Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第24回】ルーカス
(FC東京、ガンバ大阪)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。
第24回はルーカスを取り上げる。FC東京で7シーズン、ガンバ大阪で3シーズンを過ごしたこのブラジル人アタッカーは、どちらのクラブにもタイトルをもたらした。J1リーグ通算268試合出場は、外国人選手では9番目に多い。フィールドプレーヤーでは7番目である。Jリーグの歴史に名を刻む助っ人──と言っていいだろう。
※ ※ ※ ※ ※
異国で長くプレーする外国人選手には、相応の理由があるものだ。何よりもまずは、フットボーラーとしてのクオリティが高くなければならない。助っ人外国人としての最大の価値は、勝ち点を運んでくることにある。攻撃的なポジションの選手なら、ゴールやアシストが求められる。個人のスタッツがタイトル獲得につながれば、その選手の価値はさらに高まる。
2004年にFC東京の一員となったルーカスは、リーグ戦で11ゴールを記録した。
リーグカップでは7試合に出場して6ゴールを叩き出し、クラブ初の3大タイトル獲得に貢献している。東京ヴェルディとの準決勝ではハットトリックを達成し、4-3の撃ち合いを制する立役者となった。
【2009年の天皇杯では大会得点王】
2003年までのFC東京では、アマラオが絶対的な得点源として君臨していた。彼に代わるブラジル人ストライカーとしてやってきたルーカスは、あらゆる場面で「キング・オブ・トーキョー」と呼ばれた男と比較される立場である。
大きなプレッシャーを背負いながら、彼は1年目から結果を残した。それによって、チームメイトから、サポーターから、信頼を勝ち取ることができたのだった。
ピッチ外で自分らしく振る舞えることも、成功のカギとなる。この点については、ブラジルの同胞の存在が大きかったに違いない。FC東京にはかつて同じチームでプレーしたケリーがいて、U-20ブラジル代表でともに戦ったジャーンがいた。
同胞の存在は「もちろん、すごく大きかった」と言う。「それから、日本人のスタッフたちもすごく親切だった。
その国のプレースタイルに適応することも、助っ人外国人の必要条件である。ここで大切なのは、所属するチームのスタイルを理解するだけでなく、進化を遂げていくことである。サッカーの変化に応じてプレースタイルをアップデートさせるべきなのは、外国人選手も例外ではない。
アマラオの後継者としてやってきたルーカスは、ストライカーとしての才能を磨きながら、プレーの幅を広げていく。前線からのチェイシングやプレスバックなどで、ディフェンスでの貢献度を高めていくのである。
2008年からはガンバ大阪に在籍し、AFCチャンピオンズリーグ優勝や天皇杯連覇を成し遂げている。2009年の天皇杯では準決勝と決勝を含めて8ゴールを決め、大会得点王になった。
西野朗監督のもとでは、中盤でも起用された。生粋のストライカーとしてだけでなく、点が取れるトップ下やサイドハーフとしても存在感を示すようになった。これもまた、J1、J2合わせて291試合出場の実績を積み上げた理由である。
【34歳にして健在ぶりをアピール】
そう、ルーカスはJ2リーグでもプレーしている。
2011年にブラジルへ帰国した彼は、古巣のアトレティコ・パラナエンセでプレーを続けていた。しかし、5月に現役を引退している。
日本では古巣のFC東京が、J2リーグに降格していた。1シーズンでのJ1復帰を目指すチームでは、ブラジル人アタッカーのペドロ・ジュニオールが6月に契約解除となった。新たなアタッカーを求めるチームから、ルーカスにオファーが届いた。
「FC東京じゃなかったら、オファーは受けなかった」と言う。「もう一度チームの役に立てると言ってもらったのが、とてもうれしかったんだ」と、笑みを浮かべながら話していた。
シーズン途中の加入ながら、ルーカスは23試合出場で9ゴールを叩き出した。チームでもっとも大きな「49」の背番号を着け、攻撃を力強く牽引した。
チームはJ2優勝でのJ1復帰を果たし、天皇杯でも決勝へ勝ち上がる。ルーカスは京都サンガとの決勝戦で2ゴールをマークし、クラブ初の天皇杯獲得に貢献したのだった。
2012年のJ1では10ゴールをマークし、翌2013年は11ゴールを記録した。34歳にして健在ぶりをアピールしていたが、「まだしっかりとプレーできる状態で引退したかった」と、2013年限りでスパイクを脱いだ。
FC東京復帰後の2011年途中から2013年までは、1試合も欠かすことなくピッチに立ち続けた。ゴールという結果を残しながら、ディフェンスでもハードワークをいとわず、チームへの高い献身性を示し続けたその姿勢は「助っ人外国人の模範」と言っていいだろう。
ルーカスは日本語に堪能だった。こちらの質問は、かなりの確度で理解していた。正確を期すために通訳を介して受け答えすることもあったが、ポルトガル語を話しながら「ええっと......」と日本語で言葉をつないだりもした。微笑ましいやり取りが、自身の周囲の空気を和らげ、笑顔の輪を広げていった。
黎明期からFC東京を知る人なら、クラブを代表する助っ人として、まずアマラオの名前を挙げるに違いない。近年では7シーズンにわたって在籍したディエゴ・オリベイラが、クラブの歴史にとって重要な選手と位置づけられるだろう。
だが、ルーカスも、忘れてはならない。バリエーション豊富なゴールとも、あの人懐っこい笑顔も。

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