『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(10)

Astemoリヴァーレ茨城 倉田朱里 前編

(連載9:Astemoリヴァーレ茨城の渡邊彩はパリ五輪メンバー落選での「精神崩壊」も乗り越えて 目指すはお世話になった元代表選手の最年長記録>>)

【バレーを始めたきっかけはダイエット】

 Astemoリヴァーレ茨城のセッター、倉田朱里(24歳)はコートに絵を描く。

「試合に入る前に映像を見ながら、『こういう展開になりそう』って攻撃プランを立てます。それがハマった時は楽しいですね。

相手が『またやられた』という表情になったら、『勝ったな。フフン』ってなります」

 倉田はそう言って、いたずらっぽく笑う。戦略的に敵を叩き、味方を躍動させる。その光景はセッターの愉悦だ。

【女子バレー】倉田朱里が振り返る、初めて石川真佑に会った時の...の画像はこちら >>

 倉田がバレーを始めたきっかけはダイエットだった。幼稚園から小学生にかけて水泳教室に通っていたが、背も高く目立っていたためほかのスポーツもやることになった。そこで、ママさんバレーをしていた母の影響もあり、小学校3年から、幼馴染がいたチームでバレーを始めた。

「端っこでボール遊びをする感じで、あまり覚えていないんですけど、楽しかったんだと思います。自然とやせていきました」

 彼女は照れたように肩をすくめ、長い袖を指でくるみながら、こう続けた。

「小学校4年で水泳をやめて、バレーを週5回やることになりました。生活の一部でしたね。4、5年はセッター、6年はスパイカーでした。

もともと性格的にはスパイカー向きで、『(セッターをやるよりも)自分で点を取ったほうが早い』と。

 中学もスパイカーで入ったんですが......中学1年の時に来た教育実習生が、1、2年生の指導をしてくれた時に、『セッターやってみない?』と言われたんです。そこからは上級生に交じって、スパイカーをやりたいと考える暇もなかったです。それからずっとセッターですね」

【中学の時から"超高校級"だった石川真佑】

 そして中学3年の時に、倉田は忘れられない体験をした。

「中3で初めて『合宿に選ばれた』というので、どんなものかわからず行ったんです。なんとなく『東京都選抜とかかな』と思っていたら、たくさん人がいて......。全日本選抜だったんです(笑)。

 そこで、初めて石川真佑(ノヴァーラ)に会いました。『トスを上げたら、こんな威力のあるスパイクを打ってくれるんだ』と感動しました。『自分はすごくないのに、うまいと思わせてくれる!』って。その感覚ははっきりと覚えていますね」

 当時から、石川は"超高校級"だった。

「高さがあれば大丈夫だから」

 そう石川に言われ、とにかく高いトスを上げた。

すると、すさまじい威力で相手コートに打ち込んだ。

「『こんなすごい子たちがいるんだ!』って驚きました」

 倉田は金髪にした前髪を指で触りながら、感嘆の声を出した。セッターとして、世界観が変わる衝撃だった。

「その気持ちよさを経験したら、高校に戻っても周りに求めることが多くなっちゃいました。実は、それでうまくいかないこともあって......。そこからは要求しすぎるのではなくて、『最低限の要求はするけど、自分でなんとかする力をつけよう』と考えるようになりました」

 そんな石川とはこんなエピソードもある。

「真佑も東京だったから、よく会いましたね。東京都の強化合宿では、たくさんの高校生が一泊二日で練習するんですが、ごちゃまぜの4チームでやるんです。その時、真佑のチームは下級生が多かったんですけど、人見知りが炸裂していて(笑)。

 周りも緊張して話しかけられなかったので、みんなで『しっかりコミュニケーションを取って』と真佑をいじっていました。私と同じ学校の後輩が『真佑さんと写真を撮りたいけど、声をかけられません』って言うから、私がお願いしたら、そこから行列ができました(笑)」

 しかし石川とは、不思議と一度も対戦したことがない。

 倉田は石川らとともにU18アジア選手権で優勝。

石川はその後のU20世界選手権にも出場し、チームを初優勝に導いてMVPとベストアウトサイドヒッターに輝いた。

「真佑は今や全日本のキャプテンですし、『すごい経験をさせてもらったんだな』って思います。イタリアでの活躍もすごいし、当時を思い出しながら、『友だちになれて光栄だな』って思ってます」

 倉田は筑波大学で結果を残し、卒業後に入団したAstemoリヴァーレ茨城でも多くの試合に出ているが、「また石川と代表で」とは安易に言わなかった。

「代表は目指したいですけど、代表に選ばれている選手たちはそれぞれ理由があると思っています。だから、自分もそれをつかんでいかないといけない。代表に選ばれるには技術、安定性を身につけるのが必要。代表に行きたい、というよりも、その過程の部分が大事だと思っています」

 セッターである倉田には、頭のなかで思い描いている戦略があるはずだ。

「目立たないけど、勝敗を決めるのはセッターだと思うんです。スパイカーを生かすのが、いいセッター。でも、セッターは一人ひとり違う。同じ"レフト平行"のトスにしても、ボールタッチまでのタイミングや姿勢など、すべて違います」

 倉田が追い求める世界に辿り着けるなら、それは、石川のいる場所につながっているはずだ。

(後編:倉田朱里が好きなキャラは、同じセッターの孤爪研磨「私もこんなに俯瞰でバレーを見られたら」>>)

【プロフィール】

倉田朱里(くらた・しゅり)

所属:Astemoリヴァーレ茨城

2000年11月22日生まれ、東京都出身。

169cm・セッター。母の影響で小学校3年からバレーを始める。駿台学園高校時代にU18日本代表に選出され、U18アジア選手権の優勝に貢献。筑波大学を経て、2023年に日立Astemoリヴァーレ(現Astemoリヴァーレ茨城)に入団した。

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