【衝撃を与えた競輪祭】
「下剋上」「番狂わせ」「前代未聞」
そんな見出しがメディアに躍り、競輪界を大いににぎわせた11月末のGⅠ「競輪祭」。その主役が、GⅠ決勝初出場にして初優勝を成し遂げた、阿部拓真(宮城・107期)だ。本人も「自分はただの選手で、GⅠを獲れるような実績も実力もない選手」と語るとおり、この競輪祭の選考順位は108人中76位で、GⅠ準決勝すら初めてのこと。
それは北日本の選手たちや練習仲間も同じ思いだったようで、「数々のGⅠを見てきた新田さん(新田祐大/福島・90期)が、『こんなに大爆笑した優勝は初めて見た』と言ってくれました」と、レース後の胴上げでは驚きと笑いの渦に包まれた。
「(グランプリに出場する選手たちは)みんな強くて自分はその選手たちに比べて本当に弱いので、レースになるか正直不安があります」と謙遜しつつも、「出るからには何が起きるかわからないので、チャンスをもらった以上は応援してくれている人たちのためにも、しっかりと1着を目指して戦いたい」と意欲も見せた。
これらの発言からもわかるとおり、彼は常に謙虚さを保ち、誠実な姿勢を崩さない。さらに「(自分は)いつもヘラヘラニヤニヤしている」と自嘲気味に語るが、笑顔を絶やさない阿部は誰からも慕われる"愛されキャラ"でもある。
取材中に何度も「自分は無名の選手」と語った阿部が、どのようにして"有名な選手"になったのだろうか。デビューから11年目。35歳にして初戴冠を手にしたのは単なる偶然だったのか。
阿部の過去を振り返ると、そこには転がり込んできたチャンスをしっかりとつかみ取れる、それなりの理由があったように思えてならない。
【ある日突然の決断】
阿部が競輪を知ったのは中学2年の時。新聞で仙台商業高校の自転車競技部の活躍を目にした時だった。
「仙台商業には当時、菅田さん(菅田壱道/宮城・91期)とか強い選手ばかりいましたし、自分の家から一番近い高校でもありました。
両親はそれまでもさまざまな選択肢を与えてくれていたが、そのなかでも阿部は自転車に興味を抱いた。ただ進学した仙台商業では、それまで取り組んできたサッカーを続けた。「がむしゃらにプレーをしていたことが評価された」と、1学年60人もいる部員のなかでAチームに所属してフォワードとして活躍していたが、次第に、「自転車をやりたいな」という気持ちが芽生えてきた。
そしてある日突然転機を迎える。それは天啓に近い感覚だったのかもしれない。
「急に決断できて、今日(サッカー部を)辞めて自転車をやろうと思った日がありました。仲間たちにも『俺、今日サッカー部辞めて自転車部に入るわ』と言って、その日に『辞めます』と伝えました。サッカー部でも一生懸命にやっていたので、周りのみんなも驚いていました」
顧問の先生も寝耳に水の状態。それまでは「『辞めたい』と言った部員はすんなり辞めさせていた」というが、阿部の場合は違った。「ちょっと待て、考え直せ」と繰り返し言われ、最終的には自宅まで来て、両親に「辞めさせないでくれ」と懇願してくれたという。
しかし阿部の意志は固かった。
「高校時代のタイトルとか成績は何もないです。インターハイも落車して終わりました。決勝とかではなくて、敗者復活戦での落車でした。全然結果も出せず、弱かったです」
そうしてもがき苦しんでいたなかで就職活動の時期になった。自分はどうするべきなのか――。
「大学3年の終わり、就活の時期になった時に、自分が社会人として仕事をするイメージが湧かなくて、やりたいことが競輪以外にないなと思いました。競輪選手一本でいこうと覚悟を決めてからは就活を辞めて、練習に打ち込みました」
自分の生きる道を定めたこともあり、大学4年になってようやく結果がついてきた。全日本大学対抗自転車競技大会ではケイリンとチームスプリントで2位となり、全国都道府県対抗自転車競技大会ではケイリンで1位と初めて全国の頂点に立った。
「4年で結果を出せたのは、ロードでインカレを優勝した先輩とふたりで毎日何百キロと走ったりして基礎を固めていた、それまでの積み重ねのおかげです。できることをがむしゃらにはやっていました」
目に見える結果を出し始めた大学4年の時に、競輪学校(現日本競輪選手養成所)の試験に合格。翌年の1年間をそこでしっかりと学び、在校成績4位で卒業。晴れて競輪選手の道を歩み始めた。
【何事にも全力】
競輪選手になってからも決して華々しい活躍を見せてきたわけではない。タイトルを獲った競輪祭は8回目のGⅠ出場で、これまでは「GⅠに毎回出られるような選手になる」ことを目標に置いていた。ただそのための努力は惜しまなかった。
「『何事も全力』を心掛けていますし、そういう性格ですかね。やるからには全力でやりたいなという気持ちです。
そんなひたむきな姿勢は、「自分は弱い」という思いがベースになっている。
「S級になってからはとくに、やっぱりみんな強いなと思っていて、自分のできることを全部出さないと勝てないです。今考えて見ても自画自賛するようなレースは思い浮かびません。負けたらその人より努力をしていないと思うしかないので、努力するしかないと思っています」
この努力する意欲に加えて、積極果敢な走りも彼の持ち味だ。「レースを怖がらず、物怖じしないで向かっていく」ことを信条としているが、その姿勢が影響しているのか、2025年の1年間で落車した回数は6回。過去には1年で7回の落車を経験したこともある。
「今年に限らず、ずっと転び続けてきた11年間でした。幸いなことに転んでも次に向けてやっていこうという気持ちになれている。このまま終わりたくない、ここで心が折れている場合じゃない。単純に悔しいという思いが自分の原動力です。心を折らさずに一つひとつコツコツと練習を積み重ねてきたことがタイトル獲得につながったのかなと思います」
そしてたとえ周りの落車に巻き込まれたとしても、「人のせいにはせず、その位置にいた自分が悪かったりするので、とくに悲観せず前向きに捉えています」と、そこから得られるものを模索するなど、強靭と言える精神も持っている。
【競輪界のヒールでいい】
2026年はいよいよ男子競輪選手約2200人のトップ9「S級S班」として戦うことになる。その称号はプレッシャーなのか、それとも楽しみなのか聞いてみると......。
「半々です。これまではGⅠに毎回出られるような選手じゃなかったのに、2026年の1年間はそういう舞台が用意されているので、やっぱり楽しみはあります。ただS級S班として求められているものがあると思うので、プレッシャーがのしかかってくるかなと思います」
そして自分の実力を踏まえ、「弱くて叩かれるイメージもしている」と厳しい声にさらされることも想定済みだ。さらに潔いほどの強い覚悟もある。
「僕は正攻法で戦って勝てるタイプの選手ではなくて、持てるものを全部出して、どんなことをしてでも1着や確定板を目指すことにこだわり続けてきました。隙間・隙間を狙う"隙間産業"で戦ってきて、レースをかき回してしまうので、ファンの方のなかには自分のことをよく思わない人もいると思います。それこそ自分は"競輪界のヒール"だと思っています。それでも泥臭くやってきたから、今があると思います」
本人は"競輪界のヒール"と言うが、がむしゃらに努力してきた姿勢は"競輪界の鑑(かがみ)"と言えるものではないだろうか。そして阿部は力強くこう続けた。
「(S級)S班としてふさわしい選手になれるように努力していかないといけないと思っています」
阿部はこれまでもがむしゃらに努力をしてきた。
競輪は、努力がすべて報われるような、そんな甘い世界ではないが、競輪の神様や勝利の女神がいるとするならば、愚直に前向きに挑み続ける阿部の姿に微笑み、競輪祭では、彼の背中をそっと押してくれたのかもしれない。今後の阿部の姿勢が、どのような結果に結びついていくのか、今から楽しみで仕方ない。
【Profile】
阿部拓真(あべ・たくま)
1990年11月3日生まれ、宮城県出身。高校1年までサッカーに励み、その後自転車競技に転向。大学でも競技に没頭し、4年時には全日本大学対抗自転車競技大会でケイリンとチームスプリントで2位、全国都道府県対抗自転車競技大会でケイリン1位と結果を残す。2015年に競輪選手としてデビューし、2025年11月のGⅠ「競輪祭」で初優勝を果たした。



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