東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第26回)
番外編:横山暁之(ジェフユナイテッド千葉)インタビュー/中編

Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫る同連載、前回に続いて今回も現在ジェフユナイテッド千葉でプレーする横山暁之のインタビューをお送りする――。

【Jリーグ連載】藤枝MYFC入りした横山暁之の転機「リスクな...の画像はこちら >>
――大学卒業後に再びケガ。東京に帰ってこようとは思わなかったのでしょうか。

横山暁之(以下、横山)思わなかったですね。東京に帰ってきても、結局ピッチレベルでリハビリするとなった時に、大学の練習にまぜてもらわなければいけなかったので、大学に戻りました。(北陸大学と提携関係にある)FC北陸という社会人チームが、小学生と中学生のチームを持っていたので、そこで指導者としてバイトをしながら、あとはスポーツジムでもバイトを掛け持ちしていました。

――無所属の時は、どんなトレーニングをしていたのですか。

横山 大学に業務委託みたいな形で来ていたトレーナーの方のところでトレーニングはしていましたけど、特別なことはやっていないです。

――ボールを蹴ったり、ゲームをしたりは?

横山 大学のサッカー部にまぜてもらっていたので、日々のトレーニングはできてはいました。

――そんな状況で不安にはならなかったのですか。

横山 いや、もちろん不安になりましたよ。周りの選手が活躍したりしているのを見て、「自分は何をやってんだろう」みたいに思う時はありましたね。

――だからといって、プロになるという気持ちは揺らがなかった。

横山 そうですね、はい。

――2度目のケガから復帰したあとは、またどこかのクラブで練習参加ができたんですか。

横山 そこは大学の監督の力があったのかもしれません(苦笑)。と言っても、練習参加したのは、藤枝MYFC(当時J3)の他にもうひとつくらいでしたけど。

――そこで初めて藤枝の練習に参加したんですね。

横山 当時、藤枝の指揮を執っていた石﨑(信弘)監督が僕のことを気にかけてくれて。11月くらいからは、ずっと藤枝の練習に参加させてもらっていました。もうシーズンも残り1カ月くらいでしたけど。

――その結果、大学卒業から1年遅れの藤枝入りが決まった、と。

横山 ただ、結果的にはフリーターの時より、藤枝に入ってからのほうがしんどかったですね、精神的に。それはやっぱり、まったく試合に絡めなかったから。当時の藤枝はベテランの方が多くて、その選手たちの要求に僕らが応えられなかったので、チームの雰囲気があまりよくなくて......。

なかなかサッカーを楽しめなかった時期ではありました。

――当時の藤枝は、Jリーグでの実績がある選手も多かった。

横山 そうですね。そのなかで、僕は谷澤達也さんとかにはすごくお世話になったし、そういういい出会いもあったので、今思えばすごくよかったなと思うんですけど、当時は結構追い込まれていました。試合に出られない日々はしんどかったです。

――そのしんどさは、将来への不安ですか。

横山 先が見えない不安というよりも、「オレ、今サッカーやっていて楽しくないな」みたいな感じです。ここまでフリーターとか、無所属になってもサッカーを続けてきたのは、やっぱりサッカーが楽しいからだったのに、その時はまったく楽しくなかった。「もうやめようかな」と思うくらいのしんどさでした。

――藤枝在籍2年目のシーズン途中で須藤大輔監督が就任し、横山選手の状況は一変しました。

横山 もうそれがすべてです。僕は2年契約だったので、監督が代わっていなかったら、僕はあの年で終わっていましたね。

――須藤監督とは感覚が合っていた、ということですか。

横山 それは、須藤さんに聞いてください(笑)。僕はプレースタイルというより、メンタリティ(を買われたの)かなと思っています。須藤さんはモチベーターでもあるし、前へのチャレンジをすごく好むタイプ。僕もリスクを背負って攻撃するのが好きだったし、当時、あのタイミングで監督が代わって、もうやるしかなかった僕にとっては、リスクなんてそもそもなかったし。今思うと、そういう僕が表現するものと須藤さんとがフィットしたのかもしれないですね。

――監督交代に至るほどチームが危機的状況にあるなかで、試合に出るプレッシャーはありませんでしたか。

横山 まったくなかったです。「ここで自分の人生を変えるしかない!」っていう気持ちが強かったです。

――その結果、契約も更新できた。

横山 そうです。須藤さんが監督になってからの半年間は、まだまだ体が追いついていなかったのでケガも多くて、半年で6試合くらいしか出られなかったんですけど、須藤さんも僕を評価してくれて、(契約を)もう1年プラスしてもらえた。

その1年で(J2に)昇格できました。

(つづく)

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