元オリックス・福田周平インタビュー(後編)

 内野から外野へ。レギュラーから競争の渦へ。

福田周平は、プロ野球という厳しい世界で、常に「変わること」を選び続けてきた。全力プレーの裏にあった思考、ケガをネガティブに捉えなかった理由、そして小柄な体でプロに挑み続けた意味。勝利の陰で、自分自身と向き合い続けた8年間を振り返る。

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【つらさがあるからこそ成長できる】

── オリックスに入団して4年目の2021年に内野から外野に転向するなど、プロの世界でも常に「チャレンジする」姿勢を持って自身の立ち位置を確立していきました。そのプレースタイルで牽引役ともなった福田さんは、オリックスの強さの象徴にもなっていきました。

「チームが勝つことは、やっぱり最高ですよね。ただ、プロは試合に出ないと意味がないので、正直、チームの勝利よりも、まずは個人の思いのほうが強かった。僕自身、常にチーム優先で考えられるほど、余裕のある選手ではなかったので......。"自分"というものに集中(フォーカス)してやっていくなかでチームが強くなっていく。プロ野球というものは、その循環だと思いますし、僕自身はそう思ってずっとやっていましたね」

── プロ1年目の9月には一塁へのヘッドスライディングで左手親指を負傷して靭帯損傷。3年目には左手人差し指を剥離骨折するなど、ケガとの戦いもありました。それでも、常に全力プレーでベストパフォーマンスを追い求める野球スタイルは変わることがなかったと思いますが、正直、辛さや苦しさを感じていた時期はあったのでしょうか。

「つらいと感じたことはありませんでした。

苦しさや厳しさがあるからこそ上達できると、ずっと思っていたからです。周りから見れば、つらい、あるいは苦しいと思われるような場面でも、僕自身にはネガティブな感情はありませんでした。一般的にはストレスをどう回避するか、という話になるのかもしれませんが、僕はストレスやつらさがあるからこそ成長できるという考えでした。しんどいから逃げたい、と思ったことは一度もなかったですね」

── つまりは「今やるべきこと」を疎かにせず、追い求めて全力で駆け抜けた野球人生だったとも言えますね。

「もちろん"できなかったこと"もありましたし、環境に呑みこまれることもありましたが、基本は自分の成長を求めていくために野球をやっていましたね」

── そのなかで、プロで生き抜くためにこだわったものは?

「やはり、成長を求めること。それが楽しかったですから。できなかったことができた、見えなかったことが見えてきた、わからなかったことがわかった。そういう過程が一番楽しかった。正直、それが僕の生きている意味でもあると思っています」

【もっとヒットを打ちたかった】

── 福田さんは、野球選手としては決して恵まれた体ではなかった。それでも、プロの世界で戦うその姿は、たとえば野球をする少年少女に大きなメッセージを与えてくれたような気がします。

「体が小さくてもプロで戦える姿を見てみたい。そう思う自分もいました。『オレでもできるんや』という成功体験を増やしていきたかったところはありましたね。

それが結果として、体が小さい子どもたちにも何か影響があればうれしいなと思いながらやっていました」

── ちなみに、屈強な選手が多いプロ野球で、実際に対戦して印象に残っている選手はいますか?

「とくに『この選手は!』というのはないですね。それぞれに迫力があって、すごいボールを投げるピッチャーばかりでしたから」

── オリックスのチームメイトのなかでは?

「本当にどの選手もすごいですよ。すごいですけど......あえて言うなら、山下舜平大ですね。球速もそうですが、球の伸びや威力がすごかった。彼はまだ若いですし、これからさらに楽しみなピッチャーですよね」

── そういった選手もたくさんいるなかで、福田さんが打者として求めていたものは?

「たとえば、ウエイトトレーニングをしすぎて、失敗した経験があります。なぜウエイトトレーニングをしたか。それは、その時の自分の体を信頼していなかったということですよね。自分のなかで、『体を大きくすればヒットの確率も上がるでしょ』という思いが見え隠れしていた証しでもあります

 でも、本当はそうではなかった。結果的に現役生活の最後のほうになって、あらゆる動きができる体をつくることが大切だと気づいていきました。もっとヒットを打ちたかったですね。僕のなかで目指していたものは首位打者。そして、最多安打を記録したかったという思いはあります」

【プロでの一番の思い出は?】

── とはいえ、記憶に残るプレーをいくつも見せてくれました。

プロ8年間で印象深い試合は?

「パッと思い出すのは、サヨナラセーフティバントを決めた場面ですね」

── 入団5年目の2022年9月30日。京セラドームでのロッテ戦で、オリックスは福田さんのセーフティバントが決まってサヨナラ勝利を手にしました。優勝するためには勝利が絶対条件で、引き分けでも優勝を逃す大一番での気迫あふれるプレーは印象深かったですね。

「そうですね。でも、一番の思い出と言えば、やっぱりオリックスのユニフォームを袖に通した時ですね。1年目のシーズンを迎える前の2018年の春季キャンプで、初めてユニフォームを着て練習に向かう時は鳥肌が立ちました。いよいよ、始まったな、と。厳密に言えば、前々日ぐらいにキャンプ地の宿泊先に入っていたので、すでに用意されていたユニフォームを着ているんですが、実際にユニフォーム姿でグラウンドに向かった時は、今でも忘れられないですね」

── 思い出が詰まったプロ野球での歩みでしたが、振り返ってみて「やり残したこと」はありますか? 

「そうですね......振り返れば「もっと全力でやれたかな」という思いはありますね。ただ、その思いもまた今後に生きてくると思っています。生きていくなかで、常に「全力でやること」が、僕には大事だと思っています」

── 今後はどのような人生を歩んでいくのでしょうか?

「なるようになるんじゃないですかね(笑)。未知の世界に、どんどんと挑戦していきたいと思っています」


福田周平(ふくだ・しゅうへい)/1992年8月8日生まれ。大阪府出身。

広島・広陵高から明治大、NTT東日本を経て、2017年のドラフトでオリックスから3位指名され入団。1年目のシーズン途中からレギュラーに定着し、113試合に出場。21年は内野から外野に転向するもセンターのポジションを奪取。チーム25年ぶりのリーグ優勝に貢献。翌年はゴールデングラブ賞を獲得するなど、リーグ連覇、日本一の立役者となった。だが23年、チームは3連覇を果たすも、ケガもあり出場数を減らす。25年は23試合に出場にとどまり、シーズン終了後に戦力外通告を受ける。現役続行を希望したがオファーはなく、12月29日に自身のインスタグラムで現役引退を発表した

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