錦織圭という奇跡【第8回】
細木秀樹の視点(3)

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◆細木秀樹の視点(1)>>「うそでしょ!? とんでもない子が来た!」

◆細木秀樹の視点(2)>>「この金の卵を絶対に潰してはいけない」

「圭はコートの外だと、本当にいい意味で、オーラがないんです」

 昨日のことを語るような柔らかい口調で、細木秀樹(ほそぎ・ひでき)コーチが言った。

 世界最高4位。

ツアー12勝。キャリア通算勝利数は450勝超え──。

 これまでの日本人には想像もつかなかった数々の大記録を、錦織圭はその軌跡に刻んできた。ただ、彼を5歳から13歳まで指導した島根県松江市「グリーンテニススクール」のコーチのなかでは、錦織圭は今も、鬼ごっこで走り回っていたわんぱく坊主の姿をしている。

錦織圭の突然の申し出に地元コーチは冷や汗 「圭にケガをさせた...の画像はこちら >>
「だから、仲間内でも人気がありましたね。たいがいの子はちょっと強くなると、みんなが近寄りがたいというか、一歩踏み込んで突っ込むことができない雰囲気を出してしまう。でも圭は、本当にそういうところがまったくなくて。

 全国大会で優勝しても、こっちに戻ってくると、素朴でオーラのない少年がそこにいる。コートの外では、単なるガキンチョ。みんなと鬼ごっこしたり、テニスボールでリフティングしたりと、ワイワイ走り回っていました」

 ところが、そんなぽわーんとした少年が、コートに入ると豹変する。

「ふだんの練習でも、コートに入ると急に人が変わったように、雰囲気もピリッとする。『あ、今、スイッチが入ったね』というのをほかの子たちも感じるので、みんなも集中するし、そうしなくてはいけない空気感になるんです。

ほかの保護者さんたちからも、『圭くんのオン・オフがしっかりしてるけん、うちの子もだらけなくなった』と言われました。

 圭は圧倒的に強くなったし、僕も個別に練習試合するなど、ちょっと別格扱いしていたところはあったと思います。でもそれによって、ほかの子が妬んだりすることはなかった。圭が特別だということはみんな認めていたし、応援していた感じもありましたから」

 地元の人たちだけが知る......同時に「世界のケイ」となった今も本質的には何も変わらぬ、錦織圭の素の姿。

 ただ、これら細木コーチがつづる圭少年の表象は、松岡修造氏らが語る「とてもシャイで自己表現下手だった」という10代前半の錦織像とは、印象を異にする。

【『俺を見ろ!』タイプではない】

 そのことを尋ねると、細木コーチは次のように読み解いた。

「ここでの圭は、みんな小さい頃からずっと一緒にいる間柄なので、素の自分を出せる。でも、『修造チャレンジ』などだと、ちょっと雰囲気が違うじゃないですか。全国からトップジュニアが集まる場所なので、特に最初はどうしても緊張感があると思うんです。

 圭はそれまで、そういう場の経験がなかった。本当に上から押さえられることも、閉じ込められることもない環境で育った田舎の子なので、急に全国合宿に呼ばれ、みんなが背筋を伸ばして座ってみたいになった時に、自分が出せなくなったんだと思います。

 あと、初めてここに来た時もそうだったんですが、圭は何をするにしても、先頭に立って『俺を見ろ!』というタイプではないんです。必ず列の2番目や3番目に並び、ほかの人がやっているのを観察してから、上手にやる。

状況的に圭が一番前にいるような時でも、気がつくとスッとうしろに下がって、2~3番目にポジションを取るんです。

 そういうところがたぶん、修造さんからしてみたら積極性がないとか、自己アピールできないように映ったんでしょうね」

 地元でのわんぱく坊主と、全国合宿等でのシャイな少年──。乖離(かいり)していた複数の像が、ひとつに結ばれていくようだった。

   ※   ※   ※   ※   ※

 13歳で地元を離れ、アメリカのIMGアカデミーに渡った錦織だが、ジュニア時代は帰省するたび、細木コーチの下に「練習したいので、コートを使わせてもらえますか?」と連絡が来たという。

 ただ、プロになり、世界での地位が上がり、日本での知名度も爆発的に上昇するにつれ、自然と地元から足は遠のいた。当然のこととはいえ、細木コーチらもどこかでそれを、寂しく感じてもいたのだろう。

 そんな郷里の英雄に、ここ数年で変化が見られ始めたという。

【「ジュニアを見ましょうか?」】

「20代半ばの頃は、日本にいても、こっちにはほとんど帰ってこなかったんです。当然、自分の時間やツアーで勝つことが最優先だし、せっかくのオフだから、あえて顔を出す必要もないなと僕も思っていました。

 それが、結婚して、子どもができた頃からですかね。すごく変わったというか、『人々のために、自分に何ができるだろう?』と考えたうえでの言葉や行動が、だんだん見えてきたんです。

 特に僕がすごく驚いたのは、3年前。圭が股関節の手術をしてリハビリしていた頃に突然、連絡が来て。

『僕、何日から何日まで帰るんですが、コーチ、何してますか?』って聞いてきたんです。

『いや、別に普通にレッスンしてるぞ』って話したら、『僕に何かできることないですか?』って言ってきたんですよ。もちろん、彼が手術したばかりということは知っていたので、『できることって、安静だろ』って言ったら、『ジュニアのレッスンとか見ましょうか』って。

『いや、圭も大変だろうし、うちもお金を払うほど余裕もないから』と言っても、無料で全然いいからと。いやいや、ケガとかさせたら、俺もこのスクールも吹っ飛んじゃうからやめてよと言っても、『大丈夫です、僕、立ってて、言葉をかけるだけですから』って。ただ、あくまでプライベートで自分の時間を使っているので、写真を撮ったりSNSに上げたりは一切なしでという約束で、本当に来てくれることになったんですよ」

 錦織の申し出を飛び上がるほどうれしく思いながらも、焦る事情も十分に理解できる。万が一ケガでもさせたら一大事だし、今のご時世、情報統制も容易ではない。実際、錦織の名は伏せていても「特別ゲストが来ます」「クルマの混雑が予想されます」など通達すると、察する人は出てきた。

 そして、当日──。クラブハウスから屋外コートへ続く階段を錦織が降りていくと、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。同時に、はしゃぐばかりでは時間がもったいないとばかりに、子どもたちは我先にとボールを打ち始める。

 錦織は、そんな子どもたちの様子をうしろで眺め、時おりアドバイスも与えていった。

だが、やがて......。

【オーラのない圭が戻ってきた】

「圭が、『コーチ、僕、子どもたちと打ちますよ』って言い始めるんですよ」

 今にも冷や汗を流しそうな表情で、細木コーチが回想する。

「いや、それ、マジでやめてねって言ったんですが、『大丈夫です、一歩も動きませんから』って。子どもたちはやりたがっているなかで、あまりにダメだと言ったら、僕が完全に悪者じゃないですか。

 だから僕も、子どもたちに『いいか! 必ずここにボールを出すんだぞ! 錦織選手を絶対に一歩も動かしちゃダメだぞ! 今こそ練習の成果を見せるんだ!』って言いましてね。

 結果的には、みんなが圭と2~3球ラリーできて......、本当にすごくいい思い出、いい経験になったと思います。さらにレッスンの第一部が終わった時に、圭が『コーチ、みんなと写真撮りませんか?』と言ってくれて。

 いや、それもありがたいんですが、『圭、お前、自分が来た痕跡は残せないから、サインも写真もダメだって言ってたよね?』って。僕は参加者たちに『写真もサインもNGだから』と厳しく念を押していたので、『また俺が悪者みたいじゃん』と思ったりもして......」

 言葉こそ「困ったやつだ」と言いつつも、声のトーンとこぼれる笑顔に、幸福感があふれ出る。

「でもね、そんな圭を見ながら、すごくいいなって。やはり20代の頃はピリピリしていたし、プレッシャーを感じているように見えるところはありましたよね。

 でもこの時は、そういう感じがまったくなくて。結婚や子どもができたことが大きかったのかな。

なんか、いいお父さんしてるな、とも感じたし。小さい時の、みんなとワイワイしてたあの感じ......オーラのない圭が戻ってきたなって思いました。

 一時期は、やっぱり『錦織圭』というオーラをまとったトッププレーヤーという感じで、距離感もあったんです。でも今は、あの子どもの頃のふわっとした空気が感じられて。もちろんトッププレーヤーの威厳もあるんですが、壁がなくなった状態で出てきたなっていう感じです。それが、すごくいいなと思って。すごく、いい大人になったなぁって思います」

 そう語る細木コーチの表情も、「すごくいい」ものだった。

【あの頃の圭が帰ってきたサイン】

 レッスンの合間の休憩時間も残り少なくなり、細木コーチへの取材も終わりが近づく。最後に写真を撮らせてもらうため、インドアコートに向かった。

 その入り口のアルミドアに、大きく「錦織圭」のサインが入っている。聞けば3年前の「お忍びレッスン」の時に、錦織が書き残したものだという。

 ふと、既視感に似た光景が思い出された。

 以前に......もう15年以上前になる。取材で錦織圭の実家を訪れた時に見た、壁や扉に貼られた「オレの部屋!」などの走り書き。

 13歳で家を離れて渡米した錦織は、夏休み等で帰省するたびに、紙に筆ペン等で自作の詩やサインを書き、それを家中に貼っていったという。

「今、ここに圭は住んでいないけれど、それでも『ここはオレの家だ』って主張したいのかもね。自分の痕跡を残すように、こうやって貼っていくんだ」

 そう言い優しく広げた父・清志さんの表情も、懐かしく思い出された。

 グリーンテニススクールのスライドドアに書かれたサインは、額に入れるでもフィルム等で保護するでもなく、雨風にさらされ、ところどころ消えかけている。その自然なたたずまいに、ふるさとの温かみが灯る。

 再び、故郷に残した走り書き──。それは、「あの頃の錦織圭」が帰ってきたサインのようだった。

(つづく)

◆次回・奈良くるみの視点(1)>>


【profile】
細木秀樹(ほそぎ・ひでき)
1974年11月5日生まれ。松江第一高校 (現・開星高校)出身。広島県のRCCルーデンステニスクラブにて2年間の実績を積んだあと、現在に至るまで島根県松江市のグリーンテニススクールにてコーチとして活動中。錦織圭を5歳から指導し、全国小学生テニス大会、全日本ジュニアテニス選手権、全国選抜テニスなど、さまざまな全国大会で優勝に導く。実子の細木咲良も松江市開催の2016年インターハイ優勝者で現在はプロとして活動。今も多くの教え子たちがジュニア大会や中・高校の全国大会等で活躍する。

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