世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第41回】フランク・リベリー(フランス)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第41回はフランスが生んだ稀代のドリブラー「フランク・リベリー」を紹介する。ウイングのポジションに構える彼にボールが渡ったら、最大級に注意しなければならない。ドリブルに警戒していると、キレのあるパスや豊富な運動量であっという間にチャンスを創出するからだ。2010年代のバイエルン黄金期は、リベリーなしで語れない。
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かつてウイングは、ふた通りに分かれていた。ひとつはクロッサー。もうひとつはドリブラー。
プレミアリーグ草創期から10年ほどのマンチェスター・ユナイテッドが好例で、右サイドは正確無比のクロスで多くのゴールをもたらしたデビッド・ベッカム、左サイドは史上屈指のドリブラーと言われるライアン・ギグスである。
マルセイユやバイエルンで一世を風靡したフランク・リベリーも、フットボールの歴史に残る名ドリブラーのひとりだ。
小さな頃から喧嘩っ早かったという。好んでトラブルに首を突っ込んでいたとの噂がもっぱらだ。
その後、プロになっても酒場で一般人と大喧嘩し、行く先々でチームメイトと拳を交え、最後には未成年との不適切な関係まで発覚した。2010年の南アフリカワールドカップではチームメイトに対するイジメが明らかになり、占星術による選手選考が物議を醸したレイモン・ドメネク監督とともに「フランス代表惨敗の主犯」と徹底的に叩かれている。
つまり、友だちにはなりたくないタイプとも言える。
【ブンデスが高速化したきっかけ】
ただ、素行は悪かったとしても、ウイングとして超一流だった。特に2012-13シーズンは圧巻。ブンデスリーガ、DFBポカール(ドイツカップ)、チャンピオンズリーグの3冠に貢献し、UEFA最優秀選手にも選ばれている。
2007年にリベリーがマルセイユから、2年後にアリエン・ロッベンがレアル・マドリードから加入し、バイエルンは右肩上がりになった。2000-01シーズンを最後に遠ざかっていたチャンピオンズリーグを2012-13シーズンに獲得。いわゆる「ロッベリー」の時代である。
彼らの活躍によってバイエルンは黄金期を迎え、2019年までの10年間でCL優勝1回、準優勝2回、ブンデスリーガを8回も制し、DFBポカールの戴冠は5回を数えた。
「ロッベリー」のスピードとテクニックは、ブンデスリーガに多大な影響を与えた。週刊誌『デア・シュピーゲル』からスポーツ紙『キッカー』『ビルト』に至るまで、メディアはこぞって高く評価している。
「ロッベリーに対抗するため、各クラブが有能なDFを獲得するか、若手を育てなければならない。他国に比べると、我々のリーグのテンポはゆったりしている」
ブンデスリーガの高速化は、「ロッベリー」によって成し遂げられたと言って差し支えない。
リベリーの動きは、わかっていても止められない。ピッチ内を縦横無尽に走り回り、決定的なスルーパスで数多くのチャンスを演出する。得意のドリブルでは、一瞬の加速でマーカーを置き去りにした。
左ウイングを主戦場としながら、トップ下や逆サイド、中盤の深い位置にも現れる豊富な運動量も強みのひとつだ。「フランス代表の欠点として挙げられるジネディーヌ・ジダンの運動量不足は、リベリーのエネルギーによってカバーされている」と、『フランス・フットボール』紙が高く評価していたこともあった。
なおかつ、リベリーは周囲を活かすだけではなく、活かされることも心得ている。バイエルンではセットプレーも任されていた。信頼の証(あかし)以外の何物でもない。
【バロンドールを逸した要因】
2012-13シーズンは公式戦43試合に出場して11ゴール・23アシスト。翌シーズンは39試合で16ゴール・15アシスト。見事な成績である。
それでも、なぜかバロンドールは獲れなかった。例によってクリスティアーノ・ロナウド(当時レアル・マドリード)とリオネル・メッシ(当時バルセロナ)に票が集まり、リベリーは3位に甘んじている。
「あの頃のロナウドとメッシが、俺より優れていたとは思えない」
「2013年のバロンドールは不公平な人選として人々の記憶に残る」
「投票の締め切りが、いつもの年より2週間も延期されたことの説明がない」
今年3月、フランスのスポーツ紙『レキップ』のインタビューに答えたリベリーは、今でも不満タラタラだ。
しかし、バロンドールを逸した要因は、おそらく稼働率の低さだろう。爆発的なスプリントを武器とする選手にありがちな筋肉系のトラブルに、リベリーも悩まされていた。クリスティアーノ・ロナウドとメッシに票が集まりすぎていた不公平は無視できないものの、彼らは長期欠場がほとんどない。
もし、リベリーのハムストリングや足首がほんの少しだけ頑健だったら、バロンドールの人選に少なからぬ影響を与えていたに違いない。
「お前は技術も才能もあるけれど、メンタルが弱すぎる。味方を味方と思うな! 友だちなんかじゃねえからな。監督がお前にキレても、無視しろ。
ガンバ大阪の宇佐美貴史がバイエルンでプレーしていた当時、リベリーから強烈なアドバイスを送られたという。まさに「金言」だ。
日本では事なかれ主義がよしとされ、自らを抑えて組織に貢献する。意見が合わない上司・先輩にも逆らわず、場を荒立てない。尊敬や謙遜が日本人特有の美徳だとしても、競争社会──プロスポーツでは弱さに直結する。
【リベリーの系譜と言える若手は?】
リベリーは我の強さから「トラブルメーカー」のレッテルを貼られたが、ピッチの上では正解を出し続けた。常にシュートを意識しつつ、味方のポジショニングと相手の陣形も頭に入れ、最も有効なプレーを選択できた。そしてロッベンの独善的なパフォーマンスがメディアに批判された際には、「アタッカーは基本的にセルフィッシュでなければならない」と擁護もしている。
プロは結果がすべて──。リベリーはプレーで証明した。
2022年にサレルニターナ(イタリア)で引退したのち、稀代の名ウイングはフットボールと距離を置いている。
しかし、リベリーの一挙手一投足は記憶に留めなければならない。ジョージ・ベスト(北アイルランド)、ジャイルジーニョ、リベリーノ(ともにブラジル)、ドラガン・ジャイッチ(ユーゴスラビア)といった伝説のドリブラーとともに、後世に語り継がれていく名手のひとりだ。
リバプールのモハメド・サラーやアーセナルのブカヨ・サカ、バルセロナのハフィーニャなど、今を生きるトップランクのウイングもリベリーの系譜である。彼の功績を軽視してはいけない。

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