連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第9回 村上佳菜子 後編(全2回)

 2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会~2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。

 第9回は、2014年ソチ五輪に出場した村上佳菜子の軌跡を振り返る。

後編は、初の五輪代表を勝ち獲るまでの道のりと、悔しさも残る大舞台での演技について。

村上佳菜子「五輪はすごく怖い試合だと思った」 天真爛漫なフィ...の画像はこちら >>

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【猛練習をこなして初の五輪代表に】

 日本女子の主力としての地位を確立して臨んだソチ五輪シーズン(2013−2014)。村上佳菜子は、前季と同様にGPシリーズでは160点台の4位が最高だった。浅田真央がGPファイナルで優勝し、鈴木明子はファイナル進出を逃したとはいえ次点という結果を出すなかで、村上は出遅れていた。

 だが、勝負がかかる全日本選手権では、ためこんでいた気持ちを一気に発散するような演技を見せた。

「五輪出場がかかっていたので今までにない怖さを感じたけど、この試合に向けて本当に死ぬ気で練習をしてきました」

 そう話して臨んだショートプログラム(SP)では、ノーミスの滑りで67.42点を獲得し、浅田と鈴木に次ぐ3位発進。シニアデビューの宮原知子が僅差で迫る展開だったが、フリーは丁寧な滑り出しから余裕のある演技をし、ほぼノーミスで135.10点を獲得する。

 合計は非公認ながら初の200点台となる202.52点で、ミスが出た浅田を逆転して総合2位となり、初の五輪代表を手にした。

「一日5~6時間の練習で何回も曲をかけて、何回もジャンプを跳んで、先生には何回も怒られて......。本当に練習が苦しかったので、家に帰って号泣して、『もうやめたい』と何回も言っていたけど、逃げずにやってきた。

 今シーズンが始まった時には『どうなるのか?』という気持ちしかなかったけど、プレッシャーがかかった最後の大会で、ショートもフリーもいい演技ができたので五輪に向けて自信になったと思うし、五輪でもできるのではないかと思います」

【五輪は"すごく怖い試合"だった】

 その1カ月後の四大陸選手権ではSPをノーミスで1位発進し、フリーもわずかなミスに抑えてISU公認の自己ベスト記録となる196.91点で優勝。上り調子でソチ五輪に挑んだ。

 だが、初の大舞台は厳しいものだった。団体戦に出場しなかった村上の初舞台は、大会14日目。

 キム・ヨナ(韓国)が74.92点でトップに立っている状況だったSPは、「かなり緊張はしましたけど、調子はよかったです」と言うように、最初の3回転トーループ+3回転トーループを確実に決めて流れに乗った。

 だが、3回転フリップが1回転になるミスが出てしまった。「気持ちよく滑れていましたけど、後半のフリップを跳ぶ前にすごく考えすぎてしまった。それが悪かったと思います」と村上。「五輪という試合の圧迫感に圧倒されてしまい、自分の気持ちが負けてしまいました」と、55.60点にとどまり15位発進になった。

 翌日のフリーは、慎重に跳んだ最初の3回転トーループ+3回転トーループはきっちり決めたが、次の3回転ルッツはエッジエラーの判定でステップアウト。さらにそのあとの3回転ループも2回転になって、ミスを重ねてしまった。

「朝の練習までショートの結果を引きずっていました。気持ちを切り替えたつもりだけどうまくいかなかったです」

 村上はそう語った。演技の後半は丁寧にジャンプを跳んで粘りも見せたが、フリーの得点は115.38点。合計170.98点で総合12位という結果で終わった。

「今日の演技は覚えているような、覚えていないような......。

すごく焦って滑っていました。後半のダブルアクセルはしっかり跳んだ覚えはあるけど、あとはあまり覚えてなくて。体が覚えている振り付けやジャンプをやっていた感じです。全日本選手権はプレッシャーの原因もわかるけど、五輪は見えないプレッシャーを感じるというか。すごく怖い試合だと思いました」

 五輪を経験したことは大きな収穫でもあり、課題も数えきれないくらいあると感じたという。そのうえで、「五輪にまた出たいという思いもありますが、出たくないと言えば出たくない気持ちもあります」と複雑な心中を吐露していた村上は、「次の世界選手権で挽回してやろうという気持ちでいっぱいです」とも話していた。

【大学卒業とともに現役引退】

 しかし、翌月の世界選手権はSP、フリーともジャンプの回転不足を多発して10位と思いは届かず、ソチ五輪の悔しさを晴らした浅田の優勝を賞賛するだけで終わった。

 ソチ五輪までは同門で育った浅田やベテランの鈴木のなかで、どちらかと言えば妹分的な立ち位置でのびのびと取り組み、日本女子の主軸としての役割を果たしていた村上。だが、浅田や鈴木が先に現役引退し、日本女子を引っ張るべき役割を担わなくてはならないようになってからは苦労をした。

 2014−2015シーズンは、GPシリーズ中国大会で3位になったがGPファイナル進出を逃す。全日本選手権はシニア2年目の宮原やシニアデビューの本郷理華、ジュニアの樋口新葉らに遅れを取って5位に終わった。

 5年連続で世界選手権代表になったものの、フリーで崩れ、2位の宮原や6位の本郷に及ばない7位。

翌シーズンも思うような結果は出せず、2016年全日本選手権8位を最後に、中京大学卒業とともに競技引退を表明した。

 それでも村上の天真爛漫な笑顔は、フィギュアスケートの歴史に強い印象を残した。

終わり

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<プロフィール>
村上佳菜子 むらかみ・かなこ/1994年、愛知県生まれ。2009年ジュニアGPファイナル、2010年世界ジュニア選手権を優勝し、ジュニア時代から好成績を収める。シニアデビュー1年目の2010−2011シーズンには、GPシリーズ・NHK杯で3位、スケートアメリカで優勝。2014年四大陸選手権を優勝し、同年のソチ五輪に出場して総合12位。2017年に引退後は、プロフィギュアスケーターや解説者、タレントして活躍している。

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