【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第30回・最終回>
    
◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第29回>>「アキレス腱、再断裂」の怖さ 最大の懸念は「人工芝」

 11月に行なわれる国際親善試合(14日・ガーナ戦/18日・ボリビア戦)の日本代表メンバーに、今年7月で34歳になった谷口彰悟が選ばれた。39歳の長友佑都が今回招集されなかったため、呼ばれた26名のなかで最年長だ。

 約1年ぶりに代表入りした10月シリーズでは、ブラジル戦に先発して歴史的勝利に貢献。前半はブラジルの攻撃に後手を踏んだものの、後半はきっちりとチャンスの芽を摘んだ。アキレス腱断裂を乗り越え、再び代表のユニフォームを手にした男に「今、伝えたいこと」を聞いた。

   ※   ※   ※   ※   ※

谷口彰悟「サッカー人生のターニングポイント」となったブラジル...の画像はこちら >>
 素直にうれしかった。

 ベルギーから日本に向かう飛行機のなかでも懐かしさを覚えた。チームに合流して、あのエンブレムが着いたウェアを着た時には、「帰ってきたんだな」と、しみじみ思った。

 10月のインターナショナルウィークで、アキレス腱を負傷してから今日まで目標にしてきた日本代表に1年ぶりに選ばれた。

 手術、リハビリを含め、さまざまなことを乗り越えて、再び日本代表の一員として戦えるチャンスをもらえたことがうれしかった。同時に来年に迫ったワールドカップまで活動の機会は限られているだけに、日本代表への生き残りをかけたラストチャンスになるという覚悟も抱いた。

 日本代表に合流してからも、いろいろな状況を熟考した。パラグアイとブラジルの2試合が予定されていたが、2試合とも出場するのか、いずれか1試合になるのか。もちろん、1年間のブランクがあることを考えると、どちらの試合でも出番を得られない可能性も想定した。

 そんな自分にチャンスが与えられたのは、10月14日のブラジル戦だった。3バックの中央で先発出場し、約1年ぶりに日本代表としてピッチに立った。

(渡辺)剛、(鈴木)淳之介のふたりと3バックを形成したが、彼らと3人で組むのは初めてのこと。経験では自分に一日の長があるだけに、リーダーシップを取って統率していかなければならないと責任感は増した。

 いつも以上に密なコミュニケーションを心がけた。わかっているだろうことも曖昧にせず、常に声をかけ、その都度、言葉で伝え、お互いの位置を見ながらプレーしようと意識した。

【僕らは再び学ばなければいけない】

 そのブラジル戦は、前半と後半で異なる展開に映ったことだろう。0-2で折り返した前半を振り返ると、ひとつは相手をリスペクトしすぎてしまったところもあったように思う。

 ただ、ブラジル代表はそれに値するチームでもある。僕らとしては、5-4-1でブロックを組んで堅く守ろうと臨んだわけではない。守備でブロックを組みつつも、タイミングとチャンスを見て相手にプレッシャーをかけて、引きすぎないようにしようとイメージしていた。

 それでも試合が始まると、チームとしてのスイッチを入れられず、次第に引いてしまう結果になってしまった。そのため、前半は引いて守る展開になったが、個人的には、それが必ずしも悪い選択だったとは思っていない。

 ただ、引いて守ることを選択するのであれば、ゼロで抑えなければならなかった。無失点で試合を折り返せず、2失点を喫したところは、大いに反省点と言えるだろう。

 来年に迫ったワールドカップを想定した時、0-2で試合を折り返せば、追いつく、もしくは逆転するには相当な労力が必要になる。今回の経験から、僕らは再び学ばなければいけないと思う。

 失点シーンについて言及すると、1失点目は26分だった。パスワークから、最後は左サイドバックのパウロ・エンリケに決められた。

 その少し前くらいから、こちらの陣形も乱れはじめ、徐々に引いて守る構図になっていた。ボールホルダーに対してしっかりとプレッシャーをかけられない場面もあり、ここは耐え時だと思っていた矢先だった。

 まさに3人目の動きで、パウロ・エンリケに抜け出された。試合が始まった時から、ブラジルは3バックの両脇が誰かに食いついた時にできる裏のスペースを狙っていることはわかっていたが、まさにその狙いを得点へとつなげられてしまった。誰がどこまで相手に対して食いつくのか、その距離やタイミングが大事だと実感した。

【不甲斐なさを感じた前半2失点】

 個人としては、あの状況では中にいる相手選手、すなわちゴール前にいる選手を警戒しなければいけなかった。ただ、優先順位としてはそちらが高かったとはいえ、失点した場面では自分と淳之介、ウイングバックの(中村)敬斗との距離感も遠かった。

もう少し締める、絞らせる必要があったと省みた。

 また自分自身も、もう一歩、もしくは半歩でもカバーリングの距離を縮めていたら、最後の最後で足が相手のシュートに届いていたかもしれない、という思いもある。相手のレベルが高くなればなるほど、そうした一歩や半歩が大事になってくる。

 さらにスライディングにしても、もうワンテンポ前で滑っていたら結果は変わっていたのではないか。感覚的には防げた失点だと思うだけに、前回(第29回)で綴った課題を再び突きつけられる場面になった。

 32分に決められた2失点目も同様だ。1失点目と同様、ブラジルはあのスペースを狙っていたし、ウイングが外から中に斜めに入ってくる動きは、それ以前にも見せていた。

 だから、浮き球のパスで裏を取られた時も、やっぱり「ああいうパスを狙ってくるよな」という思いがあった。僕としては、これまた今の自分が向き合っている準備不足、予測不足が招いた結果だと感じた。

 前半で2失点を喫して、自分自身に対して不甲斐なさを感じたし、自分自身に「何をやってんだよ」と、悔しさを覚えた。それと同時に、「これ以上はやられるわけにはいかない」と、3バックはもとよりチーム全体に声を掛けた。

 2失点したとはいえ、ビッグチャンスを何本も作られていたわけではなかった。

ただ、ここでバタバタと崩れてしまうと大量失点につながるだけに、0-2でなんとか耐えてハーフタイムを迎えようと気持ちを切り替えた。

 実際、ロッカールームに戻ると、チームメイトたちは悔しさを覚えつつ、戦えるという手応えも感じていた。僕自身も、僕らがボールを奪った瞬間の相手の寄せはかなり速いが、そこを抜けさえすれば、スペースもあるし、チャンスは作れる感覚があった。自分たちが目指す戦い方ができれば、ゴールをこじ開けられる。そう思っていた。

【怖がらずに勇気を持って対応できた】

「1点取れば変わるよ」

「まだまだいけるよ」

 ロッカールームでもポジティブな声が飛んでいて、チームメイトに頼もしさも感じていたし、守備についても、もう少し前からプレッシャーをかけて相手をハメにいこうと話し合った。その分、後ろは同数で守るリスクを負うことになるが、勝利を目指すうえで覚悟はできていた。

 後半は前線からのプレッシャーも迫力があり、ブラジルが対応できなくなってきていることは後ろからも感じていた。やり続ければ、ゴールは奪える。自分がマッチアップしているのはヴィニシウス・ジュニオールをはじめ、力のある選手ばかりで緊張感やヒリヒリ感はあったが、怖がらずに勇気を持って対応できたと思っている。

 3-2で逆転勝利を収めた結果もさることながら、試合中も楽しさを覚えていた。71分に(上田)綺世のゴールでスコアをひっくり返してからは、カタールワールドカップの緊張感を思い出していた。1回でも相手にやらせたら終わりだという緊張感とプレッシャー。

再びそれを味わうことができた喜びがあった。

 日本代表としても、個人としても、次につながるゲームができたと思っている。

 1年ぶりに日本代表のユニフォームを着て戦ったことで、公式戦に先発した時と同様、いろいろと忘れていたことを取り戻す機会になった。それはこのエンブレムをまとって戦う重圧もひとつだし、プレーの一つひとつの判断や選択も含めて。

 自分にとっては、サッカー人生におけるターニングポイントになったゲームだったし、再び大きな一歩になったことは間違いない。

 あらためて日本代表として求められるプレーの基準や、これから日本代表が戦っていく相手の基準の高さを実感したし、本当にたくさんの刺激を受けた活動期間だった。同時に、「すがりついてでも、来年のワールドカップでピッチに立ちたい」という思いを、強く、強く抱いた。

【自分の最大にして、最高の武器】

 そのワールドカップで日本代表は、本気で優勝を目指している。決勝が行なわれるのは2026年7月19日──その4日前に、僕は35歳の誕生日を迎える。その年齢まで自分がプレーを続けられていることに感謝しつつ、再び日本代表としてワールドカップのピッチに立つことを目指しているから思うことがある。

 これはあくまで自分の考えであり、自分の価値観だが、僕自身は決して輝かしいキャリアをたどってきたわけでもなければ、スーパースターと呼ばれるような選手でもない。そんな自分がここまで続けられてきたのは、やるべきこと、やらなければいけないことを、コツコツと努力してきたからだと思っている。

 足が速いとか、身体が強いとか、テクニックがあるとか、パワーがあったわけでもない。才能や能力に恵まれたわけでなかったが、だからこそ自分の頭でしっかりと、今、何をやるべきなのかを考え、行動に移して、継続してきたから今があると思っている。

 それこそが自分の最大にして、最高の武器でもある。だから、これからも「今、やるべきこと」「今、やらなければいけないこと」に目を向け、一歩、一歩進んでいきたい。

<了>


【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2023年からカタールのアル・ラーヤンSCでプレーしたのち、2024年7月にベルギーのシント・トロイデンに完全移籍する。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。

編集部おすすめ