ジョルジーニョ ロングインタビュー/第2回(全4回)

 2012年に監督として鹿島アントラーズに帰還した元ブラジル代表のジョルジーニョ。リーグ戦では思うような結果を残せなかったが、Jリーグカップではタイトルを獲得した。

当時の記憶を辿りながら、クラブとそのサポーターへの愛を語った。

史上初めて監督、選手の双方でJリーグカップを制したジョルジー...の画像はこちら >>

――選手としてクラブを去る時に、必ず戻ってくると約束する選手は多いけど、実現するのはなかなか難しいものです。あなたが監督として鹿島アントラーズに戻った時の経緯を教えてください。 

「僕はその前年の2011年に、ブラジル全国選手権で監督として非常に良い結果を出したんだ。指揮していたフィゲイレンセは、2部から昇格したばかり。1年で2部に逆戻りしないことが目標のチームだったんだけど、最終的に20チーム中7位という、クラブ史でも最高の順位で終えることができた。

 それで鹿島から白羽の矢が立ったわけだ。鹿島ではJリーグ3連覇をはじめ、数々の成功をもたらしたオズワルド・オリヴェイラ監督が離れるタイミングだった。だから、連絡を受けた時には即答したよ。『それこそが、僕の求めていたことだ』と。

 その時、オズワルドともかなり話をしたんだ。彼は自分がいた5年間について、僕に多くを伝えてくれた。

それが鹿島だ。去る監督が、来る監督のために、正確な情報を伝えようとするんだ」

――当時のJリーグで、あなたの現役時代と異なる点はありましたか?

「日本でプレーする外国人が、あまりビッグネームではなくなっていた。一方で、日本人のレベルがすごく上がっていたね。技術が高くなり、経験も増していたから、外国人が大きな違いを見せるのは難しくなっていたと思う」

――監督として戦った2012年のJリーグは、厳しいスタートになりました。

「目標はもちろん優勝だったから、開幕からの5試合で1分4敗となってしまったのは、まさかのスタートだった。それまでの主力数人が去り、過渡期だったことに加えて、鹿島は経営的に厳しい時期だったから、大型契約はできないという事情もあった。だから若手を活かしたり、年長の選手にはフィジカルの準備をさせて臨んだんだけどね。

 6試合目に初勝利を挙げてからは調子を上げていったけど、安定したレベルを維持できず、11位で終わってしまった。だから、スルガ銀行チャンピオンシップとナビスコカップで優勝した時は、とても嬉しかったよ。苦しい時期を乗り越えたタイトルだ。選手たちには感謝しかない」

【鹿島アントラーズとの固い絆】

――あなたはナビスコカップで、選手と監督の双方で優勝した初めての人物になりました。

「とても大きな喜びだった。選手として優勝した時は、大会MVPにも選ばれたんだ。

副賞として、ものすごくたくさんのビスケットが家に届いて、寝室がビスケットでいっぱいになったよ(笑)。クラブのスタッフやご近所さん、友達など多くの人に、優勝の喜びと共にお裾分けをしたんだ。

 監督としての優勝も、サポーターが歓喜に沸く姿を見て感動した。Jリーグで苦しい時を一緒に戦ったサポーターが、スタンドで一斉に立ち上がって手を高くあげて、スタジアム中が腕だらけになったように見えた(笑)。あの光景は忘れられないね」

――あなたが選手だった1998年に入団した小笠原(満男)、本山(雅志)、中田(浩二)、曽ヶ端(準)という若い世代が、監督として戻ってきた時には、鹿島の主力に成長していました。

「その2年前に入ったヤナギ(柳沢敦)も含め、技術力が高く、大きなポテンシャルを感じさせる選手たちだった。さらに良かったのは、彼らが若い時期に勝利の味を知ったことだ。僕やクロサキ(黒崎久志)、ハセガワ(長谷川祥之)、アキタ(秋田豊)、オクノ(奥野僚右)、イシイ(石井正忠)、ホンダ(本田泰人)、ナラハシ(名良橋晃)らと一緒に、すばらしいレガシーを構築した。彼らも成長し、鹿島のために多くのことを成し遂げた。

 僕が監督として戻った時には、ナカタは負傷離脱していて、モトヤマもそれ以前のケガや病気によって、ベストコンディションを取り戻せていなかった。シーズンを通してほとんどの試合に出場したのは、オガサワラだ。優れた技術を備え、落ち着いて物事を観察するタイプの選手で、攻撃を組み立て、キャプテンも務めた。

僕は戦術面の問題の解決法など、彼と多くの議論を重ねた。

 その後、彼が引退し、指導者としてスタートした頃の仕事を見る機会があってね。ジーコがリオデジャネイロで毎年開催している、U-15日本ブラジル友好カップでのことだ。あの時、僕はすばらしい監督が生まれつつあることを確信したよ」

【日本のサッカーファンは世界のお手本】

――Jリーグでは11位に終わりましたが、シーズン中にチームの状態が上向き、最終的には契約更新のオファーを受けたと聞いています。

「鹿島は結果を要求しながらも、長期的に見てくれたんだ。強化部長は僕に『Jリーグで優勝できるレベルのチームを与えてやれなくて悪かった』と言ったよ。実際、戦力には限界があった。すばらしい試合をしたあとに、誰かがケガをすると、そのレベルが維持できなくなったりと。ただ、優勝争いの激しいJリーグで、安定したチームを作るのは、監督である僕の責任なんだ。僕が鹿島でやり残したのは、そういうところだ。

 サポーターの思いに心が震えたよ。300人以上が集まって、社長とのミーティングを求めたんだ。

そして実際、30人のサポーターが代表して副社長に直談判したそうだ。『あなたがやりたいことは、何でもやっていい。でも、ジョルジーニョを解雇してはいけない。彼はここで勝利をつかむんだから』と。僕を信じてくれたサポーターには、すごく感謝している。

 実際、鹿島は僕との2年間の契約更新を準備してくれたんだ。でも、僕は家族の問題で去ってしまった。悩み抜いたうえでの決断だったけど、正直、去ったことは今でも残念に思っている」

――あらためて、日本のサポーターへのメッセージはありますか?

「Jリーグが開幕してから、サポーターは熱烈にサッカーを愛し続けてくれている。歴史が深まるにつれ、みんなもより深くサッカーを理解し、チームに要求するようになっているかもしれないね。日本のサッカーファンは、"サッカーを理解して要求すること"と、"サッカーを愛してチームを盛り上げること"が両立できるというお手本なんだ。

 監督として日本にいた時、好ゲームの後、対戦相手のサポーターから何度、拍手喝采されたことか。ブラジルのスタジアムで監督が聞き慣れているのは、自分のチームのサポーターからでさえ「Burro! Burro!(バカ! バカ!)」だというのに(笑)。

 だから、そのスピリットを持ち続けてほしい。そういうJリーグであり続けてほしい。みんなには深く感謝しているよ。いつか、日本サッカーに戻ることが僕の夢だ」

(つづく)

編集部おすすめ