Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第27回】ジュニーニョ
川崎フロンターレ鹿島アントラーズ

 Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。

Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。

 第27回はジュニーニョを取り上げる。川崎フロンターレの歴史を語るうえで、このブラジル人ストライカーを脇に置くことはできない。自身の在籍時に3大タイトルを獲得することはできなかったが、「川崎の太陽」と呼ばれた男はフロンターレを強豪へ押し上げたのである。

   ※   ※   ※   ※   ※

【Jリーグ】フロンターレの華麗なパスワークは「川崎の太陽」ジ...の画像はこちら >>
 日本でプレーする外国人選手のなかには、来日後にプレースタイルが変わっていく選手がいる。それまでと違うポジションで起用されることで、触れられていなかった才能が目覚めるケースだ。

 ジュニーニョもそのひとりである。ブラジルでは攻撃的MFを任されることが多かったが、フロンターレでは3-5-2の2トップで起用された。これが、彼のキャリアを大きく転換させる。

 フロンターレにはアウグストや長橋昭弘などのクロッサーがいて、今野章や茂原岳人のようなラストパスの担い手もいた。中村憲剛も2003年に加入している。さらには我那覇和樹のような本格派のストライカーもいた。

持ち前のスピードをフルに引き出せるチームメイトが揃っていたのである。

 翌2004年にはマルクスがやってきた。アルビレックス新潟で2年連続J2リーグ得点王に輝いた同胞の加入で、前線はさらにパワーアップした。我那覇を加えたトライアングルは、J2では紛れもなく規格外だった。

 2004年に記録したシーズン104得点は、今なおJ2史上最多である。ジュニーニョは37得点、我那覇は22得点、マルクスは18得点を挙げている。3人で77得点(!)だ。25年以上を数えるJ2の歴史でも、最強のアタッカー陣と言っていいだろう。

【ジュニーニョがいる波及効果】

 ジュニーニョはJ2得点王に輝き、フロンターレはJ2優勝を果たし、J1昇格を果たした。助っ人外国人として、期待どおりの働きを見せたことになる。

 J1のステージに上がっても、ジュニーニョは結果を出し続けた。2005年から2010年まで、6シーズン連続でふたケタ得点をマークしている。チームはJ1に定着し、リーグ優勝を争う強豪となっていく。

 ここで彼は、助っ人外国人が担うべきもう「ひとつの役割」を果たした。チーム全体の底上げである。

 チームメイトには「早いタイミングでパスを出してくれるように要求した」と言う。彼のスピードを最大限に引き出すためにフロンターレのMF陣は、ある時はワンタッチで、ある時は2タッチで、ジュニーニョへ決定的なラストパスを供給しようとした。DFラインの背後だけでなく、足もとへつなぐ場面もあっただろう。守備側に的を絞らせないために、コンビネーションでの崩しも練っていく必要があった。

 そうした作業の積み重ねが、パスの出し手のプレーの引き出しを増やす。プレーの選択の幅が広がっていった。チームの攻撃のバリエーションも豊富になっていった。

 フロンターレと対戦する相手は、ジュニーニョを厳重に警戒してくる。彼にボールを入れさせないようにして、入れられてしまったらすぐに潰そうとしてくる。ひとりでは止めきれないから、ダブルチームで対応してくるチームもあった。

 言い方を変えれば、ジュニーニョの周囲にいる選手たちは、いつもより時間と空間を得る可能性が高い。それがほんの数秒でも、ほんの数10cmでも、アタッキングサードなら決定的な違いが生まれる。

 ジュニーニョをダミーに使ったりもしながら2列目や3列目からゴール前へ飛び出し、得点を決めることができれば、その選手は「次の試合でも」と考えるものだ。成功体験が自信をたくましくさせ、やがて「自分はできる」との確信へと変わっていく。フロンターレがリーグ屈指の得点力を誇るようになったのは、ジュニーニョがいる波及効果としてチーム全体が「個」を磨いていったから、と考えられる。

【Jリーグの発展にも寄与】

 ジュニーニョ自身、「J1では相手からのマークが厳しくなったので、ほかの選手へのアシストが増えた」と話した。そもそも1.5列目や2列目の選手として、チャンスクリエイトに長けた選手である。周りの選手を使うことに無理はなかった。

 他方、ジュニーニョと対峙するDFは、彼のスピードを封じることが求められる。スピードに乗られたら、止めるのは難しい。

 ならば、どうするか。自らのポジショニングを考えるだろう。

DFライン全体をどう設定し、どのように微修正するべきかを突き詰める。縦と横のスライドに神経を巡らせて、守備ブロックに小さなすき間も作らないようにしていくはずだ。

 フロンターレのDF陣は、ジュニーニョとマッチアップすることを日常とした。難易度の高い課題と日々、取り組んでいたのである。対応力が高まらないはずはない。

 ジュニーニョとともにJ1で戦うフロンターレは、攻撃力で勝っていくイメージを作り上げた。だからといって、守備力が物足りなかったわけではなかった。

 外国人選手の獲得には、およそふたつの意味がある。

 タイトル獲得や残留を実現するために、加入後すぐに結果を残す。得点力や守備力を上げるための「個」となる。そのうえで、「チーム全体の底上げ」を促すことができれば、その外国人選手はクラブにとって忘れ得ぬ存在となる。

 ジーコやギド・ブッフバルト、ドラガン・ストイコビッチやドゥンガといった選手たちは、所属したクラブに大きなレガシーを残した。

プロフェッショナリズムというものがJリーグに浸透してきた21世紀でも、レオ・シルバ、ディエゴ・オリヴェイラ、ルーカス、レアンドロ・ダミアン、アンドレス・イニエスタらが、日本人選手のロールモデルとなり、それぞれのポジションでキャリア形成の指針となった。

 ジュニーニョもそのひとりだろう。フロンターレの背番号10として歴史に名を残しつつ、彼はJリーグの発展にも寄与した選手である。

編集部おすすめ