってしまいました。当然、航空会社の募集は激減して、お金をかけていろいろな免許を取ったけど、ひょっとしたら今までの努力がパーかな......と覚悟はしました。

でも幸いご縁をいただいて、Peachに入社することができました。

ーー就職活動をしたのはPeachの1社だけですか?

 そうなんです。1社目で受かって、就職活動はそれで終わりました。家庭もありますし、あんまりタイムロスできない立場でした。なるべく短い時間で決めようという思いで必死に就活をしていたので、Peachに対しては感謝の気持ちでいっぱいです(笑)。

 ただ、コロナの影響で少しの間、入社待機というのがありまして、ひょっとしたら内定切りかなと心配したのですが、それも幸いありませんでした。ちょっと時期がずれましたが、2021年9月に入社して社員になって丸4年が経ちます。

元レーサーでパイロットの中嶋大祐は機長を目指して奮闘中「レースとは求められるものがまったく違いました」
現役時代の中嶋さん photo by Honda

【レーサーとパイロットの共通点はある?】

ーーレースを引退された時はすでにご結婚されていたと思いますが、その時の奥さまの反応はどうだったのですか?

 最初にレースをやめるといった瞬間だけ、妻は「後悔しない?」と心配はしてくれました。でも、そのあとはありがたいことにすごく応援してくれました。ちょうど私がパイロットになるための資格を取ったり、就職活動をしたりしている時期は子どもがまだ小さかったので、妻は育休中だったんです。だからわりと一緒に行動する機会も多かったこともあって、いろいろな面でサポートしてくれました。

ーーPeachに採用されたあとは、すぐにパイロットとして仕事を始めたのですか?

 いえ、私の場合、地上配置という期間が10カ月間くらいあり、チェックインのお手伝いやゲートでの搭乗案内などを行ないました。その後、座学でパイロットしての知識を身につけたり、シミュレーターの訓練を行なったりして、最後には実際の路線に出て実機でフライトしました。

 そういうパイロットになるためのもろもろの訓練期間が合計で1年とちょっとあり、正式に副操縦士になったのが2023年9月です。なので、副操縦士になってからは丸2年経ったところです。

ーーちなみにパイロットとしての"デビュー戦"は?

 関西空港から新千歳空港行きの便です。フライトは問題なくできましたが、やっぱり最初はバタバタして、いっぱいいっぱいでした(笑)。

元レーサーでパイロットの中嶋大祐は機長を目指して奮闘中「レースとは求められるものがまったく違いました」

ーーレーサーの時はマシンの性能を引き出して速く走ることや優勝することが目標であり、それを達成できたら喜びを感じたと思います。パイロットとして一番やりがいを感じる瞬間は?

 パイロットはお客さまを安全に目的地までお乗せすることが最優先されます。安全性というのがまず絶対。それと3つ大事にしていることがあります。燃料などの効率性、定刻に出発・目的地に到着する定時性、あとは機内の快適性です。

 安全を絶対的に守ったうえで、いかにその便に合わせて残りの3つを両立させることができるのか。そこがゴールですし、達成できた時はやりがいを感じます。今は機長と一緒に、もしくは機長に手助けしていただきながら、自分なりに経験を積み重ねていっているところです。

ーーレーシングドライバーの技術や経験は、パイロットとして飛行機を操縦する時に生きていますか? 何か共通点のようなものはありますか?

 Peachの入社試験を受けた時のエントリーシートに「レースの経験が生かせるはずです」と書いたと思いますが、実際は求められるものがまったく違いましたね。たしかにドライバーもパイロットも機械を操る仕事というところは一緒ですが、パイロットの場合はあるべき姿を描いた時に操作の重要性はほんのわずかな部分しか占めません。

 逆にレースの場合は操作がほぼすべてと言っていいですよね。たとえばブレーキングが上手下手でタイム差が生まれ、勝負が決します。飛行機の操縦では着陸に関しては多少の技術の差が出るかもしれませんが、極論すれば、安全に降りられればいいんです。

 そこを突き詰めるよりは、安全性を守ったうえで、先ほど話した効率性、定時性、快適性をうまく見出していくほうが大事だと思います。むしろ、つい操縦に集中して視野が狭くなってしまうことは一番避けなければいけないことだと感じています。

 レースとの共通点というか、これはスポーツ全般に言えることかもしれませんが、何か目標を掲げて、そこに向けて行動しますよね。その結果、うまくいったりいかなかったりしますが、その理由を考えて次に向けてまた計画を立てて、再度トライしてみる......というのをスポーツ選手はずっと繰り返していきます。

 そのサイクルでレースは1年かけて戦っていきます。細かいことを言ったら、サーキットをドライブする時にも同じように周回ごと、コーナーごとに課題を見つけ、何が原因か考えて、トライしていました。そういうアプローチが身についているので、今の仕事やパイロットの訓練にすごく生きていると感じています。

【機長を目指して日々奮闘中】

ーーでは、中嶋さんのパイロットとしての現在の目標は?

 副操縦士になって2年経っていますが、現在のプログラムでは最短6年で機長に昇格するチャンスを得ることができます。できれば40歳の手前ぐらいに機長になりたいという気持ちで今、一生懸命に勉強しているところです。

ーー機長と副操縦士の役割の違いは?

 機長のことはPIC(パイロット・イン・コマンド)と言うのですが、操縦だけでなくフライト全体の最終責任者で、機内のあらゆることを決める役割があります。それを副操縦士は補佐するというのが定義上の役割です。

 あとパイロットは機長と副操縦士の2人で、PF(パイロット・フライング)とPM(パイロット・モニタリング)という役割を担います。PFは主に操縦を担当し、PMはモニターや管制官との通信などを担当します。

 多くの方は機長が毎回PFを担当し、副操縦士がPMをやっていると思われるかもしれないですが、操縦桿(かん)を握るのは機長と副操縦士のどちらがやってもいいんです。フライトごとに機長が決めます。

 もちろん機長が基本的にPFとしてフライトを組み立てるケースが多いですが、副操縦士もゆくゆくは機長にならなければなりません。機長からPFとして操縦の機会をいただいて、勉強していますが、想像していたよりも大変です。

元レーサーでパイロットの中嶋大祐は機長を目指して奮闘中「レースとは求められるものがまったく違いました」

後編へつづく

<プロフィール>
中嶋大祐 なかじま・だいすけ/1989年1月29日、愛知県生まれ。2004年より全日本カート選手権に参戦し、2006年に鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(現ホンダ・レーシング・スクール鈴鹿)に入校すると、スカラシップを獲得。

2007年よりフォーミュラチャレンジ・ジャパンや全日本F3選手権に参戦。2009~2010年には渡英し、イギリスF3選手権で活躍する。2011年より国内に活動の場を移し、ホンダのワークスドライバーとして国内最高峰のスーパーフォーミュラの前身フォーミュラ・ニッポンやスーパーGTに参戦。2019年シーズン限りでドライバーを引退。2021年に関西空港を本拠とする航空会社Peachにパイロットとして入社。現在は、副操縦士を務める。

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