「自分たちは東京朝高だ。力強く戦おう」
試合前に姜宗鎭(カン・ジョンジン)監督は、選手たちに朝鮮語で語りかけた。
10月26日、東京都・八王子の堀越学園総合グラウンド。全国高校サッカー選手権の東京都Aブロック予選準々決勝が行なわれた。
東京朝鮮中高級学校(以下東京朝鮮高)は後半6分、東海大高輪台高から先制ゴールを決めた。T3リーグ(東京都U-18サッカーリーグ3部)所属の東京朝鮮高は、技術的に上回る格上の相手に対して後半序盤から攻勢の時間帯を作ったのだ。しかし、直後の時間帯に続いた追加点のチャンスを生かせず、その後、徐々に相手の攻撃に耐えきれなくなり、2ゴールを許し逆転負けを喫した。
チームが目標のひとつと定めていた「西が丘」(味の素フィールド西が丘)、つまり準決勝進出は果たせなかった。それでも今年、選手権予選で2年連続「2次予選初戦敗退」の状況からは免れたのだった。
東京朝鮮高はかつて1960年代から1990年代にかけ、「301戦240勝」「1970年代に強すぎて本国に招待される」「日本の全国大会優勝校に次々と勝利」「多くの高校が対戦を望む『朝高詣で』という言葉があった」というほどの強豪校だった。
そんな東京朝鮮高は、今、どんな時を過ごしているのか。
【28年前。全国優勝の帝京と争う】
今から28年前。
1997年に東京朝鮮高は中田浩二(元鹿島アントラーズほか)率いる帝京高と選手権出場を懸けて都大会決勝を戦った。
延長戦でゴールを許し、0-1の敗戦を喫した。当時FWとして試合に出場した現東京朝鮮高サッカー部OB会の丁明秀(チョン・ミョンス)会長はこう語る。
「(延長戦までもつれましたが)実際は圧倒的に押された展開でした。ボールポゼッションは相手が90%くらいの感じで、シュート数は8対32でした。とにかく耐えて、耐える試合で。中田浩二はすごかったんでしょうけど、実は彼ひとりには"あまり苦労しなかった"んです。なにせ相手の攻撃陣にずっと攻められてて、ボランチの彼は後方でたまにサラッとボールをさばくくらいでしたから」
そうではあっても、その前年から選手権への参加資格を再び得たチームは、すぐさま都大会決勝に勝ち残る力を持っていた。
丁明秀自身は卒業後、アルビレックス新潟の入団テストを受けたが、合格には至らなかった。現在はOB会長を務めつつ、息子に夢を託す。次男の昌平(チャンピョン)は、現在同校サッカー部に在籍。今回の選手権予選ではレフティーの攻撃的MF、10番を背負う2年生エースの役割を担った。
OB会長として、最近のチームに思うことがある。「昔がどうだったと言って、僕らの時代と比べすぎるのもよくないんですが」と断ったうえでこう続ける。
「自チーム内でも、相手に対しても、厳しさがなくなっていると思います。僕らの世代は『日本人に勝ちたい』と思って戦っていました。その考え方は悪いことだけじゃないと思うんです。日本のチームのほうが技術が高いことが多い。そんななかで僕らが戦えた理由って、気合、根性、走る、ということでしたから。相手にも厳しくぶつかって、自分たちの規律も厳しくしていました。だからこそ、(強豪高校が)朝鮮高と練習試合を組む意味もあったとも思うんです」
今年のチームは、選手権予選(2次予選)初戦の2回戦で都立東大和高のペースに合わせ、蹴り合いをやってしまった。辛くも後半終了間際にセットプレーから決勝ゴールを決めて勝ち上がると、3回戦では大森学園高を相手に、CKが直接決まるゴールで辛勝。準々決勝では前述のとおり逆転負け。
【日本のなかにある違う発想のサッカー】
近年の日本国内(Jリーグ)のサッカーシーンを説明する、こんな言説がある。
「『王道型』(ボール保持)と『覇道型』(ハイプレス・速攻)のせめぎ合い」(西部謙司氏 『スポーツナビ』2024年2月22日)
何が言いたいのかというと「似たことをやっているチームが多い」だ。J1からJ3まで、同じような風景が見られる。ハイプレスを回避するためにGKまでボール回しに加わる。相手をうまく剥がし、ボランチにいい態勢でボールが入れば、一気に攻撃が加速――。
トレンドなのだろう。日本国内では1990年代から似たようなことが起きてきた。「3バック」が流行り、「絶対的4バック」の時代がやってくる。「2トップ」が廃れた後、また見直される時代が来る......というふうに。一気に浸透していって、皆が右へ倣(なら)えとなる。
しかし、誰かが「違うこと」をやって固定観念をぶっ壊す時がやってくる。自ら考え、そこに取り組まなければ、いつも誰かを模倣する存在で終わってしまう。
2014年ブラジルW杯のオランダは、グループリーグでスペインと対戦し5-1と大勝した。スペインの最先端の「攻撃時のパスパークを生むコンパクトな距離感が、守備時にはハイプレス網に切り替わる」というストロングポイントを「一気にロングボールを入れることで飛び越えて」克服した。守備では当時、前近代的と言われた3バック(5バック)を敷いて、対応しきったのだ。
トレンドに倣い、速く普及するのもいいのだが、それは日本にとっての弱点にもなりうる。いささか古いが、名著『日本の思想』を記した政治学者で思想史家の丸山眞男氏が、こんな発言をしている。
「(日本社会は)異質的なものとの対決を通じて自分のものをみがきあげ、きたえていく機会が非常に少なかった(中略)。これからの日本は、それではすまなくなると思うんです」(『丸山眞男教授をかこむ座談会の記録』1968年11月 81-82ページ)
自分たちとは違う情報・発想から生まれるサッカースタイルが日本国内にあり、そこに接することができる。最近は選手の気質も変わりつつあるとはいえ、今、日本サッカー界に東京朝鮮高サッカー部が存在する価値がそこにある。
たとえば、神奈川県横浜市にはアルゼンチン人の法人代表が率いる「エスペランサ」という街クラブが存在する。育成世代の試合では、周囲の日本チームよりはるかに高いインテンシティで臨むことで知られ、日本チームとの交流も盛んなのだが、この価値と同じ話だ。
では、いかにこの東京朝鮮高が日本社会とは違う情報ルート、思想・発想で強いチームを作り上げてきたのか。
【東京朝鮮高サッカーの歴史】
東京朝鮮中高級学校は、在日コリアン(朝鮮籍・韓国籍)の子弟を対象とした民族学校だ。
そもそも日本統治下の朝鮮半島ではサッカーが人気競技だった。「サッカーは道具が少なくともできたスポーツで、日本に対抗することもできた」(『大韓サッカー協会100年史』)という記述もある。さらに当時の朝鮮半島では「京平(キョンピョン)サッカー対抗戦」という大イベントがあった。
「京」はソウルの当時の名称である京城から。「平」は平壌から。要は2大都市の代表チームの定期戦(ホーム&アウェーで行なわれた年もある)なのだが、1930年代のソウルでの試合は、市内5カ所で販売した前売り券7000枚が完売することもあったという。韓国側の資料によると、歴代戦績は平壌側の9勝7分5敗。平壌が勝ち越した全京城蹴球団は1935年の全日本サッカー選手権で優勝を果たしており、そこに勝ち越すほどだったから「北」のサッカーは強かったのだ。
「野球人気先行」の日本とは違う歴史。ちなみに東京朝鮮高には歴史上、野球部が存在した期間が決して長くはない。つまりは「運動神経のある男子にとっての看板スポーツはサッカー」の時代が長く続いている。
1966年には本国がイングランドW杯でベスト8入り。東京朝鮮高サッカー部は、本国サッカーシーンとの交流機会を得るようになる。1966年10月3日に総聯中央金昌鉉教育部長も参加して行なわれた「東京朝鮮中高級学校創立20周年記念祝賀大会」で「30連勝中」「1955年の創部以来301戦240勝」という成績を称えられる(同校公式Webサイトより)。
すると1972年6月には当時の朝鮮社会主義労働青年同盟中央委員会から本国への招待状が届く。同校公式Webサイトによると現地では「恵山軽工業学校と試合」と記されている。
1970年代には本国からのスポーツ選手団の来日も盛んになった。1972年に来日したA代表チームのほか、1973年には万寿台高等軽工業学校が来日。東京朝鮮高を訪問している。同校は当時の高校選手権優勝チーム、浦和市立高(現市立浦和高/埼玉)を2-0で下した。
またこの時代、東京朝鮮高に伝説の指導者が誕生する。1971年から1987年まで監督を務めた金明植(キム・ミョンシク)氏。木村元彦著『無冠、されど至強 東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代』によると、金明植氏は来日した本国チームから、当時最先端だった東欧圏のユーゴやチェコの戦術のメモを受け取った。さらに木村氏は、2018年1月の『Yahoo! ニュースエキスパート』の記事で以下の内容を記している。
「1980年に明植がFIFAのコーチングスクールにピョンヤンに行くと、そこで指導にあたったのが、ユーゴのロス五輪代表監督(このときはコーチにオシムが名前を連ねている)となるイヴァン・トゥプラックであった。朝高はいち早く欧州のサッカー先進国のサッカーに触れていたと言えよう」
これらの情報も力にして1986年までに清水高校サッカーフェスティバルで2度優勝を果たすなど、「影の(高校)ナンバーワン」と呼ばれるようになり、名門校が対戦を望む「朝高詣で」などが盛んに行なわれた。
日本代表が1960年代に「ドイツ(デットマール・クラマー氏)」に教わり、急激に成長を遂げたのに対し、1970年代の在日朝鮮人サッカー界は「本国」そして「ユーゴ」など東欧に教わったのだった。
>>後編「東京朝鮮高サッカー部の今」につづく

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