名スケーターたちのラストダンス 後編

 12月21日、東京。ふたりの女子フィギュアスケーターが現役引退を表明し、国内最高峰の全日本選手権で"ラストダンス"に挑んでいる。

ふたりとも、10回以上も全日本に出場。それだけでどんなスケーターか、十分に伝わるだろう。万感の思いで滑ったリンクは、祝祭のように輝いていたーー。

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【滑る前から泣きそうでした......】

 樋口新葉(24歳/ノエビア)は、日本を代表するフィギュアスケーターである。2018年には世界選手権で銀メダルを獲得し、2022年の北京五輪でも団体で銀メダリストになっている。全日本では11度にわたって出場し、6度も表彰台に立ってきた。

「パワフル」。彼女の演技のスタイルは、そう評されることが多い。北京五輪シーズンのフリーのプログラム『ライオンキング』はひとつの代名詞と言えるだろう。闊達で、野生のエネルギーに満ちたような曲で、彼女のポテンシャルの高さは引き出されていた。

 しかしパワーを出すには、スケートと日々、実直に向き合って、あきらめない姿勢が求められる。その要求に応え続けるのは簡単ではない。

 たとえば2022年、樋口は右すねの外側を疲労骨折し、1シーズン休養したことがあった。

現役を続ける決断は、覚悟が必要だっただろう。なぜなら、長くリンクから離れると競技のリズムはほぼ失われていて、力を取り戻すのは並大抵ではない。どうにか挽回しても、体はきしみ始める。今シーズンも、彼女はずっと右足甲のケガに苦悶してきた。

 そんな状況で、ハッピー全開の演技ができるからこそ、彼女は樋口新葉なのだ。最後の全日本選手権も、まさに面目躍如だった。

「滑り始める前、先生に『20年間、スケート人生に関わってくれた人たちに感謝の気持ちを持って』と言われて、滑る前から泣きそうでした。でも泣いちゃまずいので、自分の演技をしようって切り替えて。滑っている間、きつかった時にその言葉を思い出すことで力に変わったなって思います」

 樋口はそう振り返ったが、スケート人生を刻み込むような滑りだった。

 フリーの演技では、冒頭のダブルアクセル+3回転トーループ、3回転ルッツを成功。3回転ループ、3回転サルコウ、そして3回転ルッツ+ダブルアクセル+2回転トーループの3連続ジャンプも着氷した。3回転サルコウ+2回転トーループも降り、最後のループだけは回転不足も、滑りきった。

ステップからコレオシークエンスで手拍子がどんどん大きくなり、最後のスピンでは彼女自身が世界を回す軸のようだった。

フィギュアスケートはないとダメなもの】

「ショートもフリーも、今までで一番よかったと思う演技ができました。細かいミスは置いておいて、楽しく滑れました。やっちゃだめだと思いながら、最後だからいいかって(演技後の氷上で)大の字になりました」

 樋口はあけすけに言った。飾らない言動も、彼女らしい。その奔放さも力の源だろう。

「自分の名前がコールされた時、今までで一番大きな声が聞こえてきて。本当に頑張ってきてよかったなって思いました。ダメになりそうな時、ここで終わりたくないって気持ちで続けてきて。あきらめない気持ちは、ずっと強く持っていました。足の痛みが消えないなか、先生に『あきらめずに頑張ろう』って言ってもらえて、1カ月、それで頑張れました。今は感謝の気持ちでいっぱいです」

 取材陣に囲まれながら、樋口はさまざまな感情を持て余しながら、幸せそうに口角を上げた。

こうして幸せを噛み締めながら、競技者としてリンクを去ることができるスケーターがどれだけいるだろうか。敗れざる者だった彼女は、最後に殊勲を上げていた。

「今シーズンも、思い描いていた形とは違うと思うんです。でも、全日本で納得いく演技できたこと、最後にこうやって終わることができたのは、なかなかないこと。演技に関しては納得しているし、あれ以上はできなかったと思います。フリーはずっと90点台だったのが、今回は130点を超えて。まだいけるんじゃないかって感じで終われたのがよかったですね」

 樋口は、ひたすらスケートを生きてきた。ラストダンス、リンクで万雷の拍手を浴びる彼女は、その尊さを肌で感じたはずだ。

「自分は吹っ切れた時に一番力が出せるなって思っています。今日も、すごく吹っ切れて滑れていました。嫌な力が抜けてできたと思います」

 樋口は自然と笑顔を輝かせて言った。その境地に入った時、彼女はリンクでエネルギッシュに体を弾ませ、観客を魅了した。

生命力に満ちた滑りは、スケート賛歌だ。

 最後、彼女は「スケートに何を与えられたか?」という問いに、こう答えていた。

「いっぱいありすぎてまとまらないんですけど......こんなにひとつのことを長く続けることは、なかなかないと思うんです。だから、すごく大事で、ないとダメなものです」

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