【魔物が棲む全日本の緊張感】

 12月18日、東京。全日本フィギュアスケート選手権、前日練習を終えた男子シングルの選手たちの顔つきは、一様に明るかった。ミラノ・コルティナ五輪出場をかけた大会だけにプレッシャーがかかるが、その現実と折り合いをつけているように見えた。

「自分の調子がよかったのもありますけど、周りの選手たちもバンバン4回転とかを跳んでいたので楽しいなって思いました。全日本に向け、みんな仕上げてきたはず。おかげで自分も楽しめているし、いい感じで来られていると思いました」

 三浦佳生は笑顔で言って、ひりついた空気も楽しんでいるようだった。

フィギュアスケート男子のミラノ・コルティナ五輪代表「3人目」...の画像はこちら >>

 もっとも、不安や緊張はじわじわと刻々と襲いかかる。とくに五輪出場を巡る3つの枠を争う選手たちが、本番で重圧を感じないわけがない。全日本という最高の舞台、長いスケート人生の積み重ねがほんの数分、もしくはほんの数秒で一瞬にして失われる。その恐怖と背中合わせなのだ。

「魔物が棲む」。なかでも全日本は、特別な作用が生じる空間と言える。五輪シーズンは「優勝者は五輪出場」という特典もあり、波乱が起きる空気が醸成される。

「僕以上に、みなさんは五輪出場がかかって緊張すると思います。僕も同じ緊張を味わって、4年後に選ばれるように」

 ジュニアの中田璃士は明るい声で言った。

年齢制限で五輪出場がないからこそ、少年は緊張の予兆を敏感に感じ取っていたーー。

【三浦佳生が「3枠目」へ好スタート】

 12月19日、ショートプログラム(SP)。大勢の観客が入った会場は熱気に包まれていた。さまざまな思いが交錯する。その情念が、否応なしに緊張感を高める。

 今回は、日本人男子シングルの五輪出場枠3人を争う戦いだ。GPファイナルでそれぞれ2位、3位の鍵山、佐藤は当確に近いだろう。とくに昨年の全日本王者でもある鍵山は世界ランキング2位で実績、実力とよほどのことがない限り、選考外はない。

 佐藤も今シーズンのGPシリーズの演技は目覚ましく、本大会でもメダルが期待できるレベルまで来ているだけに、異変がなければ当確だ。

 つまり実質的に、3人目を争う大会だ。ひとつの席を巡る争奪戦だが、スケーターは自分に集中するしかない。敵とコンタクトし、倒す競技ではない以上、敵愾(がい)心や戦闘意欲は滑りに乱れを生じさせ、失敗の連鎖すら生むからだ。

 その点、トップに立ったのは三浦だった。

冒頭の4回転サルコウ+3回転トーループを着氷すると、滑りに確信が満ちていた。トリプルアクセル、4回転トーループとすべてのジャンプを成功。95.65点で、鍵山に続く2位につけた。

「本当に怖かったです」

 三浦はそう本音を明かしている。

「会場に向かう車のなかから会場に着いて、だんだん怖くなってきた。例年の全日本よりも背負うものが大きな感じがして、いつもなら試合にすっと入れるはずが、なかなか集中できませんでした。でも、『自分に集中しろ、信じるだけだ』って言い聞かせて。本当に演技開始2秒前、氷に膝をつく直前に『できる』っていう自信に変わったのがよかったです」

 三浦はもともと疾走感では世界でも有数のスケーターで、激情がたゆたう演技が持ち味だった。しかし、その爆発力は諸刃の剣で、波の激しさを生み出した。メンタル面の安定が欠かせなかった。

「今シーズンは、スケートの調子はいいのになんでできないのかって悩んで、でも諦めずに過去一番追い込んで、今日は自分を信じきれました。練習リンクでは、周りの選手が自分の練習を優先してくれて......すべて含めて感謝の気持ちがこみ上げてきましたね。

でも、まだフリーがあるので、喜びは1時間で忘れて。もう一度いい演技をして、感謝すべき人に伝えられるように」

 三浦は決意を固めていた。

【引退って言ってないのに......】

 一方、ベテランの領域に入った友野一希が三浦を追う。

 友野は会場の空気を味方にしていた。それは彼が長く生きてきたスケーターとしての歴史のおかげか。前日取材で、「スケート人生を、生きざまを刻み込めるように」と話していたが、まさにそんな2分40秒だった。

 始まってすぐに巻き起こった手拍子のなか、4回転トーループ+3回転トーループを降りる。4回転サルコウは耐え、スピンの出口でまさかの転倒も、うっとりするようなトリプルアクセルを成功させた。

 演技直後、友野は苦笑いを浮かべたが、万雷の拍手と振られるバナーに励まされたように、晴れやかな面持ちになった。88.05点で、佐藤を上回る4位スタートだ。

「今日の会場の雰囲気は、演技前に泣きそうになるくらいでした。こんなに温かい応援があるのかって。

もう話すだけで泣けてくるんですけど......」

 演技後、友野が話す声はかすかに震えていた。感極まるような演技は、彼が氷上で生きてきた証だ。

「92点くらいいきたかったんですけど、スピンの取りこぼし、転倒が響きましたね。スピンは(ジャッジが)厳しいって聞いて、めちゃくちゃ丁寧にクラスターも踏んで、自分だけは大丈夫と思っていたんですけど(苦笑)。フリーはたくさん練習してきましたし、大丈夫だと思います」

 決然と語った友野は、"恩返し"が自分の道も切り拓くことを信じていた。

「全日本で『引退』って言っていないのに、チーム勢ぞろいで。引退させられるのかなって(笑)。それだけ応援してもらえているのは感じていますね。幸せを噛み締められるくらいには滑れているので。どんな結果でも幸せと思えるはずで、最後に『この人、スケートが好きなんだな』っていうのがみんなに伝わるように」

 それはひとつの誓いだった。

 3人目の座を誰が奪うか。ほぼ一騎打ちの様相を呈してきたが、全日本は最後まで予断を許さない。

「すべてを出しきっても難しいスタートになってしまいましたが、いろいろ考えずに練習してきたことを出しきりたいと思います」

 82.21点で6位の山本草太も、フリーで一縷の希望にかける。何が起こってもおかしくはない。

 12月20日、フリー最終グループは夜8時過ぎからの滑走になる。

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