世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第46回】ロイ・キーン(アイルランド)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。
第46回はアイルランドが生んだ「闘将」ロイ・キーンを紹介したい。ピッチ上では妥協を許さない「鬼教官」としてチームを鼓舞し、強烈なリーダーシップでマンチェスター・ユナイテッドの黄金期を牽引。弱気なプレーで逃げた同僚をピッチで罵倒するほど、勝利に貪欲な男だった。
※ ※ ※ ※ ※
「ルベン・アモリム監督はマンチェスター・ユナイテッドを率いる器ではない」「マヌケな身内にそそのかされ、近ごろの若い連中は何も成し遂げていないのに偉そうなことばかり言いやがる」ロイ・キーンの発言が、何かと物議を醸している。
アモリム監督だけではなく、コーチ、主力、若手まで徹底的にこき下ろした結果、古巣マンチェスター・Uではキーンに対する拒否反応が起きているという。
間抜けな身内とは、契約に関する強烈すぎる皮肉だ。バルセロナにローン移籍しているマーカス・ラッシュフォード、チェルシーに新天地を求めたアレハンドロ・ガルナチョ、異母兄弟が攻撃的なメッセージを掲げた(※)コビー・メイヌーは、いずれも契約交渉の進捗状況を身内が外部に漏らしている。
※オールド・トラッフォードの観客席で「コビー・メイヌーを解放しろ」というTシャツを着た異母兄弟が出場機会の減少に抗議を行なった。
引退しておよそ20年が過ぎたというのに、キーンは怒り続けている。マンチェスター・U批判はオーバーヒート気味で、多くの共感を得るにはほど遠い。頻繁に「Fワード」を用いるため、少なからぬ顰蹙(ひんしゅく)も買う。
【チームを壊すリスク承知で獲得】
ただ、キーンは現役当時から闘志を全面に押し出すタイプだった。深く鋭いスライディングタックルでボールを奪い取り、接近戦ではひじを使って相手を脅す。時には意識的に強く当てる。「フットボールは格闘技」を体現していた選手で、好意的に表現すれば「闘将」、ネガティブに言えば「乱暴者」。
代表的な例は、リーズのアルフ・インゲ・ハーランドを削ったシーンである。キーンはスパイクシューズのソールを見せながら、足を上から振り下ろした。VARが採用される今日なら一発レッド。長期間の出場停止も科せられる非道な行為だった。
「あいつをぶち壊してやるつもりだった」
キーンは反省の色すら見せず、出場停止処分がさらに延長されたとしても不思議ではなかった。ちなみにインゲ・ハーランドとは、現在マンチェスター・シティに所属するアーリング・ブラウト・ハーランドの実父である。
キーンがノッティンガム・フォレストからマンチェスター・Uにやって来た1993年、プレミアリーグ屈指の名門は過渡期を迎えていた。
長らくキャプテンを務めたブライアン・ロブソンが引退し、エリック・カントナはキャリアの晩年を迎え、デビッド・ベッカム、ライアン・ギグス、ポール・スコールズの世代はまだ一人前になっていなかった。
「ロイは激情型だ。チームを破壊するリスクはあった。しかし、若手に勝負根性を植えつけるには最適の人材だった」
のちにサー・アレックス・ファーガソンが振り返ったように、キーンの獲得には大きな不安もあったという。しかし、勝利のために全身全霊を捧げるこの男のプレーに感銘を受けたファーガソンは、自ら進んで移籍交渉にあたった。
リバプール、アーセナル、レアル・マドリード、バルセロナなど、欧州のビッグクラブがキーンに興味を示していた。そんな状況でキーンを口説き落とすには、名門クラブを率いる「一軍の将」としての熱意を示す必要があったのだろう。
結果として「赤い悪魔」に加わった闘将の存在が、20余年に及ぶマンチェスター・Uの栄華につながった。弱気なプレーを毛嫌いするキーンは、カントナが1997年に引退すると現場を完全に仕切った。
【テレビカメラの前で同僚を罵倒】
キーンはチームメイトにも容赦なかった。
たとえば、前に行くべきシーンでバックパスに逃げたイェスパー・ブロムクヴィストは、いきなりFワードを浴びせられた。右サイドで無駄なフェイクを繰り返したクリスティアーノ・ロナウドは、キーンに胸ぐらをつかまれて罵られた。
おそらく21世紀では通用しない。パワハラでやり玉に挙げられる。
ただ、激しすぎる性格が災いし、2002年の日韓ワールドカップには出場できなかった。ミック・マッカーシー監督(当時)と対立し、アイルランド代表から追放されている。
2005年10月のミドルズブラ戦。1-4で敗れた試合終了後にキーンは、同僚であるエドウィン・ファン・デル・サールとリオ・ファーディナンド、キーラン・リチャードソンをテレビカメラの前で罵倒した。
結果、彼らとの関係は急速に悪化する。敗北に異常なほどの拒否反応を示すキーンらしいエピソードとはいえ、内部批判はご法度であり、許される行為ではない。ただ、ファーガソンは「彼は単なる荒くれ者ではない」とフォローしている。
ファーガソンの言葉を借りるまでもなく、キーンは圧倒的な運動量と類(たぐ)い稀な状況判断で中盤を支え、効果的な縦パスで数多くのチャンスを創出した。絶妙のタイミングで前線に飛び出し、貴重なゴールも決めている。
また、選手交代に伴うプラン変更を即座に察知する天才的なセンスも持っていた。
「ロイは誰よりも素早く、正確にベンチの意図を理解した。
監督の負担軽減に努めていたキーンを、ファーガソンも悪くは言えないだろう。
【ファーガソンの一番のお気に入り】
しかし、腰の故障と加齢でパフォーマンスが落ちた2004年以降も、キーンはやり方を変えなかった。若手に檄(げき)を飛ばしても自分の身体がついていかず、言行不一致のキャプテンは次第に孤立していく。
「プレースタイルを変えたらどうだ? DFラインの前に位置し、ゲーム全体をコントロールすればいい」
監督のアドバイスにも耳を貸さず、キーンはかつての自分に執着した。2006年、セルティックに移籍するしか選択肢はなくなっていた。
強権的なリーダーが去ると、ダレン・フレッチャーやジョン・オシェイは生き生きしてきた。プレッシャーから解放されたのだろう。スコールズ、ファーディナンド、ギグス、ガリー・ネヴィルは、より強い覚悟でピッチに立つようになった。
結果として、キーンの退団は正解だった。2007-08シーズンのチャンピオンズリーグを制し、ファーガソンが「史上最強」と胸を張ったチームは、前キャプテンの移籍を契機に成長する。
1998-99シーズンのチャンピオンズリーグに優勝した時、キーンは累積警告でピッチに立てなかった。フットボール史上に残る「カンプ・ノウの奇跡(※)」を、観客席から見送るしかなかった。
※スペイン・バルセロナの本拠地「カンプ・ノウ」で行なわれたバイエルンとの決勝戦。0-1で後半アディショナルタイムに入って敗北寸前の状態から、テディ・シェリンガムとオーレ・グンナー・スールシャールがゴールを決めて大逆転勝利を演じた試合。
マンチェスター・Uの歴史を彩ったにもかかわらず、一切の妥協を許さない性格が災いし、キーンには「トラブルメイカー」のレッテルがついてまわる。
それでも、サー・ファーガソンはこの男を認めていた。
「歴代のベストイレブンを選ぶのなら、真っ先に『ロイ・キーン』を挙げる」
最高の誉め言葉じゃないか!

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