西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 
第76回 トロイ・パロット

 日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。

 W杯欧州予選のプレーオフに進出したアイルランドでは、直近2試合で5ゴールと大活躍したFWトロイ・パロットが英雄に押し上げられ、まるでもう優勝したかのような大騒ぎに。今回はそんな熱狂的なアイルランドサッカーの真髄にも迫ります。

【新世代のクー・フーリン】

 W杯欧州予選、ポルトガル戦で2ゴール、続くハンガリー戦ではハットトリック。アイルランドをプレーオフへ押し上げたトロイ・パロットは「新世代のクー・フーリン」と呼ばれているそうだ。

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 クー・フーリンはアイルランドのケルト神話に登場する半神半人。ギリシャ神話のヘラクレス、メソポタミア神話のギルガメシュと並ぶ英雄とされている。

 アイルランドにはたびたび、クー・フーリンと呼ばれる選手が現われる。

 1994年アメリカW杯では、グループステージで優勝候補だったイタリアを撃破。レイ・ホートンのゴールはジャイアントキリングの象徴と称された。

 2002年日韓W杯、グループステージのドイツ戦アディショナルタイムにロビー・キーンが劇的な同点弾を決めて英雄となった。グループステージを突破したあと、ラウンド16でスペインにPK戦決着で次へ進めなかったが、無敗のまま大会をあとにしている。

 2015年の欧州選手権予選では、前年のブラジルW杯で優勝していたドイツを破り「奇跡の夜」と呼ばれた。その時、決勝ゴールをゲットしたシェーン・ロングも「クー・フーリン」と称賛された。

 衝撃的な5ゴールで来年のW杯への道をつないだパロット。ダブリン空港のSNSは「トロイ・パロット空港に改名」とジョークをとばし、にわかに国民的英雄に押し上げられているわけだが、このあたりは実にアイルランドらしいと言えるかもしれない。

【アイルランドとワールドカップ】

 アイルランドはW杯に過去3回出場している。初出場はジャッキー・チャールトン監督に率いられた1990年イタリアW杯だった。グループステージはイングランド、エジプト、オランダとの3試合をすべて引き分けてベスト16へ進出。ラウンド16でもルーマニアと引き分けてPK戦でベスト8へ。準々決勝では開催国イタリアに0-1で敗れたが、大健闘だった。4年後のアメリカW杯もグループステージを突破、ラウンド16でオランダに0-2と敗れた。そして3回目の2002年日韓大会は、先述のとおり無敗のままラウンド16で敗退。

 W杯でのアイルランドは、実に負けっぷりのいいチームである。負けて暴れるサポーターなどおらず、いつも力いっぱい戦った選手をねぎらい、彼らの歌を皆で歌い、オレンジと緑と白の国旗色のヘンテコな帽子をかぶって陽気に踊る。もともと勝敗についてはあまりこだわりがないようなのだ。W杯は民族の決起集会みたいなもので、チームが魂を見せてくれればそれでいい。

優勝を義務づけられている強豪国などとはまったく違っていた。

 もともと優勝できるなどとは思っていない。そんなことより、彼らの物語を紡いでいくことのほうがずっと大事なのではないかと思う。

 アイルランド共和国は人口約520万人。W杯出場は3回で欧州選手権出場も3回。大舞台が少ないだけに、それだけ重みもある。晴れ舞台だ。

 ハンガリー戦のアディショナルタイムに3点目を決めたパロットは「人生でこれ以上すばらしい夜はないだろう」と涙ながらに話している。その前のポルトガル戦でも同じことを言っているのだが、プレーオフ進出を自らのハットトリックでつかみ取ったハンガリー戦は、また格別の思いだったに違いない。

 わずか3分でハンガリーに先制されたが、15分にPKからパロットが同点ゴールをゲット。しかし37分に再びリードを奪われる。ハンガリーのキャプテン、ドミニク・ソボスライは圧巻のプレーを見せていた。

フィールドのどこにでも現われ、そのたびに格の違いを見せる。

 ハンガリー優勢で進むなか、80分にまたもパロットがゴール。ディフェンスラインと入れ替わるように飛び出し、冷静にボールをチップさせて同点とした。

 アディショナルタイムも終わりに差し掛かり、引き分けならプレーオフへの道を断たれてしまうアイルランドは、GKも攻撃に参加してハイクロスを送る。リアム・スケールズが競り落としたボールにいち早く反応したパロットは、GKの前でバウンドしたボールに足を伸ばし、足裏で叩いてGKの下を抜いて決勝点をゲットした。

 その瞬間、まるでW杯で優勝したかのような大騒ぎになっている。というより、ファンはこれを見るためにアウェーにも大挙して応援に参じていて、選手もこれを見せるためにプレーしているのだ。W杯で優勝するつもりの強豪国では、おそらくお目にかかれない光景だろう。

【代表チームが戦う理由とは?】

 アイルランド人は彼らの物語を紡ぐ。

 選手たちは誇り高く戦い、決して諦めない。諦める理由がないのだ。

 諦めないがゆえの劇的な終了間際の得点ということではドイツがよく知られているが、アイルランドとは趣を異にしている。

ドイツは決して諦めず、最後の最後まで可能性に賭ける。空中戦の強さは技術的なポイントだが、それ以上にやるべきことをやり通す合理性が際立っている。勝つために最後の1秒まで手を抜かず、やるべきことをやり続ける。

 アイルランドも、もちろん勝つために頑張っているわけだが、それ以上に決して諦めない姿を見せることが重要なのだと思う。アイルランドの誇りと魂を示す。それこそが勝利以上にプレーする目的なので、絶望的な状況に追い込まれるほど奮い立つ。むしろその瞬間こそが見せ場なのだから。

 こうして、時に英雄が生まれる。英雄たちはクー・フーリンのように語り継がれる。それがたとえ一夜限りの英雄だったとしても関係ない。永遠に彼らの物語の英雄であり、神話のように生き続け、語り継がれていく。

 すべてを手にしたからではなく、勝ち目のない戦いに挑み続けるから英雄なのだ。

4年に一度のW杯で最終的に勝者となるのは1チームだけ。他のすべてはどこかで必ず敗北する。だから、サッカーの代表チームは勝つこと以外にプレーする理由を持っていなければならない。アイルランドはいつもそれが明確で、サッカーとは本来こういうものではないかと思わされるのだ。

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