連載第84回
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回はサウジアラビアで行なわれているAFC U23アジアカップで、後藤氏が思い出した29年前の出来事。
【大会には日本のサポーターの姿が】
サウジアラビアで開かれているAFC U23アジアカップ。圧倒的な強さでグループリーグを突破した日本だったが、準々決勝ではヨルダンの守備を前に大苦戦。GK荒木琉偉が2本のキックを止めて、なんとか準決勝へ。そして準決勝では韓国を1-0で下して決勝に駒を進めた。
荒木やDFの市原吏音、アンカーの小倉幸成らの守備陣は信頼できそうだが、攻撃面は佐藤龍之介と大関友翔に頼りっきり。クロスの精度とかクロスに対する飛びこみ方など、もう少し整理が必要だろう。まあ、このチームは2年後のロサンゼルス五輪を目指すチームであり、今回招集できなかった(しなかった)タレントもたくさんいるので長い目で見ていきたい。
ところで、日本は初戦のシリア戦から準決勝まですべて紅海に面した港町ジッダにある「キング・アブドゥッラー・スポーツシティ・ホール・スタジアム」で戦った。移動がなく、ピッチコンディションにも慣れることができたのはアドバンテージとなったはずだ。
もっとも、ホームアドバンテージを持っているはずの開催国サウジアラビアや、その隣国でやはりサッカーに巨額の投資をしているはずのカタールはともにグループリーグで敗退。ベスト4を東アジアの4カ国(日本、韓国、中国、ベトナム)が占めたのは特筆すべきことだ。
さて、小さなスタジアムのスタンドには現地在住の日本人のほかに、日本からやって来たサポーターも大勢入っているようで、配信の画面を通じて声援が聞こえてきた。
そんな光景を見ながら、僕は「時代の流れ」を感じた。
【1997年は入国ビザ取得が極めて困難だった】
ジッダでは日本代表の試合やAFCチャンピオンズエリートの決勝大会も開催されたので、今では日本のサポーターにもお馴染みの街となっている。
しかし、僕が初めてジッダを訪れた頃は、入国するだけでも大変だった。
それは、1997年のフランスW杯アジア1次予選の時だった。
この年のアジア予選。1次予選は各組ともダブルセントラル方式で行なわれた(たとえば、日本のグループ4はオマーンの首都マスカットと東京)。そこで、僕は1次予選から日本のグループだけでなく、各強豪国の試合を観て回ることにした。
最初は2月に香港で行なわれた韓国のいるグループ6。そして、3月にはマレーシアまでグループ1の試合を観に行った。サウジアラビアが入ったグループだ。
そして、マレーシアからそのまま移動して、日本のグループのオマーンラウンドを観戦。僕は、その足でサウジアラビアに行ってグループ1のサウジアラビアラウンドを観戦しようと思っていた。
だが、サウジアラビアの入国ビザ取得はきわめて困難だった。
当時、サウジアラビアには観光ビザというものがなく(観光ビザが取れるようになったのは2019年秋)、ほぼ鎖国状態。ビザを取るにはサウジアラビアの政府や企業からの招待と内務省の許可が必要だった。
さて、どうするか......。
僕は1996年にアラブ首長国連邦(UAE)でアジアカップがあった時に知り合った、ゾラン・ジョルジェヴィッチのことを思い出した。当時、ドバイのアル・ナスルで監督をしていたセルビア人コーチだ。彼は、ずっと中東で仕事をしており、サウジアラビアの監督の経験もあるので、サウジアラビアのサッカー連盟とも親しいと言っていたのだ。
そこで、僕はゾランを通じてサウジアラビア連盟にビザを頼んで連絡を待っていた。招請状が来たら、東京かオマーンの大使館でビザを取ろうと思っていたのだ。だが、一向に連絡が来なかったので、僕はあきらめてオマーンから日本に帰国するつもりでいた。
すると、オマーンラウンドの最終戦、日本対ネパール戦の前日になって「ビザが取れた。ビザはジッダ空港の入国審査場に用意されているから直接空港に来い」というFAXが来たのだ。
【入国審査場で1時間半】
翌日、ガルフ航空(バーレーン、アブダビ首長国、オマーンが出資した、当時中東最大の航空会社=現在はバーレーン単独出資になっている)のマスカット支店で航空券を買おうとしたのだが、「ビザがないと販売できない」と言われた。ビザなしでサウジアラビアに行くなど、非常識なことだった。
到着は夜の11時近くになっていた。
ジッダ空港にはターミナルがふたつある。ひとつは一般用、もうひとつは巡礼専用のターミナルだ。
マッカ(メッカ)の商人だったムハンマドは西暦610年に神の啓示を受け、それがイスラム教のはじまりだった。そして、マッカは聖地となった。
イスラム教徒(ムスリム)は毎日5回礼拝をする義務があるが、世界中どこにいてもマッカの方向(キブラ)に向かって祈りを捧げることになっている。だから、中東のホテルの部屋には必ずマッカの方向を示す印が描かれており、イスラム教国の航空会社に乗ると、飛行中もマップで常にマッカの方角がわかるようになっている。
そして、ムスリムには一生に一度はマッカに巡礼することが奨励されており、ジッダはマッカから約60キロの距離にあるので、巡礼の入口となっている。それで、専用のターミナルがあるのだ。ジッダ市内の道路を走っていると行き先表示として「マッカ」と書いてあるのをよく見かける(ただし、異教徒はマッカには絶対に入れてもらえない)。
僕はもちろん一般用ターミナルに向かった。
「ビザは?」と係官。
「ありません。こちらに用意されているということですが......」とFAXを見せると、僕は入国管理局の事務所の一室に連れて行かれた。そして、係官はそのまま部屋を出て行ってしまい、30分経っても、1時間経っても誰もやって来ない。完全な"放置状態"だった。
1時間半後に戻ってきた係官は、おもむろに僕が座っていた机の引き出しから書類を取り出すと、いきなりパスポートにスタンプを捺して何やら文字を書き込んだ。それがビザだった。
パスポートの1頁が埋まるほど大きなアラビア文字がびっしり書かれた紫色のスタンプ。入国の日付(ヒジュラ暦で「1417年何月何日」)も全部アラビア文字だった。
サウジアラビア連盟に「各チームと同じヒルトンに泊まれ」と指示されていたので、タクシーでヒルトンに向かってチェックインしたのだが、ホテルの係員は僕の顔をマジマジと見てこう言った。
「珍しいビザを持っているなぁ」
【同年9月にも再訪した】
さて、この時の滞在ではジッダで1次予選を観戦した後、首都のリヤドに回ってサッカー連盟やアル・ヒラルなどのクラブを取材。
ちなみに、9月のアラビア半島は最高気温が40度台後半に達しており、リヤドでは湿度が10%以下。観戦しながらメモを取ろうとすると紙がパリパリで破けてしまいそうだった。一方、アブダビは湿度が高くて蒸し暑く、紙は湿っていてめくれないほど。人生で最も暑い思いをした10日間となった。
その時の、サウジアラビアの緊急ビザを皆さんにもぜひ見てもらいたいのだが、実は2001年にアルゼンチン取材に行った時、強盗にピストルを突きつけられてパスポートごと貴重な「緊急ビザ」を奪われてしまった。残念なことをした......。
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