【接近戦を選択した理由】
2025年12月27日、中谷潤人(M.T)はサウジアラビア・リヤドのリングで、セバスチャン・エルナンデス(メキシコ)を判定で下した。ジャッジの採点は115-113が2名、残る1名が118-110であった。3-0ではあるが、2026年5月に"モンスター"井上尚弥との頂上対決を控える中谷にとって、克服すべき点がいくつも見える一戦となった。
オープニングベルから3ラウンドは、試合前のロスアンジェルス・キャンプで繰り返した低い体勢からのジャブ、左の打ち下ろし、顎へのアッパーカットという攻撃を披露し、中谷がペースを握る。
試合終了5時間後の中谷の述懐。
「立ち上がりはすごくよかったと思っています。けっこうパンチを当てて、スピードでも常に上回っていた印象です。エルナンデスは、あんまり手を出してこなかったんで、僕の距離で戦えている感覚がありました。
ただ、ファーストラウンドに左ストレートをきれいにヒットしたのに、エルナンデスがまったく表情を変えなかったので『長引くかな』とも感じました。淡々と、遠い距離からパンチをヒットすることを意識してやった記憶があります」
インターバルを終えると、次のラウンドが待ち遠しいかのように中谷は先に立ち上がり、ゴングを聞いた。
「まあ、回復もいい感じでできていたので。『やってやるぞ』という気持ちでした」
中谷はどんな試合においても、インターバル中、対角線にいる相手の表情や動きを観察する。だが、エルナンデスは相変わらずポーカーフェイスで、感情の変化を示さなかった。
第4ラウンド、中谷は相手との距離を詰める。接近戦で打ち勝つ策を選択したのだ。
ところが、それがエルナンデスにとってアドバンテージとなった。
「相手を前に出させることを考えていました。ジャブを放ちながらエルナンデスの動きを見て、出てきた局面で合わせようと。けっこうプレッシャーもあったので、足を使って手を出していくよりは、タイミングを計りながら距離を近づけて打ち勝とう、という思いがありましたね」
しかし、エルナンデスは予想以上に馬力を持った選手だった。
「タフでした。カウンターを合わせようとする僕に対して、プレッシャーを強めてきました。それでポイントが流れていったのかなと感じます」
【想定以上に頑丈だったエルナンデス】
中盤以降、中谷は右目が腫れ上がり、視界が塞がっていく。
「最初に頭が当たって、その後エルナンデスの右をもらいました。でも、こういう状況に陥っても落ち着いて戦えるように準備していたので、右目が多少見えなくなることにも対応できました。セコンドもエンスウェルを使って対処してくれました」
エンスウェルとは腫れ止めに使う金属製の器具で、皮膚に押し当てて腫れを外側に逃がし、かつ傷を冷やす効果がある。もっとも筆者は、中谷がこのようなダメージを受ける姿を見たことはなかった。
「なんて言うんだろうな......。自分が思っていたボクシングじゃないところ、クロスレンジ......エルナンデスの距離になって、相手を乗せすぎました。僕が巻き込まれていったのでしょうか。そのあたりが反省点です。
相手の距離で戦う時間を与え、エルナンデスを勢いづかせてしまいましたね。むこうは手数が増えました。やっぱりそこがよくなかったですし、しっかり切り替えて自分のボクシングができなかった点も課題です」
サブセコンドとして中谷を支える岡辺大介(48歳)は、エルナンデス戦の翌日に語った。
「相手のパンチ力よりも、体の強さに驚かされました。これが122パウンド(スーパーバンタム級)かと。今までの相手ならもう倒せている、止めている、という局面でもエルナンデスは前に出てきた。決して器用なタイプじゃないけれど、叩き上げのいい選手で、想定した以上に頑丈でした。根性もあったし、尻上がりに強くなっていきました。
潤人は途中で、『距離をとった戦いに修正したい』と考えたはずです。でも、展開を変えることはとても難しい。それで相手に付き合ってしまったように思います」
中谷も、ほぼ同じ内容の言葉を発した。
「『この距離はよくないな』という実感はありました。ですが、勢いのある選手だったので、一度彼の距離にさせてしまうと切り替える作業がなかなか厳しかったかな、と受け止めています。
相手のやりたいことをさせない。常に自分のボクシングをしなければいけない。そのなかで質を高めていく。試合中でもしっかり対応し、流れを変えていけるようなスマートさとフィジカルが必要だと学習しました」
【苦戦を糧に成長し、井上尚弥との試合へ】
中谷が15歳で渡米した頃からの付き合いである岡辺も、中谷本人も、この苦い12ラウンドは「必ず次につながる」と言い切る。今回の中谷vs.エルナンデス戦はノンタイトルマッチにもかかわらず、なぜか12ラウンドで行われた。スーパーバンタム級への転向第1戦が無敗の屈強な選手だったことで、中谷はさまざまな学びを得られた。
「潤人にとって、間違いなくプロになってから一番苦しかった試合です。でも、エルナンデスと戦えたことで次は絶対に向上する。もっともっとよくなると、僕は確信しています。具体的には、ロープを背負う時間がけっこうあったので、それを避けたいですね。一歩下がってのターン、サークリングに磨きをかけたい。また、今回はパンチのミスが多かったです。アッパーも、前に打つより上に打つような感じでした。
修正点はたくさんありますが、フロイド・メイウェザー・ジュニアやマニー・パッキャオなどの名チャンピオンだって、みんなこういう過程を経て本物になりましたよね。潤人は貪欲にボクシングに向かう男ですし、言われなくても徹底的に努力しますから、ポジショニングと自分の距離でファイトする練習を重ねていきますよ」
中谷は、同じ興行のメインイベントに出場した井上尚弥(大橋)vs.アラン・ピカソ(メキシコ)戦を目にして話した。
「控室のモニターで見ました。相手のパンチに合わせる井上選手のタイミングは絶妙です。そして、『鋭いショットを打つな』と思いました。
岡辺も言った。
「同じことを繰り返すと、井上選手には絶対当たらないですからね。パンチの軌道、スピード、タイミング、角度、いろんなものを変えていかないと。井上選手って、弱点もパターンもないんですよ。ガードの向こう側、真ん中、上、下、右、左と空いたところを目がけて打ってきます。
ですから潤人も、できる限り工夫しないと。ワンパターンになっちゃうと絶対にヒットできないでしょう。それらを伸ばして、スーパーバンタム級にフィットさせて5月を迎えたいです。ピカソとやるより、エルナンデスは潤人の今後にとってはるかにプラスになる相手でした」
中谷潤人は、122パウンド初戦で確かに苦戦した。が、彼はスーパーバンタム級にアジャストした状態でモンスター戦のリングに上がるだろう。5月の東京ドームでは、進化した姿を披露するに違いない。
試合当日まで、どれだけ血の汗を流すか――。女神の微笑みを得るべく、中谷は全力疾走を続ける。



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