錦織圭という奇跡【第7回】
細木秀樹の視点(2)
◆松岡修造の視点(1)~(5)最初から読む>>
◆細木秀樹の視点(1)>>「うそでしょ!? とんでもない子が来た!」
「僕ね、圭の本当にすごいところは、相当に恵まれた運とタイミングの持ち主だ、ということなんです」
錦織圭の思い出がそこかしこに染み込むクラブハウスの一室で、細木秀樹(ほそぎ・ひでき)コーチがしみじみと言った。
錦織が5歳から13歳まで通った、地元・島根県松江市のグリーンテニススクール。
でも、ここでは柏井(正樹)コーチを筆頭に、そういう雰囲気がまったくなかった。急に圭のような特別な選手が現れ、全国で注目を集めていくなかで、どうやったら次のステージに行かせられるかを最優先で考えていました。
しかもそのタイミングで、『修造チャレンジ』や『盛田正明テニスファンド』の選考会など、いろんなところから声がかかる。圭が階段を上がっていく、その妨げになってはならないということを、柏井さんといつも話していました。
誰も邪魔さえしなければ、圭は必ず誰かの目に止まり、いい指導者やいい選手に会う機会が絶対にある。だからそのタイミングを見逃さずに、いつでも受け渡しができる万全の準備をしておくことが、僕らの役目だろうと思っていました」
そんな理念を持つ指導者たちに、キャリアのスタート地点で出会えていた。たしかに錦織圭は、強運の持ち主だ。
もっとも、そのような考えにコーチたちを導いたのは、錦織その人だと言えるかもしれない。
細木コーチは、初めてスクールに来た5歳児が自在にボールを操る姿を見た時、「前世でテニスやってたでしょ?」としか思えなかったという。
「前世がテニス選手で、その時の記憶を持っている。そうでも考えないと、5歳の子があんな身のこなしでボールが打てることの説明がつかなかった」
だから細木コーチは、そう思い込むことで自分を納得させた。
【才能を確信した全小でのプレー】
指導者たちの目に明らかだった圭少年の才能は、彼が10歳になる頃には、戦績として誰の目にも可視化される。小学4年生の時に中国地方大会を勝ち抜き、全国小学生テニス選手権(全小)に出場。錦織圭の活躍の場の拡張は、コーチにとっても世界の広がりであった。
「4年生で全小に出た時に、圭の才能を確信したんです。やっぱり圭は、全国レベルの6年生の子たちにも全然、引けを取らないなと。
もちろん、体格差があるのでパワーで負けはしますが、テニスの中身だけで考えたら、すでに勝っている。同じ身体のサイズになれば、完全に圧倒できる将来像が見えたんです。
だから、2年後の圭が目指すべきレベルは、ここではない。圭にふさわしい場所を知るために、僕らも技術や戦術、もちろん体作りも含めて、めちゃめちゃ勉強しました。プロの選手たちが今現在、どんなテニスをしていて、この先にどんなテニスが生まれるのか? 2年後、5年後を先読みしながら、『それじゃあ圭は、何をすべきだろう?』と考えました。
現在進行形のコーチングではなくて、その先を見越して勉強しなくてはいけない。
偶然、手もとに降ってきたこの金の卵を、絶対に潰してはいけないという自覚。その思いを、自戒を含め一層深めた「とある出来事」があったという。
細木コーチが、「これ、すごくカッコいいエピソードなんですよ」と、うれしそうに語り始めた。
「うちのスクールでは、コートの9カ所からターゲットを狙ってフォアハンドを打つ『ナインボール』という練習法があるんです。
圭が11歳の時だったと思います。圭も含めた4~5人の子どもたちに『今からナインボールやるけれど、何球当てられる?』って聞いたんです。みんなわんぱく坊主なので、『9球!』って大きな声で言う。僕も『そっか! じゃあ9球狙おう』となって始めました」
【あの時の表情を今でも忘れられない】
細木コーチは続ける。
「でもターゲットは、25センチ四方くらいの小さな鉄板。僕は内心、9球なんか当たるはずないなって思いながら、球出ししてたんです。
みんなで順繰りに挑戦していくうち、何回目かで圭がバーンと一球目を当て、2球目も当てる。『やるな。まあ、圭なら当てることもあるよな』と思うのですが、3球目、4球目もガーンと当てたあたりから、こっちが『ちょっと待ってよ』みたいになる。
5球目、ガツーン。6球目、バーン。7球目、バーン! 8球目、バーン?
もうね、ここに来たら、球出しする僕のほうがもう、手がプルプル(苦笑)。俺が下手して失敗したら......と緊張しながら9球目を送ったら、ガツーン! 当たったー!
この瞬間、周りのみんなが『うわーっ! すげー!』って大騒ぎですよ。僕も『やったな!』って圭のほうを向いたんですが、あいつは当たった瞬間にパッと振り向いて、スタスタスタって列のうしろに歩き始めてる。
僕はみんなの熱量にもあてられて、『おい圭! 何やってんだよ、みんなが喜んでるぞ!』って言ったんです。そしたら圭が、僕のほうに振り返って言うんです。
『はあ? だってコーチ、9球当てろって言ったじゃん』って。
あっ......て、我に返りましたね。『そうだよな、俺が9球当てろって言ったもんな、そうだよね。俺が9球という目標設定をしたんだから、9球狙うし、当てるよね』って」
決まりが悪そうに首をすくめて、細木氏が笑う。
あの日の出来事は美しい思い出であり、同時に「目線を高く保つべし」という、自分への戒めでもあるのだろう。
「あの時の圭の言葉を......、僕のほうをクルッと振り向き『はあ?』と言った時の表情を、今でも全然、忘れられないですね。『お前もすごいところに行ったなぁ』と思いましたし、同時に思い知らされました。『俺って、なんてちっちゃいヤツなんだ』って」
ワハハハという豪快な笑い声が、この言葉に続いた。
※ ※ ※ ※ ※
【バトンを受け渡していけば大丈夫】
コーチの使命とは何かと考えた時、細木氏はいつも、師である故・柏井正樹氏の教えを思うという。
「僕が最初にグリーンテニススクールで働くことになった時、柏井さんからコーチ(coach)の語源が何かを教わったんです。
コーチは四頭立て馬車のことで、誰かを目的地へと連れていくことが、そもそもの役割。だから僕は、導くというか、中継地点まで連れていけばいい。そこからさらに先に連れていく人が絶対に現れるわけで、そこまでは僕が一生懸命に連れていかなきゃいけないと。
まあ、悪く言ったら無責任ですが、きちんとバトンを受け渡していけば大丈夫だろうと思っていました。圭は、運とタイミングに恵まれている人ですから」
まるでトーチをつなぐように、錦織圭という希望の火は、人から人の手に託され、より遠くへ......日本人が誰も到達できなかった彼方へと向かっていった。
同時に細木氏が言うように、それは錦織圭という光を介して、人々が世界を知り、未来を見通せたからこそ、つなぐことのできたバトンでもある。その意味では、周囲の人々が錦織に導かれたと言えるかもしれない。
2003年8月。13歳の錦織圭は、アメリカのIMGアカデミーを目指し、海を渡った。
多くの人々の祝福と安堵と願いを、その小さな背に受けながら。
(つづく)
◆細木秀樹の視点(3)>>「圭にケガをさせたら俺もスクールも吹っ飛ぶ」
【profile】
細木秀樹(ほそぎ・ひでき)
1974年11月5日生まれ。松江第一高校 (現・開星高校)出身。広島県のRCCルーデンステニスクラブにて2年間の実績を積んだあと、現在に至るまで島根県松江市のグリーンテニススクールにてコーチとして活動中。錦織圭を5歳から指導し、全国小学生テニス大会、全日本ジュニアテニス選手権、全国選抜テニスなど、さまざまな全国大会で優勝に導く。実子の細木咲良も松江市開催の2016年インターハイ優勝者で現在はプロとして活動。今も多くの教え子たちがジュニア大会や中・高校の全国大会等で活躍する。



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